第八話 欲しいなら

サリオンは扉の手前で立ちすくみ、視界に入る物を順に追っていく。

銅製の竿で吊るしたカーテンが外灯を阻み、

蝋燭立てやランプの灯りが室内を仄暗く照らしている。

窓辺には大理石で作られた美青年の裸像が置かれ、

半裸の神の優美な姿を描いた天井のフレスコ画は、妖艶でありつつ、

神聖さをも有している。

 

広い寝室の漆喰壁に枕止めのベッドヘッドが取りつけられた大型のベッドには、

サンダルを脱いで上がる踏み台も横づけにされている。

そのベッドに掛ける薄手の布を下男の一人が皺ひとつなく整える。

そして、上質な羽毛を用いた枕やクッションが添えられた。

ベッドの脚は職人が木を削り出し、獅子をかたどった挽き物細工だ。

重厚さと優雅さを融合させた装飾は、

昼三男娼と皇帝のねやにふさわしい艶麗えんれいを醸し出す。


こんなに隅々まで細密に寝所を見たのは初めてだ。

これまではサリオンにとってもレナにとっても、

さほど大きな意味を持たない部屋でしかなかったのだと思い知る。

 

下男はベッドの枕元に据えられた箱型のテーブルにも、

濃厚な香りを放つ花々を陶器の花瓶に大振りに活け、

銀の水差しとグラスを備える。

最後に彼等は出入り口で佇むだけのサリオンに頭を下げて撤収した。


「どう? サリオン。陛下にお気に召して頂けそうかな」

 

得意がるレナの声音が背中に鋭く突き刺さる。

サリオンはピンと張られた上掛けを凝視したまま言い返す。


「……完璧だよ」


明日の朝には情事の跡を色濃く残した上掛けやシーツや枕を、

再び下男が持ち去るのだろう。

アルベルトにはレナを抱く自分を見届けることが出来るのならと言われているのに、一歩も中に入れない。


「僕も支度が終わったよ。そろそろ夜営業も始まるし。あとは陛下をお待ちするだけ。サリオンは、玄関で陛下をお迎えしないといけない時間なんじゃない?」

 

青銅製の手鏡がテーブルに置かれる音まで聞こえてくるほどに、

険悪な静寂が居室に漂う。

逐一返事をするのも嫌になり、サリオンは寝所の出入り口から無言で離れた。

 

衣装や宝石、サンダルから化粧まで、

自身が納得いくように選んだレナが居室のドアをわざわざ開けて待っている。

貼りつけられた勝者の微笑も、

不憫に思っていた時のレナと同じく仮面に思えた。


欲しいものがあるのなら、欲しいと言った者が勝つ。

恋情を伝えるだけでは恋人を勝ち取ることは出来ないのだと、笑っている。

 

薄絹の貫頭衣の胸元に装飾品を重ねたレナは、

耳飾りのルビーに近い真紅の紅を唇にさし、アイライナーで怜悧な目元を強調した扇情的な化粧をしていた。

丈の短い裾から伸びた長い足まで宝石のように輝かしい。

サリオンは自分だったら絶対にこんな衣装は着せないし、

こんな化粧もさせないのになと鼻白む。

 

せっかくの高貴な美貌が貧民屈の私娼のように、あざといのだ。

 

けれどもレナはアルベルトが床入りを約束している初夜だからこそ、

すべてを自身で選んだ品で装った。

つまり信用されていなかった。

アルベルトの不興を買うような衣装や化粧をわざと選ぶかもしれない。

レナにはそんな思惑が自分に対してあったのだろうと苦笑する。


「昼三のレナ様にドアを開けて頂くなんて恐悦至極きょうえつしごくに存じます」

 

粗末な麻の貫頭衣に麻縄の腰紐姿の側付きとして、

サリオンは皮肉を極めた冷笑を浮かべて軽く会釈した。

レナからの返答は何もない。サリオンが廊下に出るなりバタンと扉が閉じられる。

深い意味があるのかないのか図りかねる閉め方だ。

サリオンは二人を隔てるドアを見るともなしに眺めたままで立ち尽くす。



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