第9話 シーズン初戦④

3回の裏、ジュピターズは7番の堂本柑奈(どうもと かんな)が打席に向かう。彼女は女子プロ野球創設時より在籍するベテラン選手で、10年間の通算打率は.295と安定した成績を残している。プロに入ってから未だに本塁打はゼロで、今シーズンこそはホームランを打とうと肉体改造に励んでおり、オフは毎日明日香とともにジムに通い体を苛め抜いていた。


「柑奈さん!でっかいのお願いします!」


「大人の魅力見せてください!」


ベンチから大きな声が飛ぶ。ようやく自然に声が出るようになってきた姿を、祥子は微笑みながら眺めていた。


(やっと仲間同士で気持ちを高め合うようになってきたわね。これが続けば今年も勝てる。)


ベンチの雰囲気が少しずつ変わり、右打席に立つ柑奈の表情もこころなしか明るいように見える。


第1球。サタンズの先発投手古市忍のストレートが外角に外れた。筋トレの効果もあってか柑奈の身体はかなり大きくなり、長距離砲の威圧感を放っている。昨年よりも明らかに雰囲気のある柑奈に、相手投手もかなり委縮してしまっているようだ。柑奈は昨シーズンは7番を打ち、今日もその打順を打っているが、今日の活躍次第ではクリーンアップを任される可能性もある。「女子野球選手は30歳になれば終わる」と言われているが、彼女はここからまだまだ進化するつもりだ。


2球目、外角高めいっぱいの直球に手を出し、三塁ベンチ前に強烈なライナーが飛んだ。もう少しでダッグアウトに入ろうかというような当たり。サタンズの能勢監督は驚いてひっくり返ってしまった。


「柑奈さん、そっちじゃないよ!」


「野球の時もイケメン狙いですか!」


物静かな柑奈だが、実はかなりのいじられキャラで、味方ベンチから飛ぶヤジの量は柑奈に向けられたものが一番多いのだ。あまりのヤジに柑奈も苦笑い。その笑顔こそファンに愛される理由の一つである。昨シーズンも後輩からのヤジに思わず笑ってしまうシーンを何度もファンのカメラに収められている。


(カキィン)


3球目、甘く入ったストレートを柑奈は完璧に捉える。打球はホームからレフト方向に緩やかに吹く風に乗り、ポール際にぐんぐん伸びる。レフトを守る広野美浪(ひろの みなみ)が懸命に打球を追い、落下点に入ったかのように見えた。しかし、春の風の力を借りた柑奈の打球はわずかに広野の頭上を越え、ポール付近にポトリと落ちた。

肉眼で見たところフェアかファウルかは判断できないほどの際どい打球。三塁塁審は2秒ほどポール際を見つめた後、右手を高々と上げて大きく回した。ホームランだ。プロに入って10年、公式戦だけでなく練習試合やオープン戦、ポストシーズンでさえもホームランを打ったことのない柑奈が、スタンドに打球を叩きこんだ。

実は小学校時代から高校時代までもランニングホームランを含めアーチをかけたことはなく、人生初のホームランだった。2塁キャンバス手前まで全力疾走をしていた柑奈は何が起きたか分からず、引き続き全速力でダイヤモンドを一周する。ホームランを打った時の走り方が全く分からないといった感じだ。三塁コーチャーで祥子と同い年であるベテラン投手の土狩純菜(とがり じゅんな)とハイタッチをした瞬間、やっと笑顔が見られた。


「ナイバッチ!」


「セクシーでした、柑奈さん!」


柑奈は野手最年長ということもあり、「大人の女性」としてベンチから声をかけられたり茶々を入れられることが多い。

さらに彼女は女子プロ野球でも有数の美女で、男性ファンが非常に多い。彼女が打席に入った時にカメラを構えるファンは、他の選手とは比べ物にならないほど数が多く、昨シーズンファンのSNSに上がった写真は柑奈のものが圧倒的に多かった。

打席が終わってもなおフラッシュがきらめき続ける中、ベンチに帰り一人ひとりとハイタッチではなくハグをする柑奈。口数があまり多くない彼女は、きりっとした表情で静かにガッツポーズをして、次の回の守備の準備を始めた。


続く打者3人は続けて打ち取られ、3回の裏の攻撃が終わった。4-1でサタンズがリードしているが、ジュピターズのベンチは負けているとは思えないような明るい雰囲気に包まれている。


(柑奈!柑奈!柑奈!)


スタンドのジュピターズファンから大歓声が起きた。彼女が人生で初めてホームランを放ったことを観客も知っており、彼女以上にファンの方が喜んでいるようにさえ見えた。スタンドと選手が一体になった瞬間。柑奈は帽子を取り、深々と一塁側の観客席に向かって一礼。顔を上げた後の美しい表情に、またたくさんのフラッシュが光った。

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