12点の凛々しき先輩

 二人と時空の間に一瞬の間が空いた。まるで何か禁忌を犯してしまったかのように。

 彼女の顔が少しずつ朱く染まり始める。そして、視線はだんだんと下へ移っていった。

「それはね……なんとなく……」

 謎の間のせいで妙に緊張してしまう。拳に汗をかきながら、息をのむ。

「久しぶりの再会すぎて、しかもこんな形で。なんか重たい女だなって思われるかもしれないなって……」

 自分の顔が無駄に熱くなることが分かった。どんだけ純粋なのさ……確かにやってることストーカーじみて一般論からすれば”重い女”に該当するのかもしれないが。

 ただ、この事を知って一つの事が、脳裏を過った。それは、この疎遠だった期間彼女は、俺の事を想い続けてくれていたという真実に対し、自分は他の女性に対し好意を持ち、彼女の事は記憶からも消してしまおうとしていた、という想いの交錯点が存在するところだ。

「でもね、本当のことを言うと、しゅうちゃんを追って来たってだけでもないの」

「他にも理由があると……」

 少し肩の荷が軽くなった気がした。

「お父さんの転勤が決まってね、結局こっちの高校に行くことにはなってたんだけど……どうせなら、約束も果たせるし、瑞城にしようかなって……」

 父親の転勤+俺との約束か……それならこちら側のウエイトは軽いというわけだ。それならそれで、父親の転勤の影響という方を先に伝えてほしかった。地方からわざわざ追って来たのでは?という謎の罪悪感をもってしまったではないか。

「なるほど……色々大変だったんだな……」

「でも、またこうして出会えることが出来て、約束を果たせたわけだし……しゅうちゃん。これからもよろしくね」

 彼女のおしとやかな笑みがまるで五年間という膨大な時を感じさせないかのように俺の視線を支配した。

 幽体離脱したかのように意識が飛んで行っている俺を差し置いて、HRの鐘が騒がしい教室に鳴り響いた。


 HRと接続する形であった終礼も終わった。結局アレから彼女と接触はしていない。配られたプリント類を乱雑に鞄にしまい、部室へと足早に駆け抜ける。

 別に急ぐ必要もないのだが、何故だか今日は部活に行きたい。そんな気分だったのだ。


 部室には一番乗りで到着する。誰もいない部室は先ほどの騒がしかった雰囲気からは一転変わって、外界から遮断されたように静かで少し肌寒いようにも感じた。

「さすが翔太郎~はやいねぇ~」

「紗希先輩こそ」

 部室の扉を勢いよく開けて悪戯な笑顔で入ってきたのはビューティースプリンターこと、早川紗希はやかわ さき先輩。黒髪ショートカットの高身長。スラッとした体形からは想像できない程の筋力量を持ち、地方でも名の知れたスプリンターであり、僕の憧れにして目標でもある。

「いやぁ~私は、部長として早めに来ておこうかなぁ~という当たり前の務めをしているだけでございますわよ?」

「冗談は学力だけにしておいてください。いつも一番最後に何食わぬ顔で来るじゃないですか。どうせ、新入部員にいいとこみせようとしていただけでしょ?」

 ビンゴ……といったところか。両腕を組み、紗希先輩はこちらをじーっとみつめてくる。

「冗談は学力だけってどういうことよ……」

 睨みが強くなる。

「12点……」

 先輩の顔が林檎のように赤くなる。

「いつまでそれ引っ張ってるのよぉおおおおおおお!!」

 12点.それは紗希先輩の去年の二学期末テスト英語の点数。部活規則によって34点以下は部活動が一週間停止になる。それをなんとかごまかそうと、山本先生に泣きついていたのにたまたま出くわし、職員室の窓越しによ~く見ていたから、この件を知っているのである。

「あんた、それ誰かに言ってないでしょうね!!」

「ご安心ください。こんな面白い事、他人に教えるわけないじゃないですか~これをイジれるのは僕だけの特権にしておきたいですし」

「翔太郎の意地悪……」

 紗希先輩が時々見せる、弱った様子はなんともかわいらしい。まるで小動物のように。っと、誤解を招かないように言っておくが、俺はMじゃないぞ?ドMでもないからね?

「泣かないでくださいよ~そんな事じゃ、今日から来る部員たちになめられますよ?」

 何かに気づいたように、彼女は勢いよく顔を上げた。

「っは!……一年生に部室までの案内するのを山本先生に頼まれてたんだった……」

 震えた声でこちらに助けを求めるような眼差しを向ける。

「あぁ~あ~。部長様は大変ですねぇ~、ほったらかしたら山本先生怒るだろうなぁ~」

「ッッ!!!!…………これよろしくッッ!」

 紗希先輩は俺に勢いよく鞄を投げつけ、自慢の脚力で勢いよく走りだした。紗希先輩も山本先生にかかれば、まるでネコに追われるネズミのよう。女帝VSネズミ その勝敗は目に見えてるよね?

 そして、雑に投げつけられた鞄はチャックが開いていたせいで中身が飛びだしている。日焼け止めに、飲みかけのお茶に都内の有名私立大学の赤本……まるで、先輩とは関係のなさそうなものばかり。基本的にうちの高校の生徒はそのまま付属の大学へあがる。瑞城は附属高校という名前こそついてはいないが、併設校として瑞城大学がある。偏差値的にみても、悪くはない大学で、有名経済学者を多く輩出している経済学部だけで言うと全国で見てもトップレベルだろう。だからこそ、毎年98%の人間が用意された線路をそのまま進んでいく。無論、自分もそのつもりである。

 演習問題代わりに解いているとか、そんな感じなのだろう。

 中身を丁寧に鞄に入れ、部室へと運ぶ。鞄からは、いかにも女の子という感じの柔らかい匂いが漏れ出していて、紗希先輩が女の子だったことを久しぶりに思い出した位だ。


 俺は、制服の下に着ていた部活用のTシャツとズボンへと姿を変え、その上にジャージを羽織った。

「新井がやってきたぞっっ~」

 勢いよく扉が開く。

 自ら名乗りながら入ってくる変人こと新井二郎。

「いい加減二年になったんだからその入室の仕方やめろよ」

「まぁまぁ、お堅い事いわなさんな~」

「後輩部員に示しがつかないとは思わないのか……」

「絡みやすい先輩になる、ってのが俺のポリシーでね」

 いかにも二郎らしい。このお馬鹿さがあるからこそ、この新井二郎という人物は成立しているのかもしれないが……逆に、このお馬鹿さを取ったら彼は平凡な人間に成り下がるだけだろう……

「あ、そうだ翔太郎。女帝がお呼びだったぞ」

「山本先生が?分かった、ありがとう」

「なんのその」

「それと、ここでサボらず準備ちゃんとしろよ?」

 こちらも、どこかの誰かさんと同じく顔に現れやすい。コイツが準備終わった頃に行こうとしている事なんてバレバレというものである。


「失礼します。2-B 陸上部の四季島です。山本先生いらっしゃいますか」

「ほいほ~い」

 何かを口に含みながら、適当な返事が返ってくる。体育教官室という、学校の中で一番恐れるべき場所であり、運動部なら特に近寄りたくない場所である。

 白衣を身に纏った女帝がやってくる。

「どうだ、この白衣!年度上がったという事だし、前のモノよりワンランク上のモノを買ったんだよぉ~いいだろぉ?」

「良いも悪いも、そもそも、体育科の教員が白衣を着ている事に疑問しかないのですが……」

 この人と初めて会った時は、てっきり理科の先生だと思っていた。何やら昔から白衣の憧れがあって体育科には保健も含まれてるから別にいいだろう。という謎理論によって着ているらしい。

「だって、白衣ってかっこいいだろ?っと……それは置いといてだな、ほい、コレ」

 【新入部員新規名簿(仮)】

「これは?」

「一応、来ているか来てないかチェック付けといてくれ、あと私の評判上げといてくれると嬉しいかなぁ~」

「前者のみ受け付けます。それでは」

 水泳部と競える並に素早くターンする。後ろから何か聞こえるような気もするが気のせいという事にしておこう。

 体育教官室から出て、横にあるグラウンドへ目をやると、新入部員らしき人間たちが陸上部の集合場所にたくさんいた。

 それを見て、俺はギュっと靴紐をきつく締めた。

 そして、その中心には凛々しく完璧を装う12点がいた。

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