第二十六話


「公娼内だと、お前は客とは呑み食いできない立場だろう?」

「そうだけど、でも」

「外でなら、お前と飯が一緒に食える。二人でグラスを交わせるんだ。ほら、見ろよ」


アルベルトは腕を広げ、着古したような貫頭衣をサリオンに見せつけた。


「貧民窟に押しかけた時は、俺に思慮がなさすぎた。だから今日は、こうしてトガも外してカツラも被った。さっきまで付け髭もして顔を隠していたんだぞ? お前を見たと報せがあった表通りも、この格好で歩いたが、誰も俺だと気づかなかった。せっかくこれならお前に警戒されず一緒にに呑めると思ってたのに」


アルベルトは心の底から悔しげに顔を歪めて言い放つ。

この公園の隅に馬車を据え、護衛兵等を総動員してβの居住区を探索させたが、

無駄足に終わり、そのうち日も暮れ、公娼の営業時刻も間近に迫り、

束の間の逢瀬や会食は諦めざるを得なかった。


それなら先に公娼で待っていようとしたものの、

脱走という一抹の不安が拭えない。

レナを置いて逃げるだなんてと笑って否定しながらも、

不安の色が濃くなるばかりで鼓動が不穏に打ち乱れる。

馬車を下りたアルベルトは、公園のベンチで悶々と頭を抱えていたと言う。


するとβの居住区方面から、息咳切ってサリオンが現れた。

アルベルトは安堵のあまり身体中の抜け、

くずおれれそうになったと責め立て、背中を丸めて嘆息した。


「今までどこに隠れてやがった。まさか他の男と逢ってたんじゃないだろうな」

 

茶化しながらも眇められた目の奥が剣呑な光を放っている。

そんな彼をサリオンは、突っ立ったまま眺めていた。

不満と猜疑と落胆と安心と苛立ちを、飛礫つぶてのように投げつけられても動けない。


アルベルトは公娼外で見かけたら、直ちに報告するよう街の衛兵に指示していた。

共にグラスを交わしたい一心で、βの庶民に変装してまで来てくれた。

なのに会えなかったと拗ねている。

誰と、どこにいたのかと、男の顔で独占欲を剥き出しにして怒っている。

Ωの奴隷がβの居住区にいたとがには一切触れもせず、

国の規約を犯してでも自分以外の男に逢うため、

居住区に紛れこんでいたのではと、目尻をきゅっと吊り上げる。


それこそ、どこで誰と何のために会っていたのか、

知られてしまっていないかどうかを確かめなければならないのに、

言葉が形を為さずにいる。


「どうした。何をそんなに驚いている?」

「だって、あんた……」

 

サリオンは言いかけて、また唇だけを喘がせた。


大国の帝王がトガも付けずに外出し、Ωの奴隷の居所を回ってくれたこと。

それもただ、二人きりで一杯だけでもワイングラスを傾けたいだけ。

それだけのために来たのだと、

アルベルトはいとも簡単に言いのける。

訝しそうに眉を上げ、小首を傾げて瞬きをするアルベルトの、

屈託のない双眸に胸を突かれて黙り込む。


言葉が堰き止められているために、涙が代わりに出そうになり、

奥歯をギュッと食いしばる。

思わず顔を背けると、気遣わしげにアルベルトが、ますます顔を寄せてきた。


噴水とベンチしかない公園を輪のように囲む雑木林が夜風に煽られ、

軽い葉音を立て始めた。


「……だって、六日も来なかったくせに」

 

やっと口にできたのは、恨みがましい文言だ。


「だから公務が詰まっていると、毎晩使者をやっただろう?」

「そんな客の逃げ口上だろ! そんなのは嫌っていうほど聞いてるんだよ、俺達は!」

 

サリオンは語気を荒立てた。


「そのうち、そのうちとか言いながら、結局来なくなるんだよ!」


自分もかつては男娼だった。

馴染みの客に手紙を書いて呼び立てても、

断る理由に男が『仕事』を使い出したら「もう行かない」「お前に飽きた」

の意味だと思えと、年季の入った男娼達から教わった。


上っ面の情夫の言葉をそのまま受け取り、

信じて待っているような初心うぶやからは『あいつは馬鹿』だと、

笑われた。


レナだって、きっとそれはわかっていた。

だから日に日に自暴自棄になっていた。

熱が冷めたら男達は、贔屓ひいきにしていた男娼と、最初は手紙で距離を置く。

そして手紙も間遠まどおになり、やがてぷつりと途絶えるのだ。


期待するだけ無駄だと教えてくれたのは、年上の男娼だけでなく、

情を交わした男達だ。


「他の男はそうだとしても、俺は違う」

「そんなこと言って、あんたの方こそ後宮で遊んでたんじゃないのかよ! 高い金払ってこっちに来てもレナには触れない。他のΩの指名もなしじゃあ、来た意味なんかないからな!」


一度口火を切ってしまうと止まらなかった。

どうして六日も放っておいたと、不遜な男の襟首を、

掴んで前後に揺さぶりたかった。厚みのある胸板を拳で叩いて責め立てたい。


「なんだ。どうした? ヤキモチか?」

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