(11)
「一緒に文芸部始めませんかー?」
高校一年生の私は、始業前の昇降口で、じりじりとした日差しを浴びながらチラシを配っていた。
十月の文化祭までにどうしても文芸部を作りたかった。なぜなら文化祭というのは、文芸部にとって、日ごろの成果を発揮できる数少ない晴れ舞台のひとつだからだ。
この高校には元々文芸部がなかったので、私が入学した四月から掲示板で部員の募集を始めたのだが、今のところなんの音沙汰もない。だから今日からチラシを配ってみることにしてみたのだが……。
……先ほどから足を止めて話を聞いてくれるような生徒がいない。
文芸部ってそんなに人気ないのかな……。
『文化祭に間に合わない』という、目の前まで迫っている現実に打ちのめされそうになったそのとき、一人の男子生徒がチラシを手に取って足を止めた。制服を見ると、私と同じ一年生ということがわかる。おお、初ヒットきたこれ。
「ふーん、文芸部かー」
私は私の勧誘スキルを遺憾なく発揮して話すことにする。ちなみにこのスキルを使うのは初めてだ。
「どうかな? 活動内容としましては、自分で小説を書いて出来た作品を互いに読みあったり、プロの書いた小説を読んで感想を言い合ったりする感じ。そんで文化祭には――」
「ごめん、パス」
「む」
まだ私が話している途中だったので、いきなりこめかみをつつかれたような不快感によって思わず声を漏らしてしまった。
「ああごめん。ラノベも読んだり書いたりできんのかなーって思って立ち止まったんだけど、チラシを見る限りそうでもなさそうだからな。悪いんだけどパスで」
「そ、そう……」
……これはあれだ。前にも似たようなパターンがあった。
『ラノベも書けるんなら入ります!』
『コミケに出したりできんの?』
『二次創作も出来るんなら……』
掲示板のみで部員の募集をしていた一学期のころ、こういったことを言いに、私のクラスまで尋ねてくる人が何人かいた。
その度に、『あの、悪いんだけど、ちゃんと活動内容読んだ?』と言ってやりたい気持ちをぐっとこらえて、丁寧に説明した。落ち着け、私はそういうキャラじゃない、と心に言い聞かせながら。
だから私は、今ちょっとラノベが恨めしいのだ。おのれライトノベル。またお前かライトノベル、ってな感じで。
別にラノベを馬鹿にしているわけではない。第一、私がラノベについて知っていることは『ライトノベル』という言葉ぐらいだ。だから馬鹿にする権利なんてあるわけない。ただ、文芸部というのはそういうことをする部活ではない。そこをよく理解して欲しい。
そして何より、中高生の間で、私の好きな大衆小説よりラノベの方がシェアを伸ばしているという現実が悔しいのだ。好きなものが評価されないことがたまらなく悔しいのだ。
「ちょっと待ったー!!」
だから私は甲高く声を上げた。
その男子生徒は、もう下駄箱の前にいて上履きに履き替えていた。踵を上履きに入れなおすと、男子生徒はゆっくりとこちらを振り向いた。
「君、名前はなんていうの? 私は仲間美夏」
「お、俺? 栗山翔……だけど」
男子生徒の見てくれを良く見ると、ツンツンした栗毛の髪という特徴はあるもののそれ以外は至って平凡だった。でも平凡すぎて『平凡な主人公』という肩書きが似合いそうかも。
とりあえずまあ、怖い人ではなさそうだから怯まずにいこう。
「じゃあ栗山君。君はラノベ以外の小説読んだことある? 国語の教科書とかはなしだよ?」
私が問うと、栗山君は訝しげな顔をした。
「……えっと、なんか怒ってる?」
「怒ってないよ。答えてよ」
怒ってなどいない。悔しいだけだ。
「何でそんなこと訊くのかよくわかんないけど……まあ、自分で買ったり図書館で借りたりして読んだことは、ないかな」
「そっか」
やっぱりか。と、私は思ってしまった。そう思ってしまったのは、私が心のどこかで、ラノベを純文学や大衆文学より下に見ているということだろう。……いや、こんな質問をしている時点でもう見下しにかかっているのかもしれない。
こんな考え方が良くないことは重々承知なんだけど、しょうがないじゃん。悔しいんだもん。
私は昇降口まで行って、上履きに履き替えると、栗山君の手首を取って言う。
「ちょっと来てよ」
「え!? ちょ……!」
私は栗山君の手を引いて、自分のクラスに向かう。
私は他の生徒より、比較的行動力のあるほうだと思っていたけれど、それがここまで発揮されたのは初めてかもしれない。
しかし、女子生徒が男子生徒の手を引いて歩くなんてのは、やはり異様みたいで、周りの視線が少し痛い。
「じ、自分で歩くから!」
栗山君がそう言ってくれて、正直助かった。
「そ、そう」
栗山君の言葉に嘘はなかったようで、私が手を離しても、素直についてくる。というか、初めからほとんど抵抗していなかったな……。結構良い人なのかも。
「……つーか、俺に何の用があるわけ?」
「私がこの世で一番好きな小説を、栗山君に貸してあげる」
「はぁ?」
栗山君は心底怪訝そうな顔をこちらに向けた。わざと不明瞭に言ったので当然の反応である。
私は自分の机の横にかかっている鞄に手を入れて、文庫本を一冊取り出した。そして栗山君に向き直って、
「これ」
彼の胸の前にぐっと突き出す。
それは、私の心を揺さぶったまま離さない小説。人間というものを教えてくれた小説。読後の余韻が一生消えないであろう小説。考え込めば、後十通りは例えを思いつきそうだ。
ジャンルは多分、青春小説の類だけど、高校生であるはずの登場人物が笑ってしまうくらいシニカルで、大人になってから『あの頃は若かった』なんて到底言いそうにないような独特のキャラクター設定である。そして物語という概念そのものを覆すような、突飛な展開とストーリー。
そんな感じで、小説を構成する要素だけを見ると実にヘンテコなのに、この作品の作者は、珍味を極上の味に変えるカリスマシェフのように、見事な傑作を創り上げた。
読んでいると、『こんな世界があってもおかしくないのかも知れない』。なんてあり得ないことを思ってしまう。本来なら、ありえない事だからこそ、フィクションだからこそ面白いのに、そうとも思わせてしまうのがこの作品の恐ろしいところだ。
「これが私の、この世で一番好きな小説」
もちろん、本来ならば『今のところ』という言葉も添えなければならないが。
「栗山君にこれを貸すから、自分のペースで何日かけてもいいから読んで欲しい。それで栗山君にとって文芸が『良いもの』とか『面白いもの』だって知ることができたなら――」
私は真っ直ぐ栗山君を見て、本来の目的を話す。
「文芸部に入ってくれないかな?」
「……なるほど、そういうことか」
栗山君は「うーん……」唸って続ける。
「でもそれって、結局は俺の一存で決めるってことだよな?」
「もちろんそう。だからこれは勝負でも賭けでもなくて、全部栗山君の気持ちしだいってこと」
「……いいのかそれで? 俺がこれを読んで『面白い』と思っても、『文芸部に入りたい』って言う気持ちにはつながらないかもしれないだろ?」
「いいよいいよ。私だって、ちゃんと文芸部としてのモチベーションがある人とやりたいし。栗山君にそれがあるがテストする感じかな。それにさ――」
私は一旦そこで言葉を区切る。そしてなるべく口調を挑発的なものになるよう意識をして口を開く。
「今までたくさんラノベを読んできたであろう栗山君なら、少なくとも、読んで『面白い』と思った作品を、『面白くない』なんて言えないでしょ?」
「……言えないな」
私は笑顔で答えた。それを見た栗山君は困ったように言う。
「……わかった。じゃあ借りるよ。なるべく早く返すから」
ずっと彼の前に突き出されたままの文庫本は、ようやくその手に渡った。
「一つ質問していいか?」
「ん、いいよー」
「コレ、いっつも持ち歩いてんの?」
「うん! 布教用にね!」
「…………」
……しまった。はずみで言ってしまった。
わかってる。反応ならわかってる。どうせドン引きされるんでしょ? 好きという感情がいくら自分の中に存在していても、その『好きなもの』を知らない人間は、そのいきすぎた感情を理解できないから。
ところが栗山君は予想外の反応を見せた。
「ぷっ――」
そんな感じで吹き出して、
「はははっ!」
腹を抱えて、可笑しさを堪えるように笑う。
なにこれ? どういうこと? 何で、何で栗山君は笑ってるの? よくわからないが、無性に恥ずかしくなって顔が熱い。
「な、何が可笑しいの!?」
栗山君は「くくっ」と苦しそうに笑った後、呼吸を整えながら話す。
「あーうん。そういう奴っているもんだなーって思ってさ……。いやー可笑しい可笑しい……」
私が釈然としない気持ちでいると、栗山君は言葉を続ける。
「じゃあ、お返しっていうか、なんていうか」
栗山君はかけていた鞄を漁る、取り出したのは三冊の文庫本だった。背表紙のタイトルを一瞥すると全て同じシリーズのようだ。重ねられた三冊の一番上の表紙には、後ろ姿でスカートを翻した女の子のイラストが描かれていた。
「なにこれ?」
「さっき言ってた、いわゆるライトノベルってやつ。まあこれが発売した当時は、あんまり定着してなかった言葉らしいけど」
……でた。ラノベ。私の宿敵。
「これを……私に? 何で?」
私が質問すると、栗山君は頭をさすって、
「えっと、俺と同じような考えのやつが、まさかこんな身近にいるとは思わなかったからさ、何か嬉しくなったんでお返しようと思って」
「じゃあもしかして、これは栗山君の――」
「ああ、この世で一番好きな小説。俺も布教用にずっと鞄に入れてあるってわけ」
「……ぷっ、あはははは!」
馬鹿だ。私以上の馬鹿がいる。布教のするためだけにわざわざ三冊も持ち歩くなんて。
……しかし、私は一冊で、彼は三冊持ち歩いているということになる。何だか私が負けてるみたいじゃないか。ちょっと悔しい。
「わかった。ありがたく借りさせてもらうよ」
私がそう言って三冊を受け取ると、ホームルームの予鈴が鳴った。
「じゃあ、俺は自分の教室行くよ。俺あんま読むの早くないから、多分三日後くらいに返しにいくと思うからよろしく。後、俺のやつはいつでもいいから。えっと……仲間さんだっけ?」
「うん、そうだよ」
その後、私は別れの挨拶をして栗山君の後姿を見送った。今心の中にある、少し悔しい思いには、どこか温かみがあることに気づいた。
家に帰ってから、自分の部屋で改めて表紙を確認する。
ふむ、『イリヤの空、UFOの夏』、か……。なかなかどうして、私が読むにふさわしいタイトルじゃないかね。
一巻の表紙をめくると、そこには山折りと谷折りで一回ずつ折りたたまれたイラストがあった。『萌え』という言葉が付属するのかはよくわからないけど、女の子の可愛さや、肉感的な要素を強調されており、いかにも男の子が好きそうなイラストである。
……ああなるほど。これはどちらかと言えば、男性向けの小説なのか。
それに気づくと、少しだけ期待感が無くなった。ターゲットを絞るのは決して悪いことではないけど、そのターゲットに私が入っていないのは確かだ。だから、これは私が読むべき小説ではない。と、断定するまではいかなくとも、どうしても読書をするモチベーションは下がってしまう。
でも、栗山君はそれがわかっていながら私にこの作品を貸したのかもしれない。そう考えるとターゲットなんてのは些細な要素でしかなくて、それを吹っ飛ばしてくれるほど内容が面白いのだろうか?
よし。とりあえず読もう!
意を決して、私は本文を読み始めた。
いつの間にか日付が変わっていた。そろそろお風呂に入らないと。
しかし、三人称で畳み掛けるようにしたためられた文章が私にグイグイ読ませることを強いるため、中々抜け出せない。
……面白いなこれ。
SF要素の入ったボーイミーツガールもの、とでもいえばいいのだろうか。
中学生の主人公、『浅羽直之(あさばなおゆき)』が、夏休み最終日の夜のプールでヒロインの『伊里野加奈(いりやかな)』と出会い、物語が動き出す。その後の二学期の学園が主な舞台であり、図らずも季節的にはこの現実と同じだ。故に読みながら、残暑特有のじわりと蒸し暑い夏を連想するのは簡単だった。
二巻の中盤ほどまで読んだが、ここまで積み重なってきた伏線や謎が、なんとなく悲劇的な展開を引き起こしそうで怖い。その恐怖が、また面白い要素の一つでもあるんだけど。
そして何より、キャラクターが生き生きとしている。ここらへんはライトノベル由来の良さなのだろうか。
そのキャラの中でも一番気に入ったのは、『須藤晶穂(すどうあきほ)』という女子である。
晶穂は主人公の浅羽と同じクラスで同じ新聞部に所属しているのだが、二学期の初日に転校してきた伊里野に、明らかな冷たい態度とってしまう。晶穂曰く、伊里野のクラスメイトと関わろうとしない態度が気に入らないらしい。が、どうも他にもっと大きな理由があるように思える。そしてそれは多分嫉妬である。
何かと浅羽が伊里野を気に掛けるので嫉妬しているのだ。つまり、晶穂は浅羽のことが好きなんだろう。
伊里野が放送によって職員室に呼び出される一シーンでの、『――浅羽は、伊里野の出ていった扉をじっと見つめている。そして晶穂は、そんな浅羽の背中をじっと見つめている』という文章は、この三人の関係性をそつなく表現しているし、何かと理由をつけて浅羽と一緒にいようとする晶穂の行動は、微笑ましくてニヤニヤしてしまう。
だが、いわゆる『二番手のヒロイン』という立場があらかじめ提示されているので、この恋は実らないように思える。だからこそ応援したくなる。だからこそ感情移入する。ああもう! 告っちゃえよ!
「ふう……」
そんなこんなで私は二巻を読み終えた。時計を見ると、午前一時二十二分を指している。
……お風呂に入ろう。
部屋を出て、階段を降りているとき、初めにイラストを見たときの先入観は、見事に吹っ飛んでいることに気づいた。
次の日の夜。夕食を食べ終えた私は、すぐに自分の部屋で『イリヤ』を読む。
三巻の中盤で衝撃の事実が発覚した。ネタバレすると、なんと○○は××の△△だったのだ! ビックリだよね! このままハッピーエンドで終わらない可能性が、いよいよ現実味を帯びてきた気がする。だからこれからの展開を予測するだけで胸が張り裂けそうになる。でもその『痛み』や『不安感』は、すぐさま『面白さ』に変換される。
……この小説、やばい。何がやばいってマジでやばい!
こんな感じで、私は傑作出会ったとき、ろくに説明ができなくなる。
よくわからないけど、中学生であるからこその至らなさ、弱弱しさ、非力さ、瑞々しさ、こういった要素が余すところ無く表現されているのは本当にすごいと思う。
さあ、これからヒロインとの愛の逃避行だ! ってところで本編が終了した。
ってあれー?
な……え……こ、こんな中途半端なところで終わるの?
……あのー、知ってますかこの小説の作者さん? 作家の世界には、『未完の傑作より完結した駄作』っていう定説があるんですよ? この小説、駄作以下ってことになっちゃいますよー?
私はどうにも納得できなかったので、手元のスマホを使ってググってみると、衝撃の事実を知った。
『イリヤの空、UFOの夏――全四巻』
傍らには文庫本が三冊……。
……えっと……なんだこれ。今、何が起こっている? 私は一体、栗山君に何をされたんだ? 私は、昨日あった出来事を順々に思い浮かべていくことにした。そして状況を理解していくと、どんどん顔が熱くなってくる。
……やられた。
私はあの時、これは勝負でも賭けでもないと栗山君に説明したが、栗山君とってみればあの言葉は宣戦布告だったのかもしれない。つまり、『そっちがその気なら、俺はお前をラノベの世界に引きずり込んでやるぜ。ぐへへへへ』ということだ。栗山君は今頃、そんな感じで私を嘲笑っていることだろう。実に憎たらしい。
そして、これはいわゆる『生殺し戦法』というやつだ。これから栗山君は、四巻を高々と私の頭上に掲げて、『やーいやーい!』と『敵に塩を送るようで送らない戦法』に切り替えてくるんだろう。
栗山君は私みたいな、か弱くて、可愛くて、性格が良くて、おまけにスタイルまで良い女の子をいじめて何が楽しいのだろうか。あれかな? もしかして私に惚れちゃったから意地悪してるのかな? 小学生かよ。
でも、不思議とそこまで怒りは沸いてこなかった。
「やってくれんじゃん」
そんな独り言を呟くと、むしろ自分が高揚していることに気づいた。
私が『イリヤ』を三巻まで読み終えた二日後の昼休みに、栗山君はうちのクラスに来た。その手には私が貸した小説がある。
「やあ、栗山君」
「おう」
「どうだった? その小説」
私は端的に質問した。すると栗山君は言葉を捜すように、少しだけ俯くと、まとめた意見を言うように言葉を吐き出す。
「すげぇ面白かった。、文章量が多いのに読みやすいし、最後まで展開を予測できなかったし、何より、常に読者を楽しませることを描写がしてあって、名作って呼ばれるのも頷けた。それにこの作者の名前も覚えたから、これからはラノベ以外の小説も読もうと思う。……だけど――」
そこで栗山君は言いよどんで、申し訳なさそうにこちらを見る。
「文芸部に入る気にはならなかったって言いたいんでしょ?」
「……ああ」
「そっか、しょうがないね」
そう。それとこれとは話が別なのだ。こんなこと初めからわかっていた。
一冊の本を読んで、人生観が変わったり、行動が変わったり、文芸部に入ってみたり。こんな光景を私は間近で見てみたかっただけだ。現実とフィクションは違う。わかっているけど、フィクションみたいな現実くらいなら望んでもいいじゃないか。
栗山君は私のこの世で一番好きな小説を気に入ってくれた上に、これからは読書の幅も広げてくれるらしい。だから、この大衆小説としての義務は果たせたのではないだろうか。
ひとまず、それでよしとするべきだ。
「でさ、仲間さん」
私が感傷に浸る寸前に、そうはさせまいとするような栗山君の明るい声色が聞こえてきた。私はそれに疑問符で返す。
「ん?」
「俺、こないだこういうことがあって――」
栗山君曰く、先日こういうことがあったらしい。
アニメやラノベにおける『日常系』というジャンルに感化されてしまった栗山君は、どういうわけか部活動募集の掲示板の前に立ち尽くしていた。
ちなみに日常系というのは、キャラクター同士の雑談や、あえて物語性を排除した展開などを微笑ましく見守りながら楽しむというジャンルで、ラノベだと『生徒会の一存』という代表作があり、最近の作品だと『GJ部』が郡を抜いているとかなんとかかんとかと、栗山君に長々しく説明されたが、よくわからなかった。
話がそれた。
ともかく、そんな日常系っぽい雰囲気の部活が存在しないか、無かったら創れないか、そういう思いで栗山君は掲示板の前に立っていた。すると、急に女生徒に声をかけえられた。リボンの色で二年生の先輩だと気づき、ついでに美人だったのでドギマギしてしまったらしい。
私にとっては聞いた話なので、そのとき何故その先輩は栗山君に話しかけたのとか、詳しい二人の会話とかはわからないが、その先輩は『部活動でしかできない楽しいことをする』という内容の部活を探していたらしく、その意思は栗山君の、『日常系っぽい部活』へのモチベーションと見事に合致していた。
「その後、先輩と部活を創る流れになって、部を立ち上げるには最低三人の部員がいるし顧問もいるしで、とりあえずクラスメイトをあたってみることにしたんだけど……。こんな活動内容がよく分かんない部活に入りたがる物好きはなかなかいなくてな、全然進展がないわけ」
「なるほど……」
何で私にその話をしたのかはわからないけど。
「というわけで、仲間さんが入ってくれたら嬉しいんだけど」
それは思いにもよらない誘いだった。
「えっと……誘ってくれるのは嬉しいけど、私がやりたいのは文芸部だし……活動内容もよくわかないし……」
私が本心を言うと、栗山君は腕を組んで「うーん……」と唸る。どうやら食い下がるつもりのようだ。そしてそのまま厳かに口を開く。
「活動内容はあってないようなもので、各々部室で好きなことをする感じかな。だからそこで出来る限りの文芸部の活動をしたっていいし、文芸部が創部できたら掛け持ちで籍だけこっちに置いて、ずっと文芸部にいたっていいよ。……まあ、なるべくそういうのはやめてほしいけどな」
……そうきたか。たしかに何も出来ないのよりはよっぽど良いかもしれない。
「んー……」
でも、どうしよう。
文化祭が近いんだ。
さすがに文芸部じゃないと、文化祭で部誌(部内の創作物をまとめた冊子)を発行するのは厳しいかもしれない。つまり、仮に部誌そのものを作ることはできても、販売することができない可能性が高いということだ。
「それと、顧問は美馬先生がやってくれることになったんだけど、美馬先生って現国の先生で文学への関心が強いから、文芸部としての活動は贔屓してくれると思うぞ。例えばそうだな……文化祭で何か売ったりすることもできるんじゃない?」
まるで私の心を見透かしているような言葉だった。
しかし、栗山君がその美馬先生の全てを理解しているわけではないだろうに。まるで確定要素のようにそっけなく言うのはどうなのだろうか。楽観的というのはポジティブで良い意味に捉えられがちだけど、現実から目を背けているということでもあるわけで、そんな風に考えることを放棄するのはやはり愚かなことだと思う。
要するに、物は言いようなのだ。言い方によってどうにでもなる。
これは甘美な言葉で装飾された現実逃避だ。
……でも、栗山君の言葉は甘いだけじゃなくやけに希望に満ちていて、少なくとも愚かには聞こえなかった。そして私は案の定わくわくしてしまっている。
栗山君が私を利用しようとしている部分はあるだろう。むしろそれをおおっぴらにしていると言ってもいいかもしれない。しかしこうもあからさまに、win-winの関係になろうと提案されると、利用されるのもいいと思えてくる。
「ん……どうしよう、でも……」
そうぶつくさ言いながらも、自分がもう堕ちかけいるのがわかった。
そしてすぐに止めを刺される。
「四巻」
単語に反応して、私の体がぴくっと跳ねる。
「入部したら、貸してあげてもいいぜ?」
私は栗山君のしたり顔と変な口調を見聞きして、思わず鳥肌が立ってしまった。
私は『イリヤ』の三巻を読み終えた翌日から、何店か書店をまわったが未だに四巻を見つけられていない。また、四巻を持っているであろう栗山君の連絡先を知らないので、彼にせがむこともできなかった。
つまり、四巻を手に入れることは私にとって困難なのだ。刊行したのが十年以上前というのが手に入りにくい理由の一つなのかもしれない。ちなみに、通販では在庫が切れており、電子書籍のものしかなかった。
よく考えると、私は三冊で栗山君は一冊しか読んでないんだ。そして栗山君は確か、『自分はあまり読むのは早くないから三日後くらいに返す』みたいなことを言っていた。
それは私が三冊読み終わるのを……待つため?
もし、そうだとすると栗山君が文芸部への入部を断ったのは予定調和ということになる。初めから断るつもりだったのだ。
栗山君は単に、私をライトノベルにハメるために『イリヤ』を貸したのかと思っていたが、それは違うのかもしれない。全てはこの時この場所に焦点が合わされていて、この状況に持っていくために……私を入部させるために、計算しての行動だったのだろうか。
……いや、さすがに栗山君はそこまで計算していたわけではないだろう。あくまで希望的観測であり、四巻を貸さないことで、私が少しでも入部する気なってくれれば儲けもんくらいの感覚だと思う。
でもその思惑は、多分本人の予想以上に大当たりしている。
「やっぱり、四巻はわざと貸さなかったんだね」
そのときの栗山君のばつの悪そうな表情が、私には肯定の意味に思えた。
「卑怯だと思うな……こんなやり方」
「……悪い」
栗山君のその言葉は明らかな肯定だったが、あえて私は事実を追及しなかった。したところで私の意志は変わらないから。
栗山君はおそらく私にかまをかけたのだろう。私の『入部したい』という意志を少しでも引き出すための小さな鎌を。
でもそれはあまり意味のないことだ。そんなことしなくても私はもう堕ちかけていた。だから決して四巻を貸して欲しいからではない。ないったらない!
「よし決めた」
私は栗山君を真正面から見つめる。
怒りなんて感情はない。あるのはしてやられた後の清清しさと、これから何が起こるのかという期待感だけだった。
「私入るよ。その部活」
もうすぐ夏が終わる。蝉はもう鳴いていない。
私にとって、この時期にここまでの期待感を抱くのは、多分、初めての経験だった。
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