第十九話

 

考えれば考えるほど、悪い方の予感ばかり膨らんだ。

アルベルトの精悍な面差しを思い浮かべて顔を歪める。


亜麻色の瞳を少年のように輝かせながら、

アルベルトも、じっとこちらを見つめている。

はにかんだような微笑みが、肉感的な唇から失われる。

次には踵を返した広い背中が、濃い霧に紛れるように薄れて行く。

そして、やがて見えなくなる。


起き上がったサリオンは、震えかける口元を片手で押さえて制御した。

それは妄想ではなく、実感を伴う現実味を帯びていた。

と、その時、部屋のドアがノックされ、サリオンは跳ね起きた。


「サリオン様。入っても、よろしいですか?」


また何か騒動でも起きたのか。弛緩していた手足が強張った。


「はい、どうぞ」

 

返事をしながらベッドを下りた。既に臨戦態勢だ。

唇を硬く引き結び、肩をいからせ、大股でドアへと歩み寄る。

すると、ドアが穏やかに押し開けられ、

下男の少年が木製の盆を片手に乗せて入って来た。


「お夕食を、お持ちしました」


前のめりになっていたサリオンは毒気を抜かれて面食らう。


言われてみれば夜営業が始まってからというもの、

館中を駆け回り、空腹を感じる暇すらなかった気がした。

特に今夜はアルベルトが来館しないとわかっていたから、尚更だ。


「ありがとう」

「今日も一日、お疲れ様でした」

「まだ、このあとイアコブ様を迎えに上がらないといけないけどな」


ねぎらってくれる下男と軽口を交わし、サリオンは差し出された盆を受け取った。

しかし、すぐに異変に気がついた。

盆の中の木製の平皿や深鉢の数が多いのだ。


今までなら朝、昼、晩の三食とも、雑穀混じりのパサついたパンか麦粥、

豆と野菜屑を煮たスープと水で薄めたワインが定番だ。

日によってチーズの切れ端、炭火焼きした小魚が添えられる時もあれば、

何もつかない時もある。

大方、客達が饗宴で食べ残した残飯の有無による。


それなのに、今夜の主食は饗宴で供されるような白パンだ。

スープには豆だけでなく、キャベツやポロネギやカブが煮込まれ、

深鉢一杯に盛られている。

サリオンは、まず定番のしつの唐突な向上に瞠目した。

定番だけでなく、大小の平皿には豚肉の串焼きや茹でた小海老、デザートとしての新鮮なザクロやリンゴまで乗っている。


「……これは」

「今日から公娼で働く者の食事を改善するよう、皇帝陛下からのお達しがあったんです。今朝早く、宮廷から使者が来て、うちの旦那様に直々にご命令なさったと、伺いました。厨房は下男の分まで食材を仕入れてなかったので、朝と昼は間に合わなかったみたいです」

「皇帝陛下が……?」

 

サリオンは声を上擦らせた。


皇帝陛下の一言を耳にした瞬間から、鼓動がどんどん速くなる。

心臓がバクバク脈打って、何も考えられなくなる。

少年の弾んだ声音で経緯を述べられ、そういうことかと理解はした。

それなのに目前に広がる光景に、まるで実感が伴わない。

ふわふわとした心持ちでサリオンは、

受け取った盆に並べられた肉や魚介やデザートを、放心したまま眺めるしかない。


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