第19話 VS育成チーム②

先発の未央奈が投球練習を始めた。彼女のサイドハンドから繰り出されるスライダーはほぼ真横に曲がり、フェザンズの選手たちの視線を釘付けにする。


「わぁ、本物の後藤選手のスライダーだ…」


フェザンズの高卒ルーキーたちが口々に呟いた。本来ならライバルとして未央奈を打ち崩さなければならないが、日本一に輝いた高校生の生の投球練習を見て、皆言葉を失っている。一度でいいから対戦してみたいと未央奈に憧れる選手は多く、本日の試合の意味合いはフェザンズの選手にとってかなり大きい。


「プレイボール!」


試合が始まり、先攻のフェザンズの攻撃は、1番を打つ片山美沙から始まる。インターハイでは残念ながら未央奈との対戦はなかったが、実は練習試合で一度だけ対戦したことがある。未央奈のウイニングショットであるスライダーを打ってピッチャーゴロに倒れているのだが、未央奈の記憶には全くそのことがないようだ。未央奈の母校である大阪大安高校では、かなりの数の練習試合が組まれており、1つ1つの対戦を覚えていないのも無理はない。大安高校の年間の試合数は、女子プロ野球のそれよりも多いのだ。


(バァァン)


初球は外角いっぱいに決まるストレート。スピードガンは120km/hを示した。


(すごい、これが高校ナンバーワン投手の球…)


2球目もストレート。今度は内角にズバッと決まった。美沙は自分が出塁することを一切考えず、ただただ未央奈と対戦できていることに感動していた。プロ野球選手として打席に立ちながら、心中は完全に1人の野球ファンである。


「ストライーク!バッターアウト!」


3球目もストレートで、三球三振。全く手を出すことができなかった美沙。しかし彼女の表情は妙に清々しい。プロ野球選手になったという実感と未央奈と対戦できた喜びで、頭の中がいっぱいになってしまっているようだ。


2番津村瞳美も簡単に打ち取られ、2アウト。瞳美と未央奈は2019年のインターハイ1回戦で対戦しており、結果は3打数1安打。当時はあまり未央奈が投じることのなかったフォークボールを、センター前にはじき返した。しかし当時よりもキレを増したフォークに、瞳は全く対応ができずにバッターボックスを去る。


「未央奈、ナイスピッチ!去年のインターハイを見てるみたいだったよ!」


続く打者も一瞬で片付け、さっそうとベンチに戻る未央奈に、大卒3年目今シーズンで25歳になる岡本愛子(おかもと あいこ)が声をかけ、未央奈のお尻をポンと叩きながら彼女の投球を労った。


「ありがとうございます!愛子さんが後ろで守ってくれてはったんで、心強かったです」


未央奈の少しぎこちない笑顔がはじける。今まで野球に真面目すぎて、試合中に笑顔になることは少なかったのだろうか、なかなかユニホーム姿では笑えないようだ。


ジュピターズの初回の攻撃は、1番の京極聖(きょうごく ひじり)から始まる。聖は大卒2年目を迎える外野手で、昨シーズンはレフト・センター・ライトでそれぞれ2試合ずつスタメン出場があったものの、18打数3安打打点0の成績に終わった。昨シーズン不動の3番ライトととして君臨していたキャサリン・ガードナーが帰国し、その穴を埋めるべく外野手の争いは例年になく激化しており、聖もその一角を狙って日々練習に励んでいる。


フェザンズの先発投手は、高卒ルーキーの一文字七瀬(いちもんじ ななせ)。インターハイでは、速球を武器に並み居る強打者を次々をアウトにしベスト4に輝いた。高校生では未央奈に次ぐNo.2の投手と言われていたが、体調面で不安があるということで、自ら育成枠での指名を希望した。

同じ高卒ルーキーでもかなり華奢な未央奈と比べ、七瀬は下半身がかなりしっかりしている。高校時代にかなりトレーニングをしてきたのだろう、脚の太さはパッと見た感じ倍ほどにも見える。この体を持ちながらも、今シーズンは体作りに専念すると決めた七瀬。将来が楽しみである。


「プレイ!」


七瀬の1球目。いきなり内角のストレートが聖の顔面付近を通過した。その球威はトップチームの選手とさほど変わらないが、キャッチャーが構えたのは外角低めだった。


「七瀬ちゃん、大丈夫!」


「頑張れー!」


スタンドは、彼女を励ます歓声に包まれた。声を出すファンのほとんどが2019年度の女子硬式野球インターハイのグッズを身に付けている。高校野球時代から七瀬を応援し続けている人々が、ここ通葉市にまで駆けつけているのだ。


七瀬の投じたボールはストライクゾーンからは大きく外れ、ストレートのフォアボール。


「(ドドドン)七瀬!(ドドドン)七瀬!」


450人ほどの観客が次第に立ち上がり、七瀬コールが自然発生した。


「すごい歓声…。ジュピターズの応援の何倍もすごいんじゃないかしら」


ベンチから戦況を見つめる明日香が小さな声でつぶやいた。未だかつてジュピターズの選手がここまでの歓声を受けているのを、明日香は見たことがない。

「ファンに愛される」というプロがプロであるために最も大切にすべき部分が、育成チームの選手に完全に負けているのだ。


七瀬は帽子を取り、ファンの励ましに応える。それに対して更に湧くスタンド。試合が始まってから七瀬はまだ4球しか投げておらず、しかも1球もストライクが入っていない。そんな投手に対しての大きな拍手と声は、まさにジュピターズが目標としているものであった。この歓声がなかなかもらえず客足が伸びないというのが、昨シーズンぶっちぎりで優勝したこのチームの最大の悩みなのである。


「何よ、何が違うっていうのよ…」


ベンチで美紀が俯きながらつぶやいた。自分たちが最も求めているものを、高校を出て間もない若者たちがあっさりと手に入れていることに、大きな焦りを感じてしまっている。


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