第六十五話


「だったら、もったいぶらずに冷める前に食ってしまえ。陛下は、これからもご来館されたらサリオンには、必ず自分と同じ物を食べさせるようにと、きつく館の主に命じたそうだ。今夜が特別ってわけじゃなさそうだからな。安心して食え」

「……はい。ありがたく頂戴致します」

 

銀盆ごとベッドの上に移動させ、

まだ仄かに温かい猪の炭火焼きが盛られた皿とスープの器を交換した。


アルベルトは、故国でつがいになったユーリスとは、

王族のαと男娼奴隷のΩという階層差を越え、

ユーリスにへりくだったりしなかったことをレナから聞いていたらしい。

公娼の客ではない時は、対等な立場で話をするよう、

出会った当初から迫ってきた。


その番だったユーリスに対抗意識でもあるのかと、

鼻白んでいたのだが、

もしかしたらアルベルトは、互いの距離を埋めたいだけかもしれないと、

次から次へと考えが現れる。内なる自分が自分に囁く。


貧民窟まで出向いて来たのも、

そこでいつも何を食べているのかを、知りたいからだと言っていた。


同じ物を食べたがり、同じテーブルにつきたがる。

同じ目線で対等に話をし、いつかはひとつ屋根の下、同じベッドで眠りたい。

そして昇る朝日を同じ窓から見つめたい。


アルベルトが求める『同じ』は、一緒にいたいの同義語だ。


近づきたくて、うずうずしている。

触れたくて触れたくて悶えている。

Ωを犯して得られる快感だけが目当てなら、皇帝の権威を振りかざし、

公娼の奴隷の『廻し』など、とっくに犯しているだろう。


サリオンは心が何かにコツンと当たったようになり、

喉がぎゅっとすぼまった。

アルベルトが今か今かと息を凝らし、じっと見つめているようで、

猪肉の塊を手で裂いて口に入れ、咀嚼するのも気恥しい。

せっかくの最高級食材を味わう余裕は、どこにもない。


サリオンは、のぼせたようになりながら、ただ単に噛み続け、

視線をあちこち彷徨さまよわせた。

汚れた両手を手近な布で拭いた後、勧めてくれたミハエルに、


「柔らかくて美味しいです。臭みも全くありませんし」

 

と、感謝の意を込め、賞嘆した。

 

上流階層の食卓では、家人の側に奴隷が付き添う

食事をする家人かじんの指が汚れるたびに、

薔薇の花びらを浮かべた水を張った陶器の小鉢を差し出したり、

洗い清めた指先を布で拭ってやる為だ。

故国クルムの最高位の男娼だった頃には自分にも、そういう下男があてがわれた。


汚れた指を自分で拭きつつサリオンは、

こうして手づかみで食べるたびに指先が汚れるような食事をしたのは、

公娼に奴隷として買われて以来かもしれないと、ふと思う。


食事といえばパサついたパンやスープ、小魚の塩漬けやオイル焼き、

乾燥させた果物などだ。

それらは手や楊枝やスプーンを使えば事足りる。

手洗いが必要になるのは肉や魚のローストや煮込みなど、

αや富裕層のβの食卓にしか出されない、高価で凝った料理に限られる。


「手洗い用の小鉢も一緒に持ってきてやれば良かったな」


ミハエルは、手近なボロ布で指を拭くサリオンに、肩をすくめて苦笑した。


「いいえ、そんな。ミハエル様に、そこまでお気遣い頂くなんて」


そもそもダビデをフッて雲隠れしたミハエルが、

なぜ急に下男の『廻し』の夕飯を配膳になど来たのだろう。


「それより、どうして今夜は提督を……」

 

サリオンはミハエルにも、聞きたいことが多々あった。

あの凶暴なダビデに恥をかかせ、わざわざ喧嘩を売ったりしたのか、

まずは知りたい。

聡明なミハエルらしくないからだ。


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