第二十七話

 

こちらがどんなに怒鳴っても、アルベルトはただ嬉しげに弾んだような声を出す。

それがまたしゃくに障って苛立った。

レナと二人で気を揉んだのは何だったのかと、ふつふつ怒りが湧き起こる。

そっぽを向いて口を尖らせ、肩で息をしていると、

不意打ちのように囁かれた。


「俺が来なくて寂しかったか?」


艶を含んだ低い声が腹の底まで没入し、やがて光の粒となり、

身体中で弾け飛ぶ。

サリオンは上目使いにアルベルトを凝視した。


無性に腹が立っていた。下唇が戦慄いた。

突き飛ばすように否定しようとした刹那、鼻の奥がツンとして、

涙が一筋頬を流れ落ちる。


「……サリオン?」

 

からかってきた本人が、動じたような声で言う。

肩を両手で掴まれて、間近に顔を寄せられた。

両肩を包んだ男の手の熱。涙の熱さが、

心の奥でこごった何かを溶かしてくれるかのようだ。


「寂しかった……」


告げた直後にサリオンは、肩で大きく息を吸い、長く深く吐き出した。

どうしても、そしてずっと言えずにいたことを声と言葉で届けると、

頭を支えていられなくなり項垂れた。


寂しかったし、恐かった。


このまま会えなくなるなんて受け入れられない。信じない。

アルベルトだけを待ち焦がるレナの側にいることも、

やましいような後ろめたさが日に日に重くのしかかり、

笑顔が一切抜け落ちた。

こうなったのは、彼の気持ちに応えられない自分が彼を深く傷つけ、痛めつけ、

失望させたせいだと思うと、自責の念が押し寄せて、毎日自分を責めていた。


どんなに自分を責めたとしても、どうにもならないことなのに。


つがいだったユーリスの仇の国の皇帝だ。

しかも弟のようなレナが恋焦がれる人。

絶対に拒絶するしかないことは、わかっているのに、心がじたばた暴れ出す。


顔が見たい。

声が聞きたい。


陽気で一途で暑苦しくて誠実で、

憎らしいほど男の色香を湛える彼には永遠に口説かれ続けていたかった。


そんな虫のいい話、通用するわけないのにと、

自分で自分をわらっていたのに、アルベルトは来た。

レナを押し退けることも、ユーリスに顔向けできなくなることも、

恐れて身動き取れずにいることを、

全部わかっているような笑顔が胸を詰まらせる。


サリオンはアルベルトの肩口に、そっと額を押し当てる。

すると、背中にアルベルトの腕が回され、

ゆっくり締めつけるように力が込められ、囁かれた。


「俺だって、そうだ」

 

呻いた男の熱い吐息がうなじにかかる。


「この六日間、公務に追われている時ほど、お前の顔ばかり浮かんできた。お前がまたダビデのような横暴な客に乱暴されていないかと、気が気じゃなかった」


低く声をくぐもらせ、サリオンの泣き濡れた頬に熱い頬をすり寄せる。

麻布の貫頭衣越しに伝わる胸板の厚み。

愛おしむように腕や背中を撫で擦る手も、燃えるように熱かった。

生身の身体の力強さ。

合わせた胸でアルベルトの早鐘のような拍動を感じると、

サリオン自身の鼓動も高鳴る。


サリオンは、アルベルトの胸の中で恍惚として目を閉じた。

抱き締められる悦びが頭の芯まで痺れさせ、手足に力が入らない。


アルベルトの唇が頬に触れ、うなじを辿り、喉元にきつく吸いついた。

歯と舌の感触に心臓をぎゅっと掴まれる。

引き絞られたかのような胸の奥から甘美な痛みが波紋のように広がって、

甘い吐息が喉を突く。


「……サリオン」


この上もなく官能的な低音で名前を呼ばれたサリオンは、

何のために呼ばれたのかも察していた。だからこそ、突き放すのなら今しかない。

顔を上げたら戻れない。

命懸けで守り通してきた自戒の念。

貫き通してきたものの何かがつぶされ、何かが変わってしまうだろう。


サリオンは息を凝らして逡巡した。

生温い風が再び広場を吹き渡り、木立が不穏にざわめいた。

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