第六話

 

テオクウィントス帝国皇帝の番として享受できる処遇をかんがみれば、

クリストファーとの生活自体は、慎ましやかになるだろう。

それでもαで中流貴族のつがいとして慈しまれ、

何不自由なく暮らすことができるのに、

大国を統治し、勇猛果敢で美丈夫な皇帝からの寵愛を独占したい一心で、

レナはのたうち回り、懊悩している。


はたしてそれがレナにとって最善で最良の選択肢なのか。

胸に湧き出た僅かな疑念が黒い雫に変化した。

サリオンの心の深部にぽつりと落ちた迷いの雫は、

たちまちのうちに波紋を広げた。


クリストファーとの生活は凡庸そのものかもしれない。

たとえそうでも、レナには心安らかでいて欲しい。

何よりレナの悲嘆を見ることが、日に日に辛さを増していた。

アルベルトにつきまとわれる自分こそ、

レナの夢の成就を阻む障害でしかないことが、後ろ暗くて忍びない。


「……わかった」


応じたレナが気怠げに肘で上体を起こした後、長椅子を下りて立ち上がる。

表情は冴えてなくても、

男娼に課せられた仕事をこれからこなすのだという諦観が、

ひそめられた眉の辺りに浮かんでいる。


「レナ。避妊薬はどうする?」


サリオンは努めてさりげなく問い質した。

もし「要らない」と答えたら、レナはアルベルトの番になり、

彼の子だけを産むという固い決意を放棄した意味になる。


避妊薬を用いずに、αのクリストファーと性交すれば、

彼の子供を孕む可能性は否めない。

レナが恋焦がれるのはアルベルトでも、発情期にαやβと交われば、

Ωの身体は彼等の子供を受胎するようにできている。

 

サリオンはレナを凝視した。

胸周りが透けて見える扇情的な薄絹の頭貫衣の短い裾の乱れを叩いて直し、

レナは顔を上げるなり、投げやりな嘆息をひとつした。


サリオンは返事を求めて身を乗り出したが、

時間稼ぎをするように耳飾りの角度を直したり、テーブルに置かれた手鏡を取り、前髪をしきりに弄っている。


「レナ」


堪りかねて語気を強めたサリオンに、レナは「飲む」と短く言い切った。

サリオンには背中を向け、手鏡の中の自分をじっと見つめている。


「そうか」

 

サリオンは固い顔で頷いた。

承諾の中に、微かな失意が混ざった自分の声音にドキリとした。

レナが飲むと言った瞬間、サリオンの胸に波紋のように広がったのは、

舌打ちしたくなるような僅かな苛立ちと落胆だ。


自分は何に苛立って、何にがっかりしたのだろう。


実直なクリストファーの番になって身請けされ、

彼の跡継ぎをもうける道など眼中にないとでも言いたげなレナに

むっとした。

こんなに親身に案じているのに一蹴されたからなのか。

それともと、サリオンは喉元までせりあがりかけた邪心に即座に蓋をした。

それはアルベルトに対する独占欲の鱗片だ。

彼の皇妃になりたいレナの背中を押しながら、

諦めてくれればいいのにと、心が波立つ。ざわめく。こんなことは初めてだ。


「だったら飲めよ」


自分で自分に動揺したまま、

サリオンは宝石箱の二重底に隠された避妊の経口剤を、取り出した。

銀の水差しから水を注いだグラスと避妊薬を差し出すと、

レナは無言で呑み干した。

これで今夜は誰とベッドを共にしても、誰の子供も孕まない。


しかし、その隠し持った避妊薬が残り少なくなっていた。

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