メイストームデー

きさらぎみやび

メイストームデー 

「奈津美ごめん、やっぱり別れよう」

 5月13日。表参道のおしゃれなカフェで隆司たかしに突然切り出されたとき、奈津美は彼が何を言っているのか正直理解できなかった。理解することを頭が、いや心が拒んでいたのかもしれない。

 呆然とする奈津美を置いて、そそくさとカフェを立ち去る隆司の後姿を、彼女はただ眺めることしかできなかった。

 ちなみに伝票はテーブルに置かれたままだった。



 奈津美にとっては悲しいかな、すでにルーティンと化しつつあるイベントだが、その日の夜は荒れに荒れた。ひとまず腐れ縁の友人である香織を会社のそばの居酒屋に呼び出し、駆けつけ3杯、ビールをジョッキで流し込み、

 鶏唐なんこつ枝豆牛スジえいひれ串カツついでにポテトフライ。

 ダイエットなぞくそくらえ、という怒涛の勢いでアルコールと油をぐいぐいと摂取していく。


「ねえ、なんで!?私のどこが悪かったっていうのよ!バレンタインデーに手作りのチョコレートケーキを渡して告白したときにはあんなに嬉しそうにしてくれたじゃない!ホワイトデーのお返しは辞退したし、ゴールデンウィークの温泉旅行だって全部あたしが予約して前払いしておいて、ルート決めてレンタカー予約して運転もして何ならガイドだって私が全部したじゃない!なんでこのタイミングで振られちゃうのよ!」

「…いやー、奈津美のそういうとこじゃない?振られた原因」


 コリコリとなんこつをかじりながら呆れた顔で香織がつぶやく。


「なにが?」

「うわいまだに気づいてないのかこの女。引くわー」


 香織にとって奈津美のこの醜態はもはや見慣れた風景であり、その都度奈津美の押しの強さと思い込みに忠告を出すのだが、聞き入れられたためしがない。だいたい忠告がなされるのが奈津美がべろんべろんに酔っているときなので単純にタイミングが悪いのかもしれない。


「もういいわ、私、次に行く。隆司との思い出を胸に秘めて先に進むわ。私の中で5月は隆司の月にする」

「それだとあっという間に一年埋まっちゃいそうね」


 すっかり出来上がり、とろんとした目で奈津美が続ける。こういう表情は色っぽいのに、と香織は思わなくもない。奈津美本人が自覚できる日は来そうにはないのが悲しいところである。


「なーによー、文句あるー、じゃあ今日!今日を隆司記念日としよう!」

「あんたの場合それでも一年埋まりそうだから怖いわ」


 香織のつっこみを無視して、奈津美はそのへんに放り出してあった自分のスマホに向かって呼びかける。


「ヘイ、Siri!今日は何の日、隆司の日!」

「完全に聞いてないわね」


 プログラムであるSiriは香織と違って酔っ払いにも律儀に答えてくれる。

 現在の技術ではまだ酔っ払いを適当にいなす、という機能は残念ながら実装されていないらしい。IT技術の更なる革新が待たれるところである。


『今日は5月13日。メイストームデーです』


 我に返ってスマホに表示された説明文を奈津美が読み始める。


「なにそれ。…ふむふむ。日本の記念日で、5月13日。別れ話を切り出すのに最適な日、別れ話を切り出していい日、などとされる。はあ!?」


 あっははははと横で聞いていた香織がお腹を抱えて爆笑する。なにそれ私も気になる、と香織もスマホで検索を始める。


「へー、英語っぽいから海外の風習だと思ったら、和製英語なのね。なるほど今日でバレンタインから89日目か」

「ふざけんじゃないわよ!あー、頭きた。こうなったら今月中にぜったい次の男捕まえてみせるわ」

「うわー。まさに嵐って感じね。むしろ渦巻だわ。メイルストロームだわ」

「そうね、私は渦巻になってやるわ。なーにが五月の嵐よ!次は英語にちなんで英会話教室のパトリックを狙ってやるわ!」

「はいはい、頑張ってね」


 こうしてメイストームデーの夜は更けていく。



※いちおう参考までに、メイルストローム(メルストロム)はノルウェー語である。

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