第22話 男子の陰に隠れて

2020年、3月20日(金)。


本日、プロ野球が開幕する。選手はもちろん、ファンにとっても今日は特別な日だ。新年度の幕開け。全ての関係者にとって、一年で最も大切と言っていい日である。


ジュピターズの応援団長である元木隆の妻・雅子がオーナーを務める喫茶店「カフェ スリーベース」には、今日もプロ野球を愛するお客で溢れている。


「今年のクレインズは優勝間違いなしだな!」


「エースの鳩山が15勝はするはず!そして期待の若手の内本も今年は…」


たくさんの人が、地元のプロ野球団である通葉クレインズへの期待を語る一方、ジュピターズの話をするお客はほとんどいない。

実は今日、男子プロ野球だけでなく女子プロ野球も開幕するのだが、お客は誰もそのことを話題にしていない。お客の中に、女子プロ野球の存在を知るものが何人いるのだろう。ジュピターズは昨年ぶっちぎりで日本一になったとはいえ、男子プロ野球の影に隠れて全く陽の目を見ない状況だ。


夫がジュピターズの応援団長をしている雅子は、女子プロ野球の話題が全く出ないことを寂しく思っていた。スリーベースの店内にジュピターズのポスターを貼るなど、女子プロ野球を広めようと工夫はしているのだが、相変わらず店内は男子プロ野球の話題で持ちきりなのだ。


「雅子さん、開幕戦だし、隆くんはもう球場へ行ってるのか?」


常連の村田健司がカウンターに座り、タバコをふかす。


「健司さん、来月からタバコ吸えなくなるからね、今のうちに吸っとくんだよ」


「そうか、受動喫煙防止法か。おれらにとっちゃ厄介なもんだけど、吸わない人の権利を守るためには至極当然だ」


雅子は健司に灰皿を渡しながらさらに続けた。


「今日から女子も開幕だからねぇ。でもさ、あんただけよ、女子プロ野球の話するのって。みんな知らないもん、存在自体。うちでももっと広められたらいいんだけどね」


「まぁ、派手さは男子には勝てねえわな…。どこで差別化するか、難しいところだ」


健司も俯いた顔で語った。健司も女子プロ野球の大ファンで、よく隆と一緒に観戦に出かけている。しかしながら観客がなかなか増えない状況にファンでありながらも頭を抱えている。


「野球をやりたい女の子が増えてるのはものすごく分かるんだけどねぇ…。2年前、この辺りに中高一貫の女子野球チームができたでしょ?その子たちもよくこのカフェに来るんだけど、ほんとに生き生きしてて、野球が楽しいんだろうなって思うのよ」





9時45分。ジュピターズの選手が湘南球場に集まった。


「ついに開幕よー♪今年も優勝!」


そう言いながらロッカールームで着替えているのは、今シーズン外野手のレギュラーを虎視眈眈と狙う、佐久本華だ。華は今シーズン、育成チームの千葉フェザンズからトップチームであるジュピターズに昇格した期待の若手である。華麗な守備を武器に、オープン戦でも出場機会を増やし、課題であったバッティングでも成績を残した。

昨シーズン、いや、キャンプ中盤と比べても、明らかに腕が太くなっている。

バッティング技術向上の鍵となった、アンダーシャツの上からでもはっきりと分かる鍛え上げられた肉体を、キャプテンの美紀がまじまじと見つめた。


「華ちゃん、すごいね!毎日見てるのに、はっきり変わっていくのが分かる肉体美♪」


「やん、美紀さん、そんなにじろじろ見ないでくださいよ、恥ずかしいじゃないですか」


「華ちゃんのトレーニング動画、ジュピターズのインスタで一番人気ですよ♪」


そう言って寄ってきたのは、ジュピターズ広報担当の松井真衣。今シーズンはジュピターズがこれまで疎かにしていたSNSにも力を入れるべく、真衣の気合いが前年とは比べ物にならない。


「やっぱり動画見る人は実際に野球やってる人が多くて、自分の参考にしようと思って見てるから、トレーニング動画が大人気なんですよね」


今年は優勝だけではなく、ファンを増やすための様々な企画を考える真衣。そよ風に吹かれる彼女の後ろ姿が、もしかするとチームで一番頼もしいのかもしれない。

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