第七話 油断


「『この先も』に、訂正しろ!」

 

唾でも吐くように言い捨てて、

サリオンは店内にいる給仕のΩの老人に背伸びしながら声をかけた。


「俺の分の支払いは、ここに置いておくからな!」

 

麻袋から青銅貨を数枚円卓に叩きつけ、肩をそびやかせながら店を出る。


「おい、待て。サリオン」

 

呼び止める声が聞こえても、知らん顔を決め込んだ。

どんな人混みに紛れても、あの男の声だけは凛としてよく通る。

自信と権威を併せ持った人間にしか出せない声だ。

サリオンは更に足を速め、少し早いが帰路に着く。


裏路地から表通りに向かう途中、地べたに寝転ぶ物乞いに足を何度も掴まれる。

それを舌打ちだけして、蹴散らした。

テオクウィントス帝国はローマ帝国に匹敵するほど繁栄しながら、

その恩恵に預かれなかった下層階級の闇も深い。


丘隆地には富裕層の豪邸が建ち並ぶ。

川沿いの低湿地には貧民層の四、五階、もしくはそれ以上の高層集合住宅が

密集して建っている。

貧民窟でも表通りに面した集合住宅の一階には、

食堂や肉屋や魚屋、八百屋やパン屋が軒を連ね、広場では市場も開かれ、

人通りも活気もそれなりにある。


しかし、裏通りともなれば、

朽ちた木ともろいレンガ造りの集合住宅は左右に傾ぎ、

支え合うようにして建っている。

日当たりも悪ければ、水はけも悪い。

食堂からは食欲をそそる香ばしい匂いが漂う一方、

蔓延まんえんする腐臭も鼻をつんとつく。


その集合住宅の家賃ですら払えない路上での生活者は、

行き交う人に物乞いし、食堂の裏のゴミ箱から残飯を漁るかスリになり、

果ては強盗にもなる。

彼等は、たった一青銅硬貨のためにでも、平気で人を殺すのだ。


そんな劣悪な貧民窟の裏通りにまで、

やって来るとは予想だにしなかった。油断していた。

その『まさか』を平気でやってのける男だからこそ、困るのだ。

渋面を浮かべたサリオンは口をへの字に折り曲げる。


皇帝アルベルトのめいにより、王宮の側に創設された公娼は、

α階級の王侯貴族や軍人や、β階級の富裕層だけが出入りを許される。

王宮にある王族御用達の後宮ハーレムとは趣の違う、

娯楽施設の役割も兼ねている。


剣闘士と猛獣との格闘を見世物にする円形競技場や、

野外演劇場、公用浴場と同じ意味合いで、

娯楽として楽しむためのおおやけの施設でもあり、娼館だ。


その娯楽施設としての公娼に奴隷市場から買われて来て、

まわしと呼ばれる下働きを務める自分にテオクウィントス帝国の皇帝自身がなぜか目を付け、しつこく尻を追って来る。

Ω性だが、性交しても子供ができない身体なのだと承知の上で、だ。


満腹になったとは言い難かったが仕方がない。

いかつい護衛兵に睨まれながらの食事など、楽しめるはずがない。

何しろ相手はテオクウィントス帝国の皇帝だ。

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