予告状

 俺は怪盗ガスパル。美を愛し、闇オークションで売り払われる憐れな芸術品を救済する者だ。


 昼はしがないカフェの店員だが、情報収集には天職と言える。数日前も、清廉潔白と謳われる豪商がきな臭いことを嗅ぎつけた。おしゃべり好きなマドモアゼル達に感謝しなければ。


 教会のキャンドルスタンド連続盗難事件のおかげで、俺はあらぬ疑惑を掛けられている。犯行前に届いた予告状の筆跡、警備をかいくぐる変装の達人、煙のように消えた品々など、怪盗ガスパルの手口と一致するからだ。


 しかも、盗まれたものは、俺の好きな銀の枝付きスタンドときた。事件を報道した新聞記事の写真を見て、思わず溜息がこぼれた。華美な装飾のない、緩やかな曲線は初期の特徴だ。模倣犯の審美眼は悪くない。


 俺の犯行を真似る心意気には拍手したいが、一点だけミスがあった。


 怪盗ガスパルは、聖職者を敵に回すことはしない。教会に近付きたくもない。それに、政治と宗教に関わる品には指一本たりとも触れたくなかった。魔女狩りと称して無辜の民を虐殺した歴史を、俺は一瞬たりとも忘れたことはない。あの記憶を知る人間がいなくなっても、魔女の末裔は未来へ語り継いでいく。


 おっと、暗い空気にさせてしまったな。俺の美学について話を戻そう。


 怪盗は市井の人に慕われる存在であれ。祈りの場を汚すのはもってのほかだ。


 悪名高き怪盗という響きは魅力的だが、模倣犯が増えて業績がかすむのは言語道断だ。


 盗まれたものは盗み返すまで。キャンドルスタンドは全て回収し、王立博物館に匿名で送りつけた。

 没落貴族の紋章がほどこされたものも混じっていたから、戦乱のどさくさに紛れて強奪したのだろう。やはり人間の本質は変わりにくいらしい。


 さて、暇つぶしの自分語りは終わりだ。

 警備が交代する時間まで数分後。


「高利貸しで得た富の裏に、どれほどの血と涙が流されたのか。報いを受ける覚悟はできているんだろうな」


 俺の足元には、テレポートの魔法陣が浮かび上がっていた。魔力のない者にとっては何も見えないから、言葉で表現するのは惜しい。螺旋階段を歩くような、心躍る文様とだけ言っておこう。


「起動せよ」


 俺は屋敷に通じる道を開いた。目当ての部屋に潜入し、背広のポケットから小瓶を取り出す。一定時間、幻覚を見せる薬だ。交代する警備の耳元に暗示をかければ、俺の存在に気付かなくなる。


 屋敷の主は、怖さのあまり寝室に引き篭っている様子だ。警備の数に注意していれば容易く任務達成できる。


 囚われた子はいくつ見つかるか。


 シノワズリ装飾の大皿、ウォールナット製テーブルと本棚。一昔前の社交界で流行った扇子に、純銀の嗅ぎたばこ入れ。宝石には目もくれず、元の持ち主の手掛かりがありそうなものを物色する。家紋やイニシャルが入っていれば魔法で探知できる。


「職人の腕が素晴らしい。今の所有者が劣化させていなくて本当に良かった」


 俺は部屋中を歩きながら、壁にルーン文字を書く。


 文面は簡単だ。

 一時間後、部屋に不審者が現れる。宝石を持って逃亡。朝になると部屋の調度品は跡形もなく消え、悪事の証拠を知らせる新聞を使用人が運んでくる。


 準備は整った。ここに長居する用はない。魔法陣を空中に書いていると、ガラスの割れる音が聞こえた。


 どうして。俺の魔法はまだ起動しないはずだ。


 振り返って窓を見ると、丸まった布がうごめいていた。頭を打ったんだな。


「いたた」


 不審者は少女だった。

 裾のドレープが美しいドレスは、夜会を抜け出した令嬢のように見える。深紅のマントが翻り、フードから金髪がこぼれた。


 額にガラス片が刺さっているのに、少女はけろっとしている。

 こいつも人間じゃないのか。


 俺の視線に構わず、少女はかかとを二回鳴らした。床に散らばった破片は浮き上がり、時間を巻き戻すかのように窓枠に嵌まっていく。


「これで良いでしょう。わたくしとしたことが、災難でしたわ。開いていると思って忍び込んだのですが」


 いやいや、忍び込む気ゼロだろ。窓の戸締まりくらい、侵入前に確認するよな。おかげさまで、こちらは魔法陣の起動を修正しなくちゃいけなくなった。


 部屋にいる警備はぼんやりとしているが、不安要素の干渉で暗示がいつ解けるか分からない。術式を組み替える横で、少女はうやうやしくお辞儀をした。


「わたくし、ローズと申します。大怪盗ガスパル様ですよね。握手させてください」

「お前、この状況でよく悠長なこと言ってられるな」

「えへへ。それほどでも」

「これっぽっちも褒めていないんだが!」


 俺のクールな怪盗のイメージが崩れていく。そして、薬の効果も終わりを迎えた。乱暴にドアが開かれる。


「旦那様、侵入者を見つけました!」

「場所を変えよう。愛しい人」


 俺はローズを抱き上げる。


「待って、おばあちゃまのティースプーンが」

「これでいいね」


 ローズの手を撫でると、アカンサスの葉を彫ったスプーンが握られていた。


「今宵、紅の薔薇をいただきに参上します」


 窓から飛び降りた俺の鼻腔を、木苺のような香りがくすぐった。

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