1章・英雄推薦③

 3




 剛拳を腕で受け止める。

 迫り来る影体を寸のところで受け流す。


「っ、このォ!!」


 つま先での顎をはじき、かかとで腕を折る。肘で側頭部を叩き、空間を広げて自らの軌道範囲を広げようとした。が──。


「ぐッ!?」


 注意が分散している状態では、死角からの攻撃に反応できなかった。

 数歩分ふらつき、転倒しかけるが、何とか持ちこたえる。しかし、そこに──。


「がっ──」


 生まれた大きな隙にが突進し、衝撃で後方に飛ばされ、地面に背面が叩きつけられた。


 赤々しい斑点が大地とシャツに印字された、滲み擦り切れ、ちぎれているガーゼがこの場で起こっている事態の大きさを一際目立たせる。


『『『『オオオオッ!!』』』』


 手をつき、がピントから外れ、視界の外へと移動した時、ここぞと言わんばかりに一斉に飛びかかってきた。


(くそ……)


 何度も殴られ、滲み出る濁黒の瘴気を避け続け、バランスを崩し、からだがボロボロになりながらも何とか立ち続けた。

 まいの逃げる時間を確保するためにも、ただひたすらにの物体に抗い、挑み続けた。数体は何とか倒せたが、さすがに限界が来ている。全身のいたる関節に重りをつけたようにギチッと鈍い摩擦音が鳴る。


 とっくに虚ろになっていた視界が、強く歪み始めた。


(ちゃんと逃げてくれたかな)


 大きく乱れた呼吸が懸命に肺拍を加速させ、間髪入れずに心拍が強く波打つ。その反動で四肢がガクガクと痙攣しながら震えた。

 身体が生きようとしている。まだ頑張れと血液を循環させてくる。でも、動かない。

 酸素が渡ったところで、それを受容するシステムが悲鳴をあげて、可燃剤さんそが消費されず無駄に終わっていく。頭が回らない。からだが動かない。

 せめて頭だけでも──。と、上げようにも、地面に張り付いたように上がらない。

 16年という拙い経験の中でも結論は出る。

 死を覚悟した。


 刹那──、が何かに飲み込まれ、突如として視界から消えるように吹き飛ばされて行った。同時に体の痛みと気だるさが僅かに引く。

 が吹き飛ばされた方に焦点を合わせると、幻想的にあかく染まっていくのが見えた。

 あかく──


「──え」


 ゴオッと音を立てながら、炎に包まれたが悲鳴をあげる。

 何が起こったのかわからず、上体を上げて放散していくを呆然と見つめた。


「…………なにが──」


 やがて炎は媒体を失い、空気と混じって消失した。残った微かな熱気もすぐにかき消され、も跡形もなく消えた。この場に俺一人を残して。




 膝をついた状態まで起き上がり、そのあとはしばらく動けなかった。全身が悲鳴を上げて痛みを訴え続けているが、そんなものは伝わらない。

 桃源郷にも思える、あかく幻想的な炎。誰かが俺を助けてくれたような都合のいいタイミング。それらに気を取られ、俺は放心状態になっていた。そして、少しした後──。




「──倫也りんや




 背後から俺の名が呼ばれた。

 背後の存在に反応できなかった。

 幻聴であってほしいと願わずにはいられなかった。


「平気?」


 優しい声色が、生きることに精一杯だった身体に血を巡らせ、様々な受容体の活動を再開させる。


まい、どうして……」


 徐々に鮮明になっていく五感を疑った。

 なぜ、今この声が聞こえるのか、感じるのか──と。


「心配だったから──じゃ、だめかな」


 ゆっくりと気配が近づいてくる。


「なんで逃げなかったの。逃げてって言ったのに」


 アスファルトに爪を立て、ザリッと掻いた。


(こんな姿、まいだけには見られたくなかった……)


 たった1つの戦いにすら敗れるほどの弱者。たかが数に圧倒され、敗北した負け犬の背中。

 悔恨、無力、嫌悪、引け目──。様々な自責の念に駆られた背中を、ふわりと傷だらけのからだごと優しく腕を回された。


「私が倫也りんやを置いてどこかに行くわけないでしょ? 3年間一緒にいるんだから、せめて高校いっぱいは付き合ってもらうからね」


 まい抱擁ほうように力が入り、肩にトンっと額が当たる。


「……お願い、1人で勝手にやろうとしないで。じゃないと、私、また──」


 声色が怯えている。抱擁の腕が震えている。一番守りたかった身近な人を不安にさせてしまった。


「ごめん……」




 そこから少しの間、お互いその場から静止したままだった。


「ほら、帰ろ。傷を消毒しないと」


 まいの密着した体が離れ、その間に優しい風が吹き込んだ。


「──失いたくないよな」


 まだ消えていない、この背中の温もりを深く噛み締める。


「ん、なに?」

「いや、なんでもない。あー、俺頑張ったなぁ。まい直々の治療をのぞみまーす」


 地面に大の字で寝転がり、大きく背伸びをした。


「はいはい、うちにおいで」

「よっしゃ、元気になったぞ」

「あ、元気なら無しでいいよね?」

いたたた、急に腹痛がぁ!」

「もう、ホントに都合のいい……」


 まいは呆れ顔で苦笑し、起き上がった俺の手を引っ張った。


 ──大丈夫、気付いてない。気付かれちゃだめだ。


 手を繋いだまいが少しだけ前を歩いていて助かった。


「体は平気? 痛くない?」

「だいぶコテンパンにされたけど、なんか大丈夫っぽい」

「なにそれ」


 今の表情を見せたら、確実に怖がらせてしまう。


 ──ごめん、まい


 拳を交えているうちに知ってしまった。


 ──俺が、やらなきゃ。


 あれだけで終わりではないことを。


 ──守らなきゃ。


 あの災害はまたやってくる。

 だから、俺が強くなって倒せる力を身につけなければならない。


 二度と経験はしたくない。──起こさせない。




 斜陽を浴びながら少年は、強く、固く拳を握りしめた。




 *




「ふう」


 首筋から汗がいくつもの数滴となって流れ落ちた。

 ゴトリッと重量感ある音が自室の床に振動する。


「そうだ。あれ、開けてみるか」


 自分の部屋の片隅に封印してあった、1つのダンボールを開封した。


「うへぇ」


 中身を見て思わず声が漏れた。


「調子に乗ってた俺、ほんとに大バカもんだな。なにを考えてこんなものを……」


 目の前にある──80kgのバーベルを見て、思わず冷や汗が垂れた。


 (でも、これくらい出来ないとだめだ)


 幸い、あの災害に打撃が効くのはわかった。あの様子だと、幽霊みたいに攻撃が当たらないなんてことはないだろう。

 今回の敗因はどう考えても俺の力不足だ。力、立ち回り、体力……。そのすべてにおいて、俺は《影》に劣っていた。

 あれがどういう存在か分からない以上、鍛えておいて損はないはずだ。それに、また誰かと一緒にいた時にも守れる──。

 頬を伝った汗を拭い、顔全体を拭こうと自室をキョロキョロと見回す。


(タオルどこだっけ)


 火照った体を持ち上げ、自室から出た。


(あ、部屋の中だ)


 置き場所を思い出し、踵を返して一度閉めたドアを開けた。

 その時──、足裏の熱を奪われるような感触に違和感を感じた。

 ひんやりしている。タイルのような硬さと無機質的な冷たさが足裏を通じて伝わってくる。


(やべ、部屋間違えた)


 が、廊下に出ようとしても出られない。というより、ドアがきれいさっぱり存在ごと消えてなくなっている。代わりにやけに小綺麗な白い壁がずっとここにいましたよ、っと強く主張していた。


「────は?」


 そこで違和感が気のせいでないと知覚した。そして目に映った景色にも驚きを隠せず停止した。

 視界一面に白色で統一された天井、壁面、床が広がっている。


「どこ、ここ」


 全力で現状を理解しようとする。


(確か、タオルを探して部屋を出たはず。──で、中にあることを思い出して部屋に入った。──が、入ったら俺の部屋が真っ白に塗りつぶされてる……って)


「んー、どういうこと?」


 頭にクエスチョンマークが複数浮かび、首を傾げてしまった。


「異世界転移──なわけないよな。……いや、でも、説得力ないなぁ」


 今の時点で、明らかにこの世ではありえない現象に遭遇しているのだ。これが現実ではないという証拠はどこにもないし、確証もない。


 ──とりあえず情報収集か。


 そう考え、距離感が掴めない白質の長い廊下を目で辿った。──その時。

 コツ、コツ、と規則的な音がこちらに近づくのが聞こえてきた。


 ──足音……誰だ?


 視界一面真っ白だが、よく見ると少し先に直角の曲がり角がある。位置や音の反響具合から、その先にいるらしい。それが、徐々に接近している。

 警戒態勢を作り、かかとを浮かせた。

 人型の影が見え始め、警戒を高める。


「おっ、いたいた」


 軽快な声色と共に、1人の男性が姿を見せた。


「上手くいったようだな。そんじゃ、着いてきてくれ」


 その男性は俺を確認してすぐ、白衣をマントのようにひるがえし、元来た道を戻って行った。


「……なに、どういうこと?」


 あまりの突飛さに毒気を抜かれた俺は、ただ構えを作ったままその場で硬直していた。


「おーい、何してるんだ? 早く来てくれー」


 そんな中、軽快な声が壁面を反響して届いた。




 *




 コツコツ、ペタペタと2人の足音だけが静かに鳴る。


「随分と落ち着いてるな。もっと驚くかと思ったんだが」


 研究員の格好をした男性は、目線だけをこちらに向けて話しかけてきた。


「現在進行形でめっちゃ驚いてますよ。理解の範疇を超えて声にでないだけで」


 事実、何から理解したらいいのかわからず、脳経路がショートしている。


「ははぁ、またまたぁ。だったら、え!? ここはどこ!? 私は誰!? ってなるだろ」

「どこの漫画の住人だ!?」


 半ば反射的に突っ込む。

 それにしてもこの人、どうも一般人じゃない気がする。

 初対面の俺に警戒する色を全く見せず、俺に対して上手くいったとも言っていた。

 そのうえ、俺をどこかに連れていこうと──自主的について行ってる──している。

 漫画の世界でよくある「太郎、俺と一緒に世界を救おう!」みたいな展開になりかねない雰囲気──いや待て。それは一部の世界観のみで許されることだ。だがこの状況はなんだ。まさしくそれと合致している。──いや、よそう。さすがにそれはありえない。いくら謎のに襲われ、謎の炎に助けられ、謎の瞬間移動を遂げ、謎の人物に連れていかれ──自主的に──、謎の場所に案内されてるとしても、世界の数字が変わるなんてことは起きるはずがない。


(って確信持って言えたら悩んでなんかねーよ!!)


「さっきから何をそんなにうんうん唸ってるんだ?」

「え、あ、いや……」


 行動に出ていたか。まずい。なんて言い訳をすれば──。


「さっきからキョロキョロしてるようだが、ここにエロ本なんかないぞ」

「なんでエロ本!?」

「あ、違うか。スマンが便所はもうちょっと先なんだ。我慢してくれるか? 垂れ流しにされたら掃除に困る」

「トイレは我慢してない!!」

「むっ、そうなのか。てっきり便意を我慢しているのかと。いやぁスマンな少年。便意じゃないとは思わなくてな。まあなんだ、便意が来たら我慢せずにぼくに言うといい。便意を我慢するのは体に良くないからな。便意大事。うんうん」

「さっきから便意多すぎだろ!! どんだけ俺がうんこ我慢してるって思われてるんですか!? ──いや、真顔はやめて! こっちがものすごく辛いから!」


 あれほどのすごい冗談の直後なのに、研究員の表情筋はすべてがピクリとも動いていなかった。


「いや、すまない。最近の若い子は随分とオープンなんだなと思ってしまっただけだ。気にしないでくれ」

「すっごい腹立つこの人!!」




 表現が奔放すぎる研究員との剛速球ラリーは止まることなく、歩いている間はずっと突っ込んでいた。

 随分自由に振り回されたが、いつにまにか1つのドア前にたどり着いていた。

 すると、今の今まで変に掴みどころのない雰囲気だった研究員から、ふざけた空気が消える。


「さて、ここまで来た訳だが、これからこの中で見ること話すこと、黙秘厳守だということを肝に銘じて欲しい」


 あまりの変わりよう、場の鋭さにゴクリと生唾を飲んだ。


「約束を破ったら針万本飲ますからな。だから、覚悟しておけよ」

「……いや、恐いわ!!」


 千本の10倍。のど越しも痛みも10倍の処刑を想像して、内臓が縮み上がった。


「どうして君がここに連れてこられたのか、それは全部中で話そう。では、入ってくれ」


 研究員は何もなかったかのように続けた。

 これ以上争っても無駄に感じ、俺は言われるがままに上下に開いたドアをくぐった。

 まず1番に映ったものは、広々とした集会所のような空間。そして、右側に今くぐった扉と同じ構造のドアが2つ着いているだけ。


「何もないですけど?」


 俺は後ろを向いて、研究員に尋ねた。


「そこの奥側の扉」


 研究員が指を指した方に顔を向ける。


「その中に君をここに招待したお方がいる。ボクも少し準備をしてから行くから、先に中に入っておいてくれ」


 それじゃっと、手を振って部屋から出ていく男性に軽く会釈をして、言われた通りに奥側の扉の前に立ち、少し逡巡しゅんじゅんした。


「自動ドアって、ノックできるのか?」


 ドア口を叩こうとしたが、自動ドア相手にノックする人はいないだろう。しかし、しないのは失礼だ。


『入りたまえ』


 中から低く野太い声が聞こえた。

 予想以上のハスキーボイスに驚いて飛び跳ねるが、深呼吸で自分を落ち着かせてから一歩近付いてセンサーに自身を感知させた。

 自動ドアが開き、中の様子があらわとなる。


「し、失礼します」


 一歩分中に入り、後ろでドアが閉まったのを確認した後、小部屋の中を一瞥(いちべつ)した。

 数え切れないほどのパソコンの画面、図書館の一部を切り取ったような本棚、そして、中央には2人は座れるようなソファと見間違えてしまう程の大きな回転椅子。


(すげぇ、秘密基地みたい)


「ようこそ、嘉田来かたらい倫也りんや君」


 不意に呼ばれた名前に反応し、回転椅子ソファに体を向けた。

 椅子が回転し、そこに座っていた深い声の主が明らかになる。

 髪は白脱しており、口周りには長く伸びた白い髭が目立つ。白髪は後ろでまとめているらしく、ボサボサとした感じは見られない。白い修行僧のような着物に包まれ、筋骨隆々な肉体が印象に轟々とした影響を与える。

 70代後半にも見えるが、俺よりも2回りほど大きく、衰える様子を見せない隆骨格は実際以上に老人を若く見せている。


「歓迎するよ」


 差し出された手を握り返した。


(でかい……この人、いくつあるんだ?)


 指の間接2つ分程老人の方が大きかった。まるで巨人サイズだ。


「では早速本題に入らせて貰うが、良いかね?」


 圧倒された俺は、ながらに任せてコクリと頷いた。

 巨大な老人は、俺の反応に満足したような笑みを見せ──、




倫也りんやくん、英雄にならないかね──」




 ──と、長く続く闘争に俺を推薦した。

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神々の闘争 War of the spirits ラザニャン @ra-za

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