(5)

 ぺったんぺったん。

 遊園地に行ってから四日がたった。

 今のところクラスでも部活でも、自分でも意外なほど仲間ちゃんといつも通り接することができている。それは俺だけの力ではなく、仲間ちゃんがいつもと変わりないからだ。

 一方、芽森に対するもやもやした気持ちは完全に落ち着くところに落ち着いた。それは俺の心の中で、『何か』を認めたということだ。口には出さない、というか出せないが。

 四月十七日木曜日は雨だった。

 部室でいつも通り、俺はラノベを読んで、仲間ちゃんはパソコンに向かって、飾先輩は杵を両手に餅をついて、芽森は本屋のカバー付の文庫本を読んでいる。

 ぺったんぺったん。

 芽森が何を読んでいるのか気になって訊いてみたことがあるのだが、どうしても教えてくれなかった。内容を盗み見ることができるのは、芽森の隣の席にいる仲間ちゃんなのだが仲間ちゃんはそういうことをする性格ではないし、頼みづらい。

 ぺったんぺったん。

 外は久しぶりの雨だ。この雨はこの辺の桜にとどめをさしてしまうだろう。俺は風景がいきなり切りとられてしまうように感じて、切なくなった。

 ぺったんぺったん。

「よしっ、完成っ!」

「いや! 何で餅つきしてんだよ!!」

 飾先輩は一瞬きょとんとして、

「んー、暇だから?」

 疑問符つきで答えやがった。うぜぇ。

 体操着に短パンの飾先輩は、ご丁寧にねじり鉢巻を巻いている。青のビニールシートの上には本格的な臼と杵が置いてあり、その側にはコンセントに繋がった炊飯器と電気ケトルがあって、締め切った部室の窓は蒸気で真っ白になっていた。

「いや、暇だからってこんな……大体、材料費とかはどうしたんですか?」

「気にするな。全部私のおごりだ」

「なーんだ。それなら問題ないですね! ありがとうございます!」

 そういえば飾先輩の家はお金持ちで、毎日万単位で小遣いをもらっていると聞いたことがあるような、ないような。まあなんにせよ、ご都合主義設定万歳!

 飾先輩は肩をぐるぐる回しながら言う。

「いやー、こねるのも一人でやったから腕がパンパンだ……ほら、取り分けてやるから、みんな遠慮しないで食え、調味料も色々あるぞ」

 テーブルの上には、部員の鞄と仲間ちゃんのノートパソコンの他に、様々な調味料や、海苔やあんこなどの食材があった。

「あたしっ、あんこっ!」「私はあべかわー!」

 芽森と仲間ちゃんが我先にと声を上げた。

「じゃあ俺、磯部巻きで」


「「「「うまーい!」」」」

 四人仲良く、揃って声を上げてしまった。恥ずかしい……。でもつきたての餅は本当にうまかった。

 全体の三分の二ほどを食べ終えると、俺の隣に座っている飾先輩はおもむろに口を開いた。

「さて、腹もふくれたところで諸君……」

 飾先輩は少し間を空けて続ける。

「劇をしないかね?」

 向かいに座っている芽森と仲間ちゃんは、割り箸で口から紙皿へ餅をびろーんと伸ばしている。

「まぁんうぇふぃかうぇひっへ?」

 俺は口の中のものを飲み込んでから再び言う。

「何ですか劇って?」

「次の月曜に体育館で『新入生部活動オリエンテーション』という催しがあるだろう? そこでこの部活も活動内容などを発表せねばならんのだ。部長の私がマイクを持って、適当に説明するつもりだったが、それだとどこか味気ないのでな」

「ですね。やめましょうそれは」

『味気ないから』という理由ではなく、この部長を一人舞台に立たせて、説明させることに不安を抱かずにはいられなかった。

「そこでだ! 普段どのように活動しているのか劇にしてしまおうという寸法だ!」

「おー! なるほどー!」

 仲間ちゃんが驚嘆の声を上げた。

「でも、いくらなんでも急すぎますよ。発表するのは次の月曜なんでしょう? 今日と明日と土日で、もう四日しかないじゃないですか」

 つーかこの人、暇だから餅ついてたんじゃなかったっけ?

「先ほど思いついたことだ。仕方ないだろう? まあでも発表する時間にも限りがあるし、そんな大層なものを発表するわけではない。三四分程度の寸劇でいいんだ」

 うーん……まあ、悪くない考えのような気がしてきた。

「……台本は誰が書くんです?」

「それは仲間君に頼もうと思っていたところだ。ということで仲間君。明日までに三四分程度の尺で台本を作れんかね? 無理なようなら私が書くが」

「できます! 是非やらせてください! おーし文芸部スキルの見せ所だ!」

 仲間ちゃんが両手でグーを作って意気込んだ。ナイス仲間ちゃん! 飾先輩に書かせたらろくなことにならなかったよきっと!

「あ、あたしも舞台に立つの……?」

 芽森が迷子になった子供みたいな、不安そうな顔をした。うへぇ……なんかかわいいぞ。

「もちろんだめもりん! 期待しているぞ! はぁ……めもりんのちょこまかした演技を思い浮かべると、鼻血が出そうだ……」

 俺も想像した……確かに鼻血が出そうだ。うん。

「勝手に想像しないでください! あたしちょこまかなんてしません!」

 やべ……怒った顔もかわいい。完全に飾先輩化してるな俺……。

 ――ぺしっ。

「……いって、何すんだよ仲間ちゃん」

 普段暴力なんて振るわない仲間ちゃんが、わざわざテーブルを挟んだ前の席から身を乗り出して、俺の頭を叩いた。

「む、よくわかんない。なんでだろ?」

 仲間ちゃんは真顔だった。こわいこわい。

 すると飾先輩は、意味ありげに言う。

「ほほう……栗山君、君も大変だな……」

「何がですか?」

「知らんほうがいいこともある」

「そういうもんですかね」

 そう言いながらも、俺は飾先輩の言葉の意味をわかった気でいた。

 俺は鈍感じゃないし、聞こえなかったフリもしていない。ただ許可をされたことを実践しているだけだ。

 ――言い訳で自分を無理やり正当化するなよ。見苦しいぞ。

 その言い訳とやらを口に出してるわけじゃないからいいだろ。これが一番良い選択なんだよ。正当化なんてしていない。

 ――大体、お前は芽森に対して答えを出してるくせに、それも口に出してないじゃないか。この腰抜けが。

 いつかは口に出すつもりだよ。つーか芽森は関係ないだろ。

 ――そうかわかったぞ。お前は『仲間ちゃんが許可した』という事実に甘えてるだけなんじゃないのか? 結果的に仲間ちゃんを苦しめたら意味がないぞ。

 それは……。

 確信をついた質問だった。

「ふうっ……」

 絡まりあった二つの自意識を文字通り一息で静めて、俺は考えるのをやめた。


「――ベランダに閉じ込められてしまった僕は軽くパニック状態であり、下に向かってひたすら助けを呼ぶことしかできませんでした。するとすぐに――『開けましょうか?』と聞こえて、安心したのは本当に一瞬でした。なんとその声は誰もいないはずの部屋の中から聞こえてきたのです。勇気を振り絞ってゆっくり振り返ると……そこには誰もいませんでした。今度こそほっとしって外の方に向き直ると――血まみれの女が宙に浮いていました。僕は両手で頭をつかまれ、ものすごい力で宙に投げ出されました。――三階から落ちた僕は、全身打撲の他に、頭に二十針以上の大怪我を負いましたが、なんとか一命をとりとめました。あの時のことはよく覚えていません。ただ薄れゆく意識の中で聞いた言葉は覚えています。――『ほら頭パックリ開いた』」

 舞台上にいる男子生徒は声のトーンを二段階ぐらい上げて、続けて話す。

「こういう話に少しでも興味がある人は、是非部室に見学にきてくださいね♪」

『い、以上、『オカルト研究部』の発表でした』

 新入生からの拍手はない。その代わりに女子の咽び泣く声の入り混じった、ざわめきが聞こえた。

 四月二十一日月曜。俺たち総文部の面々は、体育館の舞台の上手にいた。

「……お、おお、オカルトというのはなぁ。か、かぎゃく的証明があってこその……その……うんたらかんたらであって……」

「うえっ……ひっく……私もうベランダ行けないよぉ……お布団干せないよぉ……」

「だいじょうぶよ、みか。こわくないこわくないこわくないこわくないこわくないこわくないこわくないこわくないこわくないこわくない――」

 俺たちの出番までもう一分もないというのに、俺以外の三人は非常にまずい状態だった。特に芽森が。

「どうしてこうなった……」

 決まっている。俺たちの前の発表が『オカルト研究部』だったせいだ。

 ともかく、もう後には引けない。俺はまず飾先輩に向かって言い放つ。

「飾先輩!」

「な、なんだ」

「この発表がうまくいったら、芽森が『飾先輩の演技、すごくかっこよかったです!』とか言って抱きついてくるかもしれませんよ!」

「何ぃ!? ならばがんばらんといかんな!」

 よっしゃ! やっぱりちょろかったこの人!

 じゃあ次は、

「仲間ちゃん」

「ひっく……なあにクリ坊」

「今更だけどさ、仲間ちゃんが書いた台本すごく良かったぞ。だから俺この劇にすげー期待してんだ。一緒にがんばろうな」

「……うん! がんばろー!」

 笑顔オーケー! よし。仲間ちゃんも大丈夫だ。

 後は芽森だが、その芽森は感情の無い顔で、なにやらつぶやいている。

「『ぼくのほうがうまくうたえるもん』『いや、わたしのびせいにかなうものはないわ』それはまさに、いっしょくそくはつでした」

『続きまして、『総合文化部』の発表です』

 ああ、もう時間が無い。

「芽森、行くぞ」

「かえるさんとうさぎさんの『おうた』のけっとうは、しれつをきわめ、みっかみばんつづきました。わたしは『もうこんなことやめて』とさけ――」

「芽森!!」

「はえっ!?」

 俺は困惑した顔の芽森の手をとる。

「ぼやぼやすんな。行くぞ」

「う、うん!」

 俺たちは照明に照らされた舞台の上へ走った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る