第六十三話

 

それなのに実際は違っていた。

アルベルトは自分と同じように豊かな食事の恩恵に恵まれていない公娼の、

奴隷の『廻し』の境遇に、胸を痛めてくれたのだ。


「ほら」

と、ミハエルに再度急かされ、サリオンはためらいがちに銀の盆を持ち上げた。


ひとつしかない椅子はミハエルに譲っていたため、

ベッドの端に腰をかけ、膝の上に盆を乗せた。

銀の盆から腿に伝わる豪華な料理の温もりが、胸にも染み入るようだった。


貧民窟での喧騒の最中、

どさくさ紛れに言ったにすぎない皮肉まで、アルベルトは覚えていた。  

頭に留めてくれていた。

昨日までの自分なら、食い物なんかで懐柔されてたまるかと、

意地を張ったかもしれない。


けれど、スプーンを手に取った。

最初に口に入れたのは、豆のスープだ。

煮こんだ鶏と野菜の深いコクと豆の甘味が絶妙で、溜息が出るほど美味だった。

位の低い下男達に出されている、

言うまでもなく、湯に塩と野菜屑が浮いただけのスープとは雲泥の差だ。


空腹も感じないほど疲弊していた身体に滋味が、

波紋のように広がった。

だが、ここにアルベルトがいたなのら、

どうして最初に猪肉を食わないのかと、文句をつけたに違いない。


上流階層の饗宴でも、客は猪肉が出されるかどうかで、

自分達が招待主に重んじられているか、

軽んじられているのかを判断するほど高価な食材。

クルム国の娼館の昼三男娼だった頃ですら、滅多に食べたりしなかった。


だからこそアルベルトは、せっかくの焼き立てなのにと、咎めたてたはずだった。

サリオンはスープを呑みつつ、思わず頬をほころばせた。


どんな些細な雑談ですら聞き流したりしなかったアルベルトからの気遣いは、

サリオンを怒涛のように揺さぶった。

一旦スプーンを器の縁に置いたあと、銀盆の上に残された主菜の皿を横目にした。

香ばしく焦げ目がついた猪肉の塊は、まだ白い湯気を上げている。


自分がこれを食ったと聞いたらアルベルトは、

少年のようにはにかむのだろう。

「そうか」

と、頷き、美しい景色でも見るように、満悦の溜息を洩らすだろう。


張りつめたものが緩んだ時に感じる哀しいような切ないような悦びが、

燭台のロウソクの火のように胸の奥で揺らめいた。


これは取り引きなどでは、ないからだ。


物心ついた時からサリオンは、

人から何かを受け取れば、何かを返せと要求されて生きてきた。 

ベッドでの奉仕はもちろんのこと、

何かを人から受け取ることは、辱めとの引き換えを意味していた。


スープ皿とスプーンの往復も滞り、呆けたようになっていた時、

ミハエルに焦れったそうに促された。


「サリオン。スープばっかり飲んでないで肉も食え。俺達は宴席で客と一緒に食わせてもらうが、お前達はしばらく食ってないだろう? 確か、お前はここに来るまで、どこかの国の昼三ひるさんだったらしいから、食い慣れてるかもしれないが」


はっとしたサリオンはスープ皿を腿の上に乗せたまま、

伏し目がちに微笑んだ。


「……いいえ。私の故国でも肉はとても高級品で、ひと握りのαしか口にはできませんでした。ですから余程の客の宴席に呼ばれなければ、滅多には……」

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