第十二話 逆上
「アルベルト!」
サリオンは大きな声を出す。
路上で声をかけてきた巨漢の男の胸倉を、アルベルトが鷲掴みにして横倒しに横臥させ、男の鼻先寸前に剣を突き立てる。
泥土の路地に顔面を打ちつけられた男の鼻や口からは鮮血が吹き出し、既に血溜まりになっている。
アルベルトは、その大男の耳元に顔を寄せて
「今、お前が声をかけたあの金髪に指一本でも触れてみろ。今度はその猪みたいな太い首を、この俺が斬り落としてやる。手足を丸太に縛りつけ、歯の錆びたノコギリでゆっくりと、だ」
顔中に凄まじい憤激の色をみなぎらせ、地を這うような声で言う。
慌ててサリオンは駆け戻り、男を押さえつけているアルベルトの正面に回り込む。
「待ってくれ! そいつは知り合いなんかじゃない! たまたま俺が前を通っただけなんだ。だから、そいつは……」
閃く剣を目と鼻の先に突き立てられ、恐怖と痛みで戦慄くだけの大男を、サリオンは必死に擁護した。
しつこく絡まれた訳でもなく、暴力を奮われた訳でもない。
警告にしては行き過ぎだ。
水はけの悪い路地に膝をつき、男を抑え込んでいるアルベルトの豪奢なトガが、
跳ねた泥で汚れている。
それでも構わず男の腕を締め上げ続けるアルベルトに、サリオンは体を屈めて訴えた。
すると、気色ばんだアルベルトの目元が和らぎ、やがて切なげに見つめ返される。
「……わかっている」
アルベルトは、ふうと肩で息をした。
立ち上がりながら腰の鞘に剣を戻し、血と涙と冷汗でぐしゃぐしゃになった男を
冷たく一瞥した。
体を起こしたサリオンは安堵して眉を開き、忌々しげなアルベルトを仰ぎ見た。
一度抜いた剣を収める。
それは皇帝たる者の面子に関わりかねない由々しき事態だ。
しかも、相手はネズミにも等しい最下層階級のベータにすぎない。そんな卑しい貧民の首を撥ねることなく、自身が引いてくれたのだ。
口には出さなかったが、サリオンは胸の中で礼を言う。
すると、まだ萎縮しているサリオンの頬にアルベルトが触れてきた。
「ローマの民もテオクウィントスの国民も、円形競技場で奴隷が野獣と戦わされ、食われて死ぬのを見世物として楽しむが、お前はそれを野蛮だと言う。人の死を悼む心を持っている。お前が嫌だと言うのなら、俺もしない。お前の前では人は斬らない」
「……アルベルト」
「だが、もし、お前にかすり傷でも負わせていたなら容赦はしない。それだけは覚えておけ」
一瞬ほだされかけたサリオンにも、足元に横たわる男にも、通告するように語気を強め、アルベルトはサリオンのか細い腕を片手で掴んだ。
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