第二十一話 死地へと赴く

 アルベルトはサリオンからの返答を待たずして立ち上がる。

 そして、いつしか固く口を閉ざし、憤まんやるかたないといった面持ちで、拳を膝に乗せている館の主人を一瞥し、冷ややかに下知をする。


「話は済んだ。お前はこのまま部屋を去れ」


 肩に掛けたトガを幾重にも折りたたみ、作られた優雅なひだを右肘で持ちながら館の主人に睨みを効かせ、退室を促した。トガの縁取りに緋色ひいろが用いられるのは彼だけだ。縁取りには金の刺繍がほどこされ、正絹がなめらかな艶を放っている。

 威厳をたたえた施政者しせいしゃは、小蠅こばえか何かを追い払おうとするように、公娼の迎賓室からの退去を執拗に強要した。


 程なくあるじは椅子の肘掛けの先端を握りしめ、よろめきながら腰を上げ、一歩、また一歩と、おぼつかない足取りで両開け扉に向かい出す。

 アルベルトがレナを買うたび支払った莫大な金のほとんどを、着服していた横領者の哀れな末路だ。公娼は引き続き、αや富裕層のβの家督を継がせる子供をΩに産ませる国の機関であることに変わりはない。しかし、レナという稼ぎ頭と、この上もない太客ふときゃくを同時に失う打撃があるじの正気を奪い取る。


「それから俺はすぐに戻るが、それまでの間、サリオンにはワインと何か前菜を」


 耳に心地よく響く張りのある声。

 アルベルトは背中を丸めた館の主に目もくれず、迎賓室のそこかしこに佇む下男に言い付けた。また、扉の左右を固める下男が主人のために重厚な扉を引き開ける。


「いいか? もし俺が席を外した隙にサリオンに恨み言のひとつでも吐いてみろ。即刻、競技場で猛獣たちの生きた餌にしてやる」


 と、背中を丸めた館の主人に追い打ちをかけるアルベルトをサリオンは凝視する。さらに室内を見回して、アルベルトは万が一にもそうした場面を目にしたら、報告するよう指示をした。それは暗に密告者には、報酬を与えることを確約したも同然の訓令くんれいだ。


「アルベルト!」


 サリオンは思わず腰を浮かせて声を張る。


「アルベルトが戻って来るまで、館の主人は部屋には入れない。それでいいだろ? 充分だ」


 肩越しに振り向いた恋人に、サリオンはやっきになって訴える。そうともなれば報酬目当てに偽りの密告者達が相次ぐに違いない。


「密告者なんて、俺は作って欲しくない」


 鬼神の目をした皇帝が、懇願を受けて我に返った顔になる。ここまで徹底しなければ、入内じゅだいが決まった奴隷のΩを護れない。たかが娼館の下働きだったΩのくせに、今後は皇妃同然の待遇が得られるともなれば、娼館の主人でなくとも嫌味のひとつも言いたいだろう。言いたくなるのが人の常というものだ。

 肘で多少小づかれたぐらいで傷ついたりなどしないのに、王宮では多少の嫌味が暗殺に直結するのだ。おそらくは。


「大丈夫だから、アルベルト。……心配してくれて、ありがとう」


 切羽詰まった顔つきをしたアルベルトに微笑みかけたサリオンは、彼の腕に触れて言う。今から向かう王宮では蝶よ花よと、もてはやされる訳じゃない。硬化した彼の腕に触れた時、サリオンの中で生まれた気構え。レナとの離別。

 それらを受け止め、戦士になるのだ。これからは。


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