第二十八話


「どんなにお前に会いたかったか……」

 

切なげに語尾を消え入らせ、髪にもキスを落とされた。

サリオンは漫然として顔を上げ、あがめ仰ぐかのように彼を見た。

視界には驚いたように眉を上げたアルベルトしか入らない。

他には何も映らない。


「愛している」


眉をひそめたアルベルトの厳かな声音の独白に、胸の芯までズシリと重く貫かれ、

サリオンは目を見張り、涙の粒が光る睫毛を震わせる。

会う度うんざりするほど好きだと言われ、

惚れたと聞かされ続けてきたはずなのに、心に深く染み入った。


「サリオン……」

 

と、あやすような声がした。アルベルトの太い指がぎこちなく顎に触れた。

指先から微かなためらいが伝わった。

拒絶を恐れる躊躇ではなく、侵し難い聖域に踏み込もうとする前の、一瞬の逡巡のようなもの。


アルベルトはサリオンの目頭から顎まで流れた涙の筋を指の腹で拭ったあと、

その指でサリオンの顎をすくうようにして上向ける。

伏し目になった男の顔が斜めに傾き、近づいた。

先に目を閉じたのはサリオンだ。サリオンは目を閉じて彼を迎え入れた。

最初に唇に触れたのは、アルベルトのあまやかな息だった。


乾いた唇が触れた時、自分の唇もまた乾き切っていたことに気がついた。

サリオンは寄る辺ない手をアルベルトの逞しい胸に当て、

少年のような口づけを享受する。

程なく大きな掌で頭の後ろを包み込まれ、愛おしむように撫でられた。


合わせる角度を変えるたび、唇の重なりも深まった。


発熱したような唇が艶めかしく蠢いて、

サリオンの唇を食むようにして舐めて吸う。アルベルトの舌先が歯に当たり、歯列をそろりとなぞられる。

サリオンは鼻にかかった声を出し、頭を左右にふれ向ける。

指の先まで痺れていた。

アルベルトの命の息吹が身体中を駆け巡り、自分自身の輪郭がほどけてなくなるかのようだ。


「……サリオン」


名前を呼ばれた唇に、アルベルトの低音のそよぎが伝わった。

サリオンは恐る恐る目を開けた。

そこには情欲を剥き出しにした猛虎のような男と化した彼がいた。

大人の男の双眸が鼓動を逸らせ、身じろぐこともできなくなる。


「口を開けろ」


アルベルトはサリオンの頭の後ろを支えた右手で髪を引っ張り、

サリオンを上向かせた。

自然に薄く唇が開き、下を向く。

傲然とした眼差しのアルベルトは、口づけを力づくで奪うことはしなかった。

こじ開けようともしなかった。


「もっと、だ。サリオン」

 

自分の意思でもっと開けと、アルベルトの目が命じていた。

サリオンは迷いの中で押し黙り、碧の瞳を揺らめかせる。

どうするべきかは、わかっていた。

どうしたいのかも自分に訊いた。その直後、飛びつくようにキスをした。

逞しい首に腕を絡め、唇で深く繋がった。


互いの舌をまさぐり合い、ひとつに溶け合う。息継ぎをして何度でも。

食らいつく勢いで口づけ合った唇が熱かった。


頭の中では自分を責める声がした。

悪いと思った。何の為にしているのかとも考えた。

けれども答えは出なかった。


圧倒的な力でもって全てを捻じ伏せ、抑え込むアルベルトの両腕に力が込められ、抱き締められた背中がしなる。

抗いきれない衝動が、サリオンのタガを外させた。

尊大で横暴な一人の男のその前に心の中で膝を折り、ひれ伏せられるときめきが、

血潮となって駆け巡る。

つがいだったユーリスを殺した国の皇帝を心の底から憎んでいるのに、

抱き締められていたかった。




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