第1話 数学者

隕石が落ちたとき、外国の荒野を走る列車に乗っていた。

客は数人、みな、感染症対策でマスクを身につけている。

列車の前方では、地盤がめくれあがって巨大な壁状になっているのが遠くに見える。


客室には初老の男性。


「I won't be able to go home...(もう家には帰れないかな)」と、他人事のように呟いていた。


話しかけてみた。

「Where' you from?(どこから来たの?)」


─なお、すべて英語でのやり取りだが、ここからは日本語で記す─


いくつか言葉を交わし、彼は数学者であると言った。


「どんなサイズの隕石がどこに落ちたというのは既に報道されている、ならば俺たちはあとどれくらい生きていられるか計算できるか?」

「衝撃波や地盤のツナミがいつ到達するかは概算できる、だがそれまで生きていられるかどうかは別の話だ、その前に熱波で死ぬかもしれないし飛んできた破片が直撃して死ぬかもしれないし、列車が事故を起こすかもしれないし錯乱した誰かに殺されるかもしれないし、だいたい自ら命を絶つことも出来る、だからいつまで生きていられるかは計算できない」

「確かにそうだ、言いたいことはわかった、だがともかく衝撃波と地盤のツナミがいつ来るか計算して貰えないか?」


初老の数学者はマスクを外し、マスクの裏に細身のマジックペンでサラサラと数式を描き、さらりと言った。


「あと10分といったところだ」

「そうか、その10分では使い道もないかもしれないが、謝礼を受け取ってくれ」


と、55円を渡した。

本当はもっと支払いたかったのだが、財布の中身が殆どなかったのだ。


「いや礼には及ばんよ」

「あんたは数学者、数学のプロだ、計算してもらった以上は謝礼を受け取ってほしい、対価としてあまりにも少ないのは許してほしい、50円玉と5円玉のように穴の空いた硬貨は世界で珍しいと聞いている」


いくつか雑談を交わしているうちに、我々の意識は消失した。

いや、初老の数学者風に厳密に言うと、彼の意識はわからないが俺の意識は消失した。

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