第十九話 まるで皇妃にかしずくように

 

夜も更け、客を取った男娼達は床入りしている時刻だった。

公娼の表玄関のランプも消され、館の窓という窓も鎧戸で固く塞がれ、

しんと静まり返っている。

馬車は公娼の裏口の前に横づけにされ、停止した。


皇帝が乗り降りする時は、御者が扉を開け閉めするが、

ここで下車するのは自分だけ。

御者の男は当然のように御者台に腰かけたまま、馬の手綱を離さない。

同乗している護衛の兵士も微動だにしなかった。

 

つまり、下りたければ自分で扉を開け、勝手に下りろと無言の圧で知らされる。


サリオンは苦笑して前屈みに座席から下り、

馬車の扉の内ノブに手を伸ばした。

すると、アルベルトがサリオンより僅かに先にノブを握って押し開ける。


「アルベルト?」


サリオンは小首を傾げて問いかけた。

営業を終えた公娼が表玄関を閉じてしまう『大引おおびけ』時刻は、

過ぎている。

大引けの後は、その日の正午から始まる昼営業まで、

客は出入りを許されない。


アルベルトは先に馬車を無言で下りたが、

終業後の娼館に何の用があるのだろう。

サリオンは怪訝になって小首を傾げ、自身も馬車から下りかけた。

 

と、その時、先に下りたアルベルトに手を伸ばされて右手を取られ、

うやうやしく馬車から下ろされた。


「足元に気をつけろ」


辺りは御者席の脇に取りつけられたランプが、

石畳みの路地を仄暗く照らしているだけ。

箱型の馬車の客室と、路面との距離も、かなりある。

馬車に慣れないサリオンが下りる際に足を踏み外したり、転倒したりしないよう、

補助したつもりだったらしい。

まるで皇妃にかしずくように。


「今夜は迷惑をかけて、すまなかった」

 

間近に迫った亜麻色の瞳が、許しを請うように揺れていた。

そんな瞳で射抜かれて、どぎまぎせずにはいられない。

サリオンは、ふいと顔を背けることしかできずにいた。

許すとも、許さないとも答えられない。応えない。


「今日の公務を終えたら今夜また来る。いつもの広間で饗宴の支度をするよう、館の主人に伝えてくれ」

「はぁ?」

 

アルベルトの言葉尻を奪うように、サリオンは頓狂に語尾を跳ね上げた。


「今日も来るのか? これで一体何日目だ? ほとんど毎晩じゃないのかよ」

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