第六話 今のところは分が悪い


 サリオンの肩口から男がぬっと顔を出す。

 仰け反って驚いたサリオンと目を合わせ、肉感的な唇を横に引くようにして

微笑んだ。

 大柄の体躯を折り曲げた男はサリオンに顔を寄せ、挨拶とばかりに頬に短くキスまでした。


 精悍な浅黒い肌に、亜麻色のゆるい巻き毛の短髪。

 瞳も明るい亜麻色だ。

 彫像のように鼻筋が通り、肉厚の唇は男盛りの滴るような色香を湛えている。

 オメガではないことは確かだが、かといってベータでもないことも明白だ。


 オメガやベータの着衣は麻製の無地の貫頭衣かんとういをすっぽりと被り、

腰紐で結わえる簡素なものだが、この男の絹の貫頭衣の襟元や半袖の袖口には、金糸や銀糸の刺繍で豪奢な縁取りがほどこされている。


 また、一枚の長布を左肩から右脇の下にかけて幾層にもたるみを持たせた

男のトガも、その光沢から絹だとわかる。

 トガの着用を許されるのはベータの富裕層か、王族や貴族、軍人などのアルファ階層。

 そして、この男のトガにはアルファ階層の証でもある朱色と金糸の縁取りがある。


 サリオンを取り囲んでいたオメガやベータの貧民達は一瞬にして顔色を変え、

椅子を引いて立ち上がる。

 輝くような美貌の男の背後を固める護衛兵が殺気に近い睨みを効かせる理由は、貧民窟の少年に相好を崩す男を間近にしているせいもある。


 しかし当のサリオンは、男が急に現れて、少なからず動揺した。

 驚きはしたが、それだけだ。

 いきなり男に肩を抱かれてキスをされても、屈強な護衛兵を振り向いても、サリオンは口をへの字に折り曲げて、男も兵士も眼光鋭く威嚇する。


「初めから勝てるとわかっているくせに、賭けなんぞふっかけるのは不公平だな。良くないぞ?」

 

こぼれるような情愛を満面に輝かせ、男はサリオンをたしなめる。


「よく言うよ。あんただって、ちゃっかりダビデに賭けたじゃないか」

「どちらが早く子供をオメガに生ませることができるかどうかに賭けるなら、俺の方が分が悪い。どちらに賭けるか問われたら、当然ダビデ提督だ」

「そうだろうな」

「ただし、だ」


 男は不敵な笑みを浮かべたまま、『今のところは』を、強調した。

 途端にサリオンの眉間に皺が寄り、肩を抱いた男の腹を肘でグイと押し退ける。

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