花の壁は高く、希望は満ちる

 相変わらずフードコート内でも目立つジャージ将軍。

 部活帰りの学生……というには何とも違和感があり、似合っているか、といわれればそうでもなくて……まぁとにかく、どこにいようと見つけやすいのは利点だろう。

「遅い」

 将軍様の昼食を、指示通り買いに行って、このサッカーコート一面はつくれるであろう広大な無法地帯から探し出すのに七分という時間を要したが、むしろ早いくらいだろう。

 何も言わず注文品を秋穂の前へ置く。

「な、何よ……何か言いたそうじゃない」

「いや、別に」

 ふと冷静になってみて、どうして、俺がここまでパシられなければならないのだろう。という疑問が浮かんできたが、どうせ『それは、翔太郎が生まれた時に決められた運命』とか言われるに決まっているから、あえて聞かない方が賢明という訳だ。

 秋穂は、いただきます、というとすぐに目の前のハンバーガーにかぶりついた。その姿はお世辞にも、凛々しくて思わず見とれてしまうような美しいことはないが、幸せそうな秋穂を見ているだけで、つい満足してしまう。つくづく、俺は人がいいな。と、自分を惚れ直してしまうくらいに……

「で、翔太郎はどうなのさ」

「どうなのさ……とは、いったい何が?」

「そりゃ~、コイバナに決まってるじゃない」

 “コイバナ“それは、男子、女子関係なく大好物な話題であり、下ネタと並んで学生の共通言語と言っても差し支えない程、日本中の学生が頻繁に使うある意味での武器である。自分が話題に上がらない時は、まるで小説を読んでいるかのように、甘酸っぱい恋の世界へ溺れ、聞いているだけで満足できるのだが、自分が話の中心へとくると、いつのまにか他人に内情を知られ、弱みを握られる、という恐ろしい兵器でもある。

「何もないよ」

「まだ、昔のあの娘が好きだったりして?」

「昔のあの娘?何のことかわかりませんね」

「正解ですか~」

 秋穂のいう『昔のあの娘』に心当たりはしっかりとあるが、別に思い続けている……なんてことはなく、もはや記憶からも消そうとしていた。『恋は上書き保存』という名言があるくらいなんだから、昔の事なんてもうとっくにデータの海へ沈んでいった。

「残念外れだな。気になる人はいても、心から好きな人はいない」

「あ、もしかして、秋穂ちゃんが好きなのかなぁ~?」

 少しニヤついて、こちらをみてくる。

「じ、実は、秋穂のことがずっと前から好きでした」

 ラジオ放送でやれば、放送事故として後世に名を遺すくらいの棒読みで彼女へと気持ちを伝える。無論、この“好き”は男女間の関係を表す“好き“ではなく、友人として、幼馴染として大切に思っている方の”好き“である。簡潔に表すならばLikeとloveかな?

「翔太郎に好きって言われたぁー!もう秋穂ちゃんよそのお嫁にいけなーい」

 こちらも、負けじと棒読みで返してくる。そのまま無言の視線が交差し、思わず笑ってしまった。

「翔太郎、これからもよろしくね」

「こちらこそ」

 これも先ほどと同様。唯一無二の幼馴染としてこれからも相互協力を約束したただ、それだけだ。

「というわけで、次のお店へレッツラゴー!」

「ええ……」

 これからもこの行動力に振り回され続けるのか、と思うと……はぁ、先が思いやられますね。ハイ。


「じゃ、またねぇ~」

「ほいほい~」

 すっかり御日様は地球の裏側へ行ってしまい、月明かりが一人になった俺を照らす。

 何はともあれ、幼馴染との一日が終わった。そして、俺の大切な大切な休日が俺の前に現れることは無く、消えて行った。


 平日はとんでもなく長く感じたが、何はともあれ乗り越え現在金曜日の二十時と少し。明日は土曜日!普段は学校の授業が普通にあるのだが、陸上競技部は記録会の為、公欠という学生にとっては一種の魔法カードを切った。

 合法的に学校をサボれる、という優越感は経験者にしかわからない感情を生み、まるで遠足前日の小学生のようにウキウキするものである。

 IH前の最後の記録会。一見すると別に大切な試合のようには見えないが、IH前の自信やコンディションの確認につながる、精神面で大きな役割を果たす試合だ。そして、惜しくもIHの校内選考に敗れてしまった三年生の最後の試合……というのが例年なのだが、幸いにも今年の三年生は少なく、おまけに個人個人の競技力が他学年よりも高いので全員地区IHに出場できる。

 幸いなことに、二年生ながら、俺はメンバーに入っているのだが、二年生は半数近くがメンバーに入れていない。地区IHに出るという事は学校の看板を背負う事であり、出られなかった同胞の想いを背負う、そんな想像以上に重たい事なのである。

 そんなことを考えながら、見知った天井をベッドの上から眺める。

 天井というものは不思議なもので、面白みがないからこそ、自分自身を写しだす、鏡のような役割をもたらす。ただ、そこに素材として、家の一部として存在するだけではあるが、またそれこそが、良いのである。

 部屋の明かりを消して、そのまま就寝体制に入る。耳に水色のイヤホンを差し込み、大好きなネットアーティストの曲を流す。

 少しずつ音楽の心地よさと睡魔が交わって意識が遠のいていく。この感覚がすごく気持ちがいい……


「次、紗希先輩だよ!三レーンね!」

 朝イチで始まった高校女子共通100m

 日光に照らされたホームストレートの七組三レーンに現在足を踏み入れたのが、12点の先輩こと、早川紗希先輩。

 鍛え抜かれた肉体は、周りの選手と比べると、その差は歴然としている。セパレートの間の腹筋が、彼女の努力を物語っている。

「On your Marks」

 スターターの号令がかかった瞬間競技場は、彼女たちの世界へと変わる。静寂に包まれ、スタンド上の隣人の心臓の音が聞こえてきそうなくらいに。

「Set」

 自分が出ているわけではないが、思わず息をのむ。

「Ban!!!」

 発砲音と共に、水を得た魚のように、勢いよく体を前へと進める。

「キタッ!!」

 思わず声を出してしまう程、紗希先輩のスタートは美しかった。周りの誰よりも速く一歩目を踏み出し、力強く地面を蹴っていく。

 そして、先頭で100mラインをトルソーで抜けて行く。

「速報は!!」

 100mラインの内側にある、黄色のタイム計は『12秒64』を示していた。

「凄い……」

 以前より確実に伸びている。同じ組に競る相手が居なくて、このタイムはかなり優秀だろう。IHでベストタイムを更新する、そんな確信を持たせてしまうくらいに。

 ゴールすぎで、ホームストレートに向かって、礼をしている姿は、凛々しくカッコよかった。


「「「お疲れ様です~」」」

 紗希先輩がスタンド上の待機場所へと帰ってきて、部員が一斉に言葉をかける。そして、ワンテンポ遅れるようにして、俺も『お疲れ様です』と告げる。

 ニコッと微笑んで、スタンドの上へと上がっていった。

 微笑んだあとにみせた少し寂しそうな顔は、今日の走りに満足しているようで満足していない。そんな顔だった。

 “風霜 一花” ——おそらく紗希先輩はこの記録会でここにはいない好敵手の姿を思い浮かべ戦っていたのだろう。

 確かに彼女と競うにはまだまだ足りない。12秒11のベストを持つ彼女にはまだまだ及ばない。彼女との決戦までは残り一か月と少し。勝負はIH中央大会……地区IHを突破することは最低条件。

 そんな俺たちとは違う高いレベルで一人孤独に彼女は戦っている。そんな彼女のようになりたいとも思った。高い水準で青春を懸けられる、キラキラしたものが彼女にはあった。果たして、それが俺にはあるだろうか、そう考えた一年の夏から、俺なりに彼女のようになるため、邁進してきたつもりだ。もうすぐ、俺の競技の招集がかかる、ここにきて不安と緊張が俺の胸を襲う。今までの陸上人生とは明らかに違う。試合一つ一つに意味がある。そして、この試合で、約半年かけて作り上げてきたモノが証明される。

 吉と出るか、凶と出るか……半年前の自分よ!いざ尋常に勝負!!

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