第8話 シーズン初戦③
2回表。サタンズは4番の田中由美子から攻撃が始まる。笑顔でロジンバッグを触り、マウンドであどけない表情を見せる未央奈。練習試合とはいえ、プロ相手に緊張した様子が全くないところは、さすがインターハイ優勝投手である。緩やかに吹く春の風が、未央奈のポニーテールを揺らした。
「もう一回三者凡退!いくよー!」
智子の声は、即戦力として期待される大卒ルーキー由美子と未央奈への歓声に掻き消された。由美子は女子野球関東六大学リーグで新記録となる打率.467を記録し、2018年のワールドカップにも大学生として唯一選出され、昨年のインカレでも日本一に輝いた。
この対戦はインターハイ優勝投手対インカレ優勝チームの4番打者という、ファンにはたまらない戦いなのだ。
第1球、110km/hのストレートが内角低めに外れる。未央奈の直球としてはかなり遅い。この異様ともいえる雰囲気に少し動揺してしまったのだろうか。2球目も外角へ外れ、カウントは2-0。先ほどの笑顔とは打って変わって、未央奈の表情から焦りが見てとれた。そして3球目。
(カキィン)
打球は高々と上がり、ライトスタンドの防球ネットへあっという間に突き刺さった。投じたのは彼女の決め球であるスライダー。甘く入ってしまったわけではない。コースは外角の厳しいところに決まっていたのだが、あまりにも軽々とスタンドへ持っていかれてしまった。由美子は全く表情を変えずにダイヤモンドを一周する。
(高校の時はあの球ヒットにされたことすらなかったのになあ…。)
呆然と立ち尽くす未央奈。彼女は何が起こったか全く理解できない様子だ。動揺してしまったのか、この後も3安打を浴び、この回2失点。打たれたのは全てスライダーだった。自信を持って投げ込んだ決め球をいとも簡単にホームランにされ、深く落ち込む未央奈。高校時代は多少甘くても打たれることはほとんどなかったが、相手は控え選手とは言えプロだ。高校生がそう簡単に通用する世界ではなかった。高校生No.1投手といえども、プロ選手との実力差は大きかったようである。
「未央奈!大丈夫だよ、まだ2点じゃん。この後抑えたらいいの!打たれて覚えることもあるし」
智子が未央奈とハイタッチ。今季29歳になるベテラン捕手は、彼女の心中を察して優しい言葉をかけた。
「はい、高校の時はあのコースのスライダー打たれたことなくて。プロって怖いなって思って腕振れなかったです」
未央奈は続く3回も2失点を喫し、3回8安打4失点でマウンドを下りた。残念ながらほろ苦いデビューとなったが、アウトを取った時の明るい表情は祥子にかなりの好印象を与えた。
「未央奈、いい笑顔だったわよ。今日は結果は気にしなくていいわ。少しでもプロの勝負を楽しんでもらえたらと思ったの。初回はスライダーもしっかり決まってたし、OKよ」
祥子が未央奈を呼び、今日の投球を労った。確かに打たれはしたが、未央奈はマウンド上では不安そうな表情も見せず、むしろプロの雰囲気を楽しんでいるようにも見えた。実力差があることは否めなかったが、高校生の時以上に野球に集中できる環境に身を置いたこと自体に喜びを感じ、ホームランを打たれて以降はマウンドでも自然に笑顔が出たようだ。
「打たれましたけど、自分がプロに入ったんやなっていう実感がだんだん湧いてきて楽しくなっちゃいました。スライダーの球威が課題やって分かりましたし、これから一つずつクリアしていきたいです。次は絶対0点に抑えて見せますよ」
未央奈はへこたれずに自分の乗り越えるべきことを冷静に分析し、次回の登板にも意欲を見せた。
「未央奈!ちょっといいかな?今日のピッチングのお話しよっか」
次は智子が未央奈を呼び寄せ、今日の投球の反省を行った。
「技術的な部分に関して言うと、スライダーの曲がりがちょっと早かったかなって思った。ブルペンではもっとバッターに近いところで急激に曲がるようなイメージだったけど…。実際に打者と対戦すると腕が振りにくかったのかも」
練習試合とはいえプロ初登板。さすがのインターハイ優勝投手でも、緊張しないわけがない。
「正直ものすごく緊張しました。こんなプレッシャーの中で野球をしたことなかったんで…。でも途中からは楽しんで投げられた気がします」
「そうね。ホームランを打たれてからはすっきりした表情だったわね。あと、私もスライダーに固執しすぎてサインだし過ぎたかな。もっと真っすぐで押せたかも」
今日のプレーをしっかり分析し、次回の登板につなげようという智子の熱い気持ちを受け、未央奈の表情も引き締まった。
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