第四十四話

 

アルベルトは男の色香が滴るような肉感的な唇を、

真横に引くようにして冷笑した。


案の定、暴れていたのはダビデであり、人や物に当たり散らして喚いていたのは、

買った寝所持ちの男娼がいつまで待っても姿を見せないからだと、

困惑顔の下男達に知らされた。

 

しかも、客と男娼の揉め事の仲介役に、『廻し』のサリオンが入るやいなや、

ダビデは饗宴の間に残っている客達の前で、

余興としてサリオンを強姦すると息巻きながら連れ去ったと、

別の下男がアルベルトに直訴してくれたようだった。

そんなアルベルトとは運悪く、入れ違いになってしまっていたらしい。


「それをあるじに聞いた時は、心臓が止まるかと思ったぞ……」


アルベルトは前屈みになり、サリオンの肩口に顔をうずめてきた。

サリオンも思わず彼の背中に腕を回し、おずおずと抱き止める。

 

アルベルトは薄暗い廊下の燭台の明かりですらも、

見てとれるほど憔悴していた。

こちらの無事を確認し、緊張の糸が切れたようになっていた。

 

だが、これも一時いっときの感情の昂ぶりに、

浸っているだけなのかもしれない。

もしくは輪姦されかけた哀れな奴隷をかばった救世主を、

演じたかっただけなのか。

落ち着きを取り戻すにつれ、膨らみ出すのは疑心暗鬼だ。


サリオンはアルベルトの胸板に手をついた。

ぎこちなく彼を押しやって、半身をよじって顔を伏せる。


確かに騒いでいたのがダビデなら、彼に命令できるのは皇帝以外にいないだろう。


アルベルトも国営の娯楽施設の公娼で、

王族が起こしたいざこざを、皇帝として鎮めに来たと、そう言った。

娼館の下働きの奴隷のΩを助けに来たんじゃないことぐらい、

わかっているのに、胸がさざ波立っていた。


「ダビデ提督」

 

アルベルトはダビデに殺気立った目を向けた。

そして、離れかけたサリオンの葛藤を察したように抱き戻し、

その腕の中に封じ込める。

サリオンが身じろぐこともできないほどの力だった。


「初見の客でもあるまいし、公娼独自の慣習を知らなかったなどという言い逃れは、させないぞ」

「どういう意味だ」

「男娼以外の従業者には決して客は手を出さない。それは皇帝である私にも課せられる習わしだ。お前も例外ではないと自覚ができないのならば、私は皇帝の権限を持ってして、今後一切お前の公娼への出入りを禁止する」


斬り捨てるような語勢は、ほとんど恫喝だ。

ダビデは苦り切った顔になる。

さも不満気に唇を尖らせて、アルベルトを睨み返してきたものの、

ほとんど腰が引けていた。


サリオンの目にも今のダビデは大型犬に咆え立てられた、

小胆で貧相な野犬そのものだ。

ダビデは首を縦にも振らなかったが横にも振らない。

アルベルトに沈黙でもって服従の意だけを示し、聞えよがしに舌打ちした。


「行くぞ」


ダビデは護衛兵に忌々しげに命じると、身を翻して南館から遠ざかる。

本館に戻った一団の後姿が一階の廊下の薄闇に紛れ、

荒々しい彼等の靴音が小さくなって、やがて消えた。


アルベルトと二人きりで残された両館への通路に深夜の静寂が戻り、

壁の真鍮製の燭台のロウソクの火が、

微かに立てたジジッという音まで平和で安らかだ。

サリオンは身体中に溜まった息を、吐き出すように嘆息した。

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