第17話 野球教室②

「お願いしまああああす!」


威勢のいい声が球場に響いた。暖かく緩やかな風が吹く、雲一つない空とそれに負けない爽やかな声。その主はオリーブガールズの中学2年生、北尾えりな(きたお えりな)だ。


彼女は中学に入学した当初はソフトボール部に所属していた。小学生のころから野球をしたいと両親に訴え続けてきたが、泣く泣く地元のソフトボールクラブに入団。4年半の間、野球への思いを募らせながらソフトボールをプレイし続けてきた。

彼女に転機が訪れたのは彼女が中学に入学してすぐの頃。地元に中高生対象の女子野球部ができるという情報を、何故か美術部の男子から聞きつけすぐに入団した。積年の願いが叶った瞬間だった。


「えりなちゃん、いいねえ!エナジー感じるよ!その調子!」


ノックを打つ奈緒も気合が入り、どんどん厳しい打球を放つ。帽子から垂れるえりなのポニーテールが激しく揺れ、スパイクは砂塵を巻き上げる。


「走れ!えりな!」


奈緒の大声が青空に響き渡る。

その異様とも言える雰囲気に、後ろに並んでいた高校生たちは唖然とし、後退りをした。えりなは思い切り野球ができることに高鳴る気持ちが抑えきれない。両親に反対され続け、女子が野球をやることを何も関係もない人たちから非難され続けた。それでも全く野球に対する熱意が冷めることはなかった。

えりなの声はさらに音量が上がり、外野でノックを打つ麗たちも何が起こったのかという表情で内野を見た。球場は、完全にえりなのオンステージだ。


ノックが終わり、奈緒がえりなに声をかける。えりなも奈緒も、ユニホームは泥だらけで汗が滴り落ち、肩で息をしている。2人の姿がノックがいかに激しいものだったかを物語っていた。


「えりなちゃん、いい動きだったよ。脚の使い方がよかったね。それだけ動けたら取れない打球なんてないわ」


「は、は、はい!!ありがとうございます!!憧れの小諸選手に褒めてもらえるなんて…。感激です。私、小諸2世って呼ばれるように頑張ります!」


奈緒はえりなの健闘を讃えた。彼女が長年抱いていた野球への想いは奈緒のそれとよく似ており、明らかにえりなにだけ強いノックを打っていた。

奈緒も野球をやりたいと願いながらも小1から中学までソフトボールをプレーしていた。幼い頃に男子プロ野球の試合を生で見てからずっと野球をやりたいと思い続けてきたのだが、地元に女子が野球をする環境は整っておらず、高校になって親元を離れて、ようやく野球をすることができたのだ。

似たような境遇に立つえりなと自分を重ね合わせ、どうしても力が入ってしまったというわけである。


「えりなちゃん、絶対女子プロにおいでね。私待ってるから。中学生でこんなにちゃんと守れる子見たことないよ。かなりレベル高い。打つ方も頑張って、また一緒に野球しよう」


えりなの守備の動きは、オリーブガールズの高校生たちよりも明らかに機敏で、男子高校生のそれにも負けないほどであった。女子プロ野球でも、球団によっては今の時点で守備だけならレギュラーを取れるのではないかというレベルだ。

このような逸材を目にした奈緒の目は普段とは違う輝きをしていた。今までは自分のプレーで精一杯。相手選手の考えることにすら意識がなかった奈緒が、学生に熱いメッセージを送った。それは奈緒の精神的な成長を示すものであり、監督である祥子の目にもしっかりと映っている。


(あの子、だんだん自分以外に意識が向きはじめたわね。去年は子どもたちに声をかけることなんてなかったもの)


「あ、小諸選手!最後にいいですか?」


「ん、どうしたの?」


えりなが奈緒を呼ぶ。


「あの、その…」


下を向き、顔を赤らめながら恥ずかしそうにするえりな。


「ほっぺびろーんってしてもいいですか…?ほら、さっき上手に打球処理できたら触らせてくれるって言ってたじゃないですか…」


「あ、そうだったね、はい、どうぞ!えりなちゃんだけ特別だよ♪」


「あ、すみません、失礼します…あ、すごい…。あぁぁぁぁぁあ奈緒さぁぁぁぁん!びろーーーーん」



「何してるんですかあの2人」


オリーブガールズの投手たちにピッチング指導をしていた梢が、2人を不思議そうに見つめた。


「あなたが普段奈緒ちゃんにしてることを、中学生がやってるのよ。あなたたちは外からはあんな風に見えてるの」


智子の冷静なツッコミを受けた梢は、普段よりさらに深く帽子を被り、無言で指導に戻った。

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