【4月26日】あなたの髪のかおり

王生らてぃ

【4月26日】あなたの髪のかおり

「約束だからね」



 麻衣は涙目になりながら、あたしのことを見上げ、睨みつけていた。

 とてもいい気味だ。

 あたしは麻衣の長くて黒い髪の毛をぐいとひっぱると、獣が嫌がるときのようなうめき声を上げた。



「やめて……」

「いやだ」



 麻衣の長くて黒い髪の毛。

 しっかりと、真っ直ぐで癖のない髪。さわるとするすると絹のように指の隙間を通り抜けていき、花のようなかぐわしい香りがする。

 あたしはじたばたと抵抗する麻衣の髪の毛を左手で握ったまま、右手で彼女の頬を打った。ぱちーん、と、柔らかい頬は軽やかな音をたてた。



「抵抗しないでよ」



 あたしはブレザーの胸ポケットから、ハサミを取り出して麻衣の目の前でちらつかせた。

 麻衣の白い顔が、いっそう青ざめた。



「手元が狂っちゃったら、頭皮とか、首に傷がついちゃうよ」

「お願い、許して。謝るから」

「だめ。許してあげない。約束を破ったのはあんたのほうなんだから」



 ハサミをぴっちり閉じたまま、ぐいっと髪の毛を引っ張り上げて、顔を同じ高さまで持ち上げた。苦痛に呻く麻衣の唇を、ハサミで軽く叩いてやると、えぅ、ひぃ、という、恐怖に歪んだ声が喉の奥から震えて漏れた。

 思わず背筋がぞくぞくする。



「この口で誰とキスしたの? 言ってみて」

「ぃゃ……」

「誰とキスしたのか言ってみなって、怒らないから。いや、もう怒ってるかも?」



 あたしは見てしまったのだ。

 見ないほうが幸せだったかもしれない。

 麻衣の唇はがたがた震えていて、もうまともな言葉を喋ることは難しそうだ。



「代わりに喋ってあげようか」



 髪の毛から手を離すと、その場に跪くように崩れ落ちた。

 無防備になった後ろの髪の毛。

 まっすぐ、長く伸ばしていたこの髪の毛を手ですいて、ハサミを潜り込ませる。もちろん刃は閉じたまま。



「あたしの大事な妹に手を出したことに怒ってるんじゃないのよ」

「ちがう! わたしは……そんなつもりなくて……あれは葉月ちゃんが……」

「そんなことどうでもいい。なんであたし以外の人とキスしたの?」

「だから、そんなつもり……!」

「許せない。あたしたちの約束を勝手に破った麻衣には、お仕置きしなくっちゃ」



 じょぎ。

 ハサミの刃が、麻衣の長い髪の毛を切り裂いた。

 じょぎ、じょぎ、じょぎ。

 やがて肩のあたりで真っ直ぐ切りそろえられ、切り落とされた長い髪の毛は、その断面からより濃厚な麻衣の香りを漂わせた。



「はぁぁぁあああ」



 洗いたてのタオルに顔をうずめるように、その匂いを思い切り吸い込むと、脳がぽわぽわしてトリップする。

 麻衣はめそめそ泣いていた。

 絶望するあまりに小刻みに震えていた。



「麻衣……、なに泣いてるの?」



 切り落とした髪の毛を目の前に落とすと、麻衣の目から光が消えた。

 泣きたいのはこっちの方だ。

 夕陽に染まる校舎の玄関、下駄箱の影で隠れるように、あたしの妹とキスをするあなた。妹の葉月は、あなたの髪の毛に指を絡ませて、激しいキスをしていた。なのに、あなたは抵抗するようなそぶりも見せていなかった。恍惚と、気持ちよさそうにしていたのだ。

 すぐにその場から逃げ出した。

 あなたの顔も見られない日が続いた。

 ふと、近くを通り過ぎたときに髪の毛から立つ匂いが、あたしのことをぜんぶ、吹っ飛ばしてしまったのだ。



「あたしにもしてよ」



 崩れ落ちる麻衣に寄り添うようにあたしは膝をついて、麻衣の顔を両手でつかんだ。



「キスしてよ」

「うう、うう……」

「キスして。あなたからして」



 麻衣の手は震えていた。

 震える手で、あたしの手首を握ると、余計にぶるぶる手が震えていた。ぎゅっと押し付けるようなキス――



「ぜんぜんダメっ、」

「あぅ!」



 突き飛ばされて、床に背をついて転んだ麻衣の上にあたしはのしかかった。両手をがっちり抑え込んで、両脚を膝で押し付けて、涙でぐちゃぐちゃになった顔を見つめた。



「ぜんぜんよくない、あんなキス。やり直し。あたしがお手本見せてあげるから」

「やめっ、やめて」



 あんまりかわいそうな表情をするので、あたしは一瞬躊躇してしまった。

 かまうもんか。

 あたしは麻衣にキスをした。ぎゅっと押し付けるようなキスをした。舌を絡ませて、麻衣の魂を口から吸い取ってしまいたくなるほど激しく。心臓がどくどく波打つ。お腹の奥が熱くなる。切ったばかりの麻衣の髪の毛から立ちのぼる匂い。あたしの脳はどんどんトリップしていった。



「んっんん……!」

「はあ、はあ」



 麻衣のシャツのボタンに手をかけた。

 じたばた抵抗する麻衣の手足は、ほとんど赤ちゃんみたいな力の無さだった。

 ボタンをぜんぶ開くと、白いレース地の飾りっけないブラが顕になった。麻衣の顔は真っ赤になったり、青ざめたりを繰り返した。パッドをめくりあげると、薄く膨らんだ麻衣のおっぱいが顕になった。

 すんすんとにおいをかぎ、つぼみみたいな乳首に吸い付いた。



「ふぁああっ」



 麻衣は今まで聞いたことないような大きな声を上げた。あたしはびっくりして、急に、なんだか、さめてしまった。



「なに……あんた、興奮してるわけ」

「ううっ、うう……」

「……、麻衣、あんたのこと、心底軽蔑する」



 あたしは麻衣の上から立ち上がった。

 床に散らばった、切り落とされた髪の毛を拾い上げて、その中からひとつかみの束を麻衣の前にちらつかせた。ポケットから取り出したライターで束に火を点けると、タンパク質の焦げる鼻をつくにおいが辺りいっぱいに広がった。

 火は、髪の毛を焼いていく。

 あたしの手に火種が触れる前に、あたしはそれをぜんぶばら撒いた。地面に落ちる前に、火は、投げつけた勢いで消えてしまった。



「最低。あんた最低。最低、最低」

「さい、てい……」

「なんで……あんたがそんなこと言うんだよ……」

「最低……だいきらい」



 あたしは麻衣に背を向けた。



「あたしは大好きだよ」



 手元に残された、切り落とされた麻衣の髪の毛は、まだかぐわしく、植物のように香っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【4月26日】あなたの髪のかおり 王生らてぃ @lathi_ikurumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説