(6)

『仲良くやってくれればいい』

 黒野さんのそんな言葉に甘えた結果、忘れてしまっていた。いや、考えないようにしていた。

 だってこんなこと考えたくもない、後二ヶ月で、俺の中から芽森が消えてしまうかもしれないなんて。

 今日は五月一日。

 新入生部活動オリエンテーションで、俺たちのいつも通りの様子を劇で披露することに成功(?)した(観客から放たれる『お、おう……』という何ともいえない空気が痛々しかったが)。しかし今のところ、いつも通り、部員と美馬先生以外で部室を訪れる人はいない。

 劇が終わった後の四月は矢のように過ぎた。だから、それが刺さる的が急激に迫っているのもわかった。

 ……大丈夫、まだ時間はある。まだ二ヶ月以上あるんだ。これからゆっくり仲良くなればいい。

 そう思って過ごしていたら、何も変らなかった。それは俺と芽森に限ったことではなく俺に関する全ての日常がほとんど変り映えしなかった。

 もちろん、仲間ちゃんや飾先輩に芽森の秘密を打ち明けてしまおうかとも考えて、帰り道で芽森にも相談した。

『変に気を使ってもらいたくないから、いいわ』

 すると芽森は笑顔でそう言うのだった。

『それにさ、話したら話したで色々と気を回してもらえると思うけど、そういうのって何か違うなって思うのよ』

 軽い口調だったけど、その決意は色々と悩んだ末の答えなんだろう。そう思うと胸が痛くなった。

 それに、やはり打ち明けるのは芽森がすることであって、俺のすることじゃない。

 じゃあ俺は今、芽森のために何をすべきなのか?

 答えはすでに出ている。もっと早く行動に移すべきだった。

 芽森に自分の気持ちを伝えよう。


 いつもの帰り道で、俺は意を決して切り出す。

「あのさ芽森、次の土曜って予定とかある?」

「ないわ」

 期待通りの言葉が返ってきた。

「じゃあさ、良かったらでいいんだけど――」

 芽森が目を丸くしてこちらを見る。その視線に意思を潰される前に言い切ってしまおう。

「今度の土曜、映画でも観に行かないか?」

 言えた。とりあえずここまでは言えた。

 そんな俺の思いとは裏腹にそっけない声が聞こえてくる。

「ん、いいわよ? それじゃあ美夏も誘いましょうか」

「……いや、そうじゃなくて」

 ていうかそれなら飾先輩も誘ってやれよ……。

 俺は芽森に向き直って、再び勇気を振り絞る。

「二人で、さ……」

 こう言ってしまえば、さすがの芽森も何に誘われているのかということを汲み取ったようで、「ふぇ」小さく漏らすと、目を見開き、その視線を地面に落としてほのかに頬を染めた。

「い、いいけど……」

 結局芽森は俺の方を見ないまま返事した。

 ……やった。勇気を出したかいがあった。

「そ、そうか。じゃあ詳しい待ち合わせ場所とかはまた連絡するからな」

 顔が熱い。というかあったかい。

「……うん、楽しみにしてる」

 桜色の頬をこちらに向けてはにかむ芽森は、艶やかで儚くて、要するに死ぬほどかわいかった。


 俺のデートプランは、まず午前中に映画を観て(ジャンルは暗くなるものでなければ何でもいいだろう)、おそらく午後一時過ぎに映画が終わるので、映画館近くのファーストフード店で少し遅めの昼食をとる。その後、カラオケボックスで三時間ほど歌ったら……いよいよプランのクライマックス、海を見渡せる公園での告白タイムだ。

 デート当日、俺は待ち合わせ場所の映画館の最寄り駅の前で、頭を伏せて告白の言葉を反芻する。

『…………』

 あれ?

 やべ、そういえば決めてなかった!

 ……まあ、その前の会話とか、場の雰囲気とかを考慮して、告白の言葉はその場で考えよう。そうしよう。

 結論付けたところで、斜め上から声が聞こえてくる。

「栗山」

 顔を上げるとそこには芽森がいた。

「……おまたせ」

 芽森はそう言って、恥ずかしそうに身をよじる。かわいい。

「おう。じゃあ行くか」

「うん」

 ……なんか必要最低限の会話になってしまった。俺が緊張しているせいもあるが、芽森もどうやら緊張しているせいでもあるようだ。


 俺たちは肩を並べて映画館まで歩く。

「その服、すげー似合ってんな。……なんつーか妖精っぽくて」

 緊張によっていたたまれなくなって、とりあえず服を褒めた。

 芽森の服装は、リボンタイの付いた丸襟のブラウスに、紺のスカート。足元にはファーのついた茶色のブーツ。

 とっさに服を褒めた感じになったけど、本当に似合っていてかわいい。というか芽森なら下手なチョイスさえしなければ何を着てもかわいいはずだ。

 そして俺の言葉聞いた、芽森は何故か「むっ」と頬を膨らませる。さすがに妖精に例えたのがまずかったのだろうか。

「え、何で怒るの?」

「……だって栗山と二人っきりで出かけると、大体初めに服褒めるんだもん……それって『会ったらまず服を褒めよう』って初めから決めてるからとしか思えないわ」

「あ……」

 その言葉に俺はドキリとした。図星だったからではない。

 芽森は以前俺と付き合っていたらしいが、当時のことはほとんど話さない。つまり、今のは俺と芽森の馴れ初めを表す、俺にとっては非常に貴重な台詞だったのだ。

 ……なるほど、前にもデートしたことがあるのか。まあ付き合っていたのなら当たり前なんだけど。

 記念すべき初デートだと思っていたけど、そうじゃなかった。その事実は俺の心境を若干複雑なものへ変えた。

 そんな心境の変化を知ってか知らずか、芽森は俺を一瞥した後おごそかに口を開く。

「でもまあ栗山も……服、似合ってるわよ」

「……マ、マジで?」

「マジだけど?」

 しれっと言ってのける芽森。

「あ、ありがとう、ありがとう!」

「全力でお礼言うのやめてよ。は、恥ずかしいじゃない」

 芽森は例によって顔が赤かった。どうやら本当に恥ずかしいらしい。

 本来なら男である俺が、場の雰囲気を壊さないために、女の子の機嫌を損ねないようにしなければならないのに……。

 でも申し訳なさより、芽森が俺に気を使ってくれたことに対する嬉しさが先に立った。

 もう俺の服装なんてどうでもいい。芽森の優しさがたまらなく愛おしくて、思わず抱きしめたくなった。

 そこをぐっとこらえて、俺は歩みを進める。


 映画館はひたすら混んでいた。

 今日、五月三日はゴールデンウイークの真っ只中なので、当然といえば当然である。

「めちゃめちゃ混んでるわね……」

「……ごめん」

「いや、別に栗山のせいじゃないんだけどさ」

 ……だってしょうがないじゃん。芽森の呪いのことを考えると、なるべく行動を早くしたほうが良いわけだし、直近の休日がこの日だったんだから!

 と、言えるわけないので、心の中で言い訳をして、俺はチケット売り場の真上にあるモニターを見ながら口を開く。

「どれか観たいやつあるか?」

「あ、はいはい! あたし『マジマリ』が観たい!」

 芽森は勢いよく手を上げて提案したのはアニメ映画だった。一年ほど前にテレビシリーズを終えた、大人気深夜アニメの続編『劇場版 魔法少女マジカ☆マリカ――怨恨の物語――』である。

「ん、俺もマジマリ観たかったし、それにするか」

 俺はアニメ版をすでに視聴済みだし、続きを観るにはいい機会だ。それに、すでに公開日から結構経っているためか、二十分後の上映の回にまだ空席がある。

「やった!」

 嬉しそうに笑顔を作る芽森を見て、俺も嬉しくなった。

 ちなみに芽森はアニオタと言われない程度にアニメを観るし、マンガも読む。ついこの間の下校中の会話でそのことを知った。


 映画はかなり面白かった。テレビシリーズの人気にあやかることなく、独自の路線で進んだ怒涛の展開は、視聴者の誰もが予想もしえないようなものだった。

 ラストシーンがまだ続編を匂わせる展開でもあったし、俺はまだまだこの作品を好きになれそうだ。

「マジマリって、ほんっと良い意味であたし達の予想を裏切ってくれるわよね! 監督と脚本と憎いわー!」

 芽森がハンバーガーを片手に、嬉々として感想を話す。

 映画を見終えた俺と芽森は、映画館近くのハンバーガーショップで昼食をとっていた。例によって店内は激混みである。

「ははっ、お前テンション高いなぁ」

「だってほんとに面白かったんだもん。はー気分いいー」

 芽森は笑顔で言って、ストローでコーラを啜る。くぴっとのどを鳴らすと、急に芽森の口角が下がった。

「いやーほんとに、ほんとに面白かったなぁ……」

 今の今までテンションが高かっただけに、芽森の感情の変化に気づくのは簡単だった。

「どうした芽森?」

「ん、えっと、マンガやアニメに限らず、やっぱ『物語』って良いものよね。あたしがいるこの世界とは、全く別の世界の出来事だからさ……」

「……何言ってるかよくわからないけど、急にしょんぼりしてんじゃねぇよ」

 俺はそう言って芽森の頭を撫でる。初めての行為だったので少し緊張した。

「……ごめん」

「謝んなくていいから」

 シリアスな空気になるのは嫌だった。

 そういう理由で俺はごまかしたが、何となく芽森の気分が沈んだ理由はわかった。

 現在、俺たちが生きるこの世界の人々は、芽森の存在を定期的に忘れるようになっている。裏を返せばこの世界の人々は、芽森によって記憶を書きかえられているわけだ。そう考えると、芽森というたった一人の存在の大きさは計り知れないもののように感じてくる。きっとそのことを芽森自身がわかっているのだ。

 だが『物語』という概念に対して、芽森は干渉のしようがない。

 何度となく人々の記憶が書き換えられようと、その物語が完結しない限り、何の代わり映えもなく物語は続く。問答無用でストーリーが突き進んでいく。

 きっと今の芽森にとって、『物語』にとって代わる『安心して見守ることのできる世界』はないじゃないだろうか。そんな悲しすぎる答えを出したとき、芽森は一体何を思ったのだろう。

 芽森のことを知るにつれて、募る想いとは裏腹に、胸を刺す痛みも増していった。


 カラオケは予約していたので、すぐに入ることができた。

「んーやっぱり歌うって気持ち良いー」

 芽森はマジマリのテレビ版オープニングテーマを一曲目に入れて、高らかに歌い上げると、そんな感想を言った。ちょっと上手いとは言えないけど、楽しそうに歌うので聴いていると心地良かった。

「栗山は曲入れないの?」

「俺は、まだいいや」

「ふーん……」

 俺は座りながら色々と考えていた。

 先ほどの芽森の物憂げな表情がどうしても頭から離れないし、何より、この後は公園で告白をしなければならない。

 整理の出来ていない頭の中はグチャグチャしていて忙しない。芽森の歌声がそんな気持ちに対して沈静化を図ってくれたが、どうにもこうにも落ち着くことはなかった。

 このままムードが暗くなるのは嫌だったので、とりあえず俺はマイクを持って歌った。それに考えることを放棄すれば、逆に後で良い考えが浮かんでくるかもしれない。

「ぷっ……ははっ。く、栗山ぁ……あんた超歌下手ねぇ……くくっ、な、なるほど、だから中々曲入れなかったわけね」

 歌い終わった後、横を見ると、芽森が腹を抱えていた。

 こ、こいつ、俺の気持ちも知らないで!

「ち、ちげーし! つーか、芽森だってあんまり上手くなかったぞ!」

「ふっ……くひっ……あ、あんたよりはだいぶマシだって……あーお腹痛い」

 目に涙を浮かべて、尚も芽森は屈託無く笑う。その笑顔に免じてこれ以上の反論はやめておこう。

「……ありがとな芽森」

 俺が呟く。

「ん? 何か言ったかしら?」

「何でもねーよ」

 よくわからないが、またしても芽森に救われてしまったような気がした。

 その後、俺たちは二時間ほど歌って、カラオケを出た。


 とうとう公園に来てしまった。

 ここは臨海公園であり、細長い長方形の敷地の片方の長辺からは、海を見渡すことができる。その左手側には高層ビルが連なっており、園内のいたるところにある花壇には色とりどりの春の花が並ぶ。

 西日はすでに赤く染まっていて、それに照らされた海や花やビルは、本来の色より少し赤みを増していた。

 俺たちは海沿いの道をゆっくりと歩く。

「夜景になる前の、夕日に照らされた高層ビルも悪くないわね……あはっ、あたしってば詩人っ」

 芽森はそう言って、駆け足で俺の前に出ると、くるっとこちらに振り返った。セミロングが風になびく。

「まあ今日は楽しかったわ。また誘ってくれたら嬉しい」

「…………」

「ねぇ、何か言ってよ」

 ――そうだ言え。

 もう言うだけだ。それが今日の目的だったはずだ。

 俺は意を決して息を吸う。

「芽森!」

「は、はい!」

 芽森はぴしっと姿勢を整えた。と、急に園内のベンチの一つから甘ったるい声が聞こえてきた。

「ねー、この後どうすんのよ? もうホテル行っちゃう?」

「バーカ、気がはえーよ。この後はそうだな……精力つけにスッポンでも食いに行くか?」

「ふふ、さんせーい」

 よく周りを見ると、そのカップル以外にも、園内には大勢の人がいた。

 別に意識しなければいいのだが、先ほど聞こえてきた会話があまりにも露骨な内容だったので、俺は言葉を失ってしまった。

「……で、続きは?」

 芽森の方を見ると、ジト目で俺を見つめていた。どうやら今の会話は芽森には聞えなかったようだ。

 俺は「コホン」と咳払いをして、再び芽森に向き直る。

 ――いや、ちょっと待て。こんなんでいいのか?

 根本的に間違っているんじゃないだろうか。俺が今、芽森に告白して、もしうまくいったとしても、それが『芽森の存在を俺の海馬に焼き付ける』ことに繋がらないんじゃないだろうか。

 今更そんなことが脳裏をよぎる。

「そ、それにしても、ここら辺やけに人が多いわね……場所変えよっか?」

 芽森はそう言って振り返り、俺の先を行こうとする。

 ……人が多い……そうだ!

「待ってくれ」

 そう言って俺は、右手で芽森の右腕を掴む。

「へ?」

 そして俺は左手を芽森の膝裏に伸ばし、そのまま抱き上げる。これはいわゆるお姫様だっこの体勢だ。

「な、ななな、何すんのよ! 降ろしてよ!」

 恥ずかしさなんてとっぱらおう。恥ずかしかろうが何だろうが、それが俺と芽森にとっての思い出になるなら願ったり叶ったりじゃないか。

「芽森」

「な、何よ……」

 芽森は不安そうな顔でこちらを見る。

 俺はスニーカーでざりっと地面を鳴らす、息を吸う。

「好きだああああああああああああああああ!!」

 叫ぶと同時に全力疾走でダッシュした。

「きゃあああああああああああああああああ!!」

 芽森の悲鳴が俺の耳を劈く。このまま公園の端まで走ってしまおう。

「好きだ好きだ大好きだあああああああああ!!」

 馬鹿の一つ覚えのように、俺は「好きだ」を繰り返した。周りから見たら本当に「好き」という言葉しか知らない人間に見えたかもしれない。

「降ろして! 降ろしなさいよバカー!!」

 必死の訴えだった。悪いな芽森、もう少し我慢してくれ。

 過ぎ去っていく人の群れから声が聞こえてくる。多分俺たちに向けられた言葉だろう。

「あら、若いっていいわー」「ああいうの許されるのって高校生までだよねー」「青春っすなぁ」「まじ引くわー」「リア充爆発しろ」

 アホか。かもうもんか。高校生なんだから好きにさせろ。青春万歳だコラ。リア充? はいそうです。俺がリア充ですが何か問題でも?

 俺にとって今この世界は、安っぽい青春小説だ。青春がテーマの映画でもいい。なんなら物語の類ならなんでも。

 とにかく、俺自身の海馬を巻き込んで勝手に物語を仕立て上げてしまおう。主人公は俺。ヒロインは芽森。ああ、こんな拙くも痛々しい脳内設定を思い描いてしまうなんて、なんて俺は青臭い思想をしているのだろう。

 まあ、青臭くたって何だっていい。これが世に出されて人目に触れることはないのだし。それに、こういうこと考えちゃう自分が嫌いじゃないし。


 ただ、この世界は『物語』なんだから、芽森の呪いなんか絶対干渉させない。


 俺の大好きな、とあるライトノベルの主人公は言った。――『青春とは嘘であり、悪である』と。つまり、今の俺たちは悪人ということになるのだろうか。

 ……おそらく答えは否だ。彼はそんなことを言いたいわけじゃないはずだ。彼が言っているのは失敗や過ちを『青春』や『若気の至り』なんていう便利な言葉で正当化するなと言いたいんだ。そのくせ、そんな欺瞞で他者の失敗をあざ笑うなと言いたいんだ。……まあ多少、というか結構な割合で妬みも入ってる気がするけど。

 ともかく、主人公の考えイコール、作者の考えであるとは限らないことはまずわかっている。偏見や極論の類であるかもしれないということもわかっている。でもこれが正論かなんてのはどうでもいいくらい、俺は今この考えに曲解した興味を抱いていた。

 そして、その『興味』は、今になって初めて言葉に変換できそうだ。

 結論を言おう。

「リア充最高だあああああああああああああ!!」

 様々な思いが入り混じった結果、今しがた告白したことを忘れかけた。

 俺は公園の端まで走り終えて、ゆっくり芽森を降ろした。多分五百メートルくらい走ったので滅茶苦茶疲れた。

 ……そういえば、これから芽森の返事を聞かなければいけないのか。そのことも忘れそうになっていた。

 俺はおそるおそる、芽森の方を見る。

「ふ、ふぇ」

 芽森は表情を崩していく。

「ふえぇえん」

 やがて蚊の鳴くような声で泣き出した。ポロポロと湧き出てくる雫を自らの手で拭うと、顔全体濡れた。

 余程怖かったんだろう。もしくは恥ずかしかったんだろう。まず返事を聞く前に、謝らないといけないと思った。

「悪い! 怖い思いさせて」

「……ほんとよ」

「ああ本当に悪かった。いきなり抱き上げたりし――」

「違う!」

「え……」

 芽森は泣きながら途切れ途切れで話す。

「あたしが……あたしがずっと怖かったのは……栗山が……またあたしのこと好きになってくれるのかわからなくて……不安で……すごく怖かった」

 俺はひたすら芽森の言葉に向き合った。

「あたしは……あたしも栗山のことが――好きだから」

 あまりにもストレートな感情を正面から受けて、目がくらみそうになる。半ば知っていたこととはいえ、夢なんじゃないかと勘ぐってしまうくらいだ。

 でも、俺にだって言いたいことはある。だから今度は俺が言葉を向ける。

「俺が芽森のこと、好きにならないわけないだろ。俺は今まで何度だってお前に惚れてきたんだしな」

 そう言って俺は、俺の持つ記憶の中で初めて芽森を抱きしめた。

「なにそれ……くっさい……でも、ありがとう」

 芽森の体温を体の正面で感じて、背中に春の生ぬるい風を感じた。


 五月七日水曜、今日は連休が明けて最初の登校日だ。

 教室に入ると、一人の女子が元気よく俺に挨拶してくる。

「おっはー!」

「おう、おはよう仲間ちゃん。つーか挨拶古っ!」

 ツッコんだ後、俺は仲間ちゃんの隣にある自分の席に座る。すると不意を突かれたように質問がくる。

「クリ坊は連休中何やってたー?」

「……えっと……仲間ちゃんは?」

 やましいことがあるのかないのか、自分でもよくわからなかったが、俺は質問を質問で返してしまった。仲間ちゃんは少しだけ怪訝な顔をするが、すぐに答えてくれる。

「ん? 私? 私は中学の友達と買い物に行ったり、家族でハイキング行ったりって感じ。それ以外は家で読書したりー小説書いたりーかな」

「ふーん……」

「あれあれー? 何その反応、もしかしてクリ坊は私の近況に興味がないのかな? 自分から訊いたくせに」

 そう言って、仲間ちゃんはしたり顔で俺の右頬を指でつつく。

「ああいや、そんなことないぞ」

 これから仲間ちゃんに言わなければいけないことがある。俺はその機会を窺っていた。

「そういやさ仲間ちゃん」

「なーに?」

「俺と芽森、付き合うことになったよ」

 仲間ちゃんが小さく「え」っと漏らした。

「……ほんとに?」

「ああ、連休中に俺から告った」

 見開かれた瞳は俺の顔に向かって微動だにしない。

「すごいじゃんおめでとう! そっか、そうなんだね。クリ坊は芽森ちゃんが好きだったんだ! やー何で気づかなかったんだろう私……」

 そう言って目線を逸らした仲間ちゃんは、そのまま後頭部をさする。

「クリ坊も大人になったなぁ……いやーなんかスッキリしちゃったというか、あはっ、何なんだろうこの気持ち……ん、何だかすごく……胸が痛いや」

 ぎこちない笑顔は次第に泣き顔に変わっていく。涙がとめどなく出てくるようになるまで、そう時間はかからなかった。

「う、嬉し泣きだから!」

 そう言って仲間ちゃんは自分の机に突っ伏した。

「仲間ちゃん、大丈夫?」

「……馬鹿だな私。自分の気持ちに鈍感になってたなんて……ほんと大馬鹿だよ……こんなんじゃ一生物書きなんか名乗れないよ……」

「…………」

 俺は何も言えなかった。感情性が豊かすぎる仲間ちゃんの気持ちを、俺が完全に理解することはできない。だから下手に言葉を返してはいけない。

「な、どうしたの美夏!?」

 右前を見ると、そこには芽森がいた。芽森は仲間ちゃんの頭を優しくなでて、口を開く。

「大丈夫? 栗山に何かされた?」

「ちょ、何言って」

 仲間ちゃんは顔を上げて、

「うん、なんかねー……クリ坊が私に当てつけみたいなことしてきた……」

「ち、違う!」

 ……いや、違わないかもしれない。いつかは言わなければならないこととはいえ、結果的に見ればそういう状況なのかも。

「ちょっと! どういうことよ! 何あんた美夏を泣かしてんのよ!」

 キッと俺を睨む芽森。例によって怒った顔もかわいいのだが、和んでいる場合ではないだなこれが。

「いや、あの、その、な、仲間ちゃん、ごめんなさい!」

「……ん、いーよ。ラーメン奢ってくれたら許してあげる」

 仲間ちゃんは笑ってくれた。勝手ながら、俺はその笑顔をこれからも変わらずに接してくれるというサインという風に受け取った。そのおかげで、俺は何度でも日常に戻ることができるのかもしれない。

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