(2)

 芽森の秘密を知った翌日。放課後、同じクラスの部員三人で部室に行ったら、テーブルの上で部長が逆立ちしていた。

「……飾先輩、何やってるんですか?」

「見ての通り逆立ちだが?」

 この女子生徒の名前は生田飾いくたかざり

 ルックスはかなり良い方なのだが、仲間ちゃん以上に発言の一つ一つが突飛なものばかりで、いわゆる『口開かなければ美人』の典型みたいな人だ。

 部室内の明かりは何故か消えていて、カーテンが窓に半分だけかかっている。そこから入った西日を浴びて、部室のテーブルの真ん中で逆立ちしている飾先輩は、どう考えても異様だった。

 体操着の裾が短パンの中に入れ込んであるせいで、衣類は重力の影響を受けることはなかった。でもその長い黒髪の毛先がテーブルについてしまっていて、体操着のU字の襟からは、重力に引っぱられた柔らかそうな二つのふくらみが見えた。

 ……やっぱり大きい。

 そこで俺はふと我に返って、

「さ、逆立ちってことはわかりますよ! 何でそんなことしてるのか訊いてるんです!」

「いやな、集中力というのはどういう時に究極に高まるのか検証していたんだ。まず必要だと思ったのは『適度な明かり』だろうという考えに至って、部屋をある程度暗くしてみた。次に集中力にとっては必要ない首からの血液をできるだけ脳に送ろうと――」

「いや、仮にそれで集中力が高まったとしても、そんな状態じゃ何もできないじゃないですか!」

 飾先輩は普段から一見すると頭が良い様な口ぶりで話すのだが、一分も会話すれば、誰もがこの人が馬鹿だと気づくだろう。

「……ふむ、たしかに」

 飾先輩はそう言って、上履きを脱いだ足でテーブルの上にスタッと着地した。ちなみにこの人の運動神経は、同年代の女子の中でずば抜けているらしい。

 すると、俺と一緒に部室に来ていた仲間ちゃんはずいっと身を乗り出し、

「なるほど! 集中力を高めて飾先輩も小説を書くつもりですね! 是非やりましょう文芸部!」

「何でそこに繋がった!?」

 俺がツッコむと、飾先輩はしずじすとテーブルを下りながら口を開く。

「まことに残念だが仲間君……私に小説は書けないんだ」

 うん、そうでしょうね、馬鹿だし。

「要するにこの手は執筆のためのものじゃない。アートいうものは常に、その作者に『努力』よりも『才能』というものを要求する……だが私にとっての『ギフト』は執筆のためではないんだ……もっと……なんていうか……こう……クリエイト的なあれであって……」

 ああ、言いながらわけわかんなくなってるなこの人。

 そして飾先輩の言葉を聞いた仲間ちゃんは「そうですか……」と言ってしゅんとしてしまった。ああもう! 誰か! 誰かこの子に文芸部を!

「ん?」

 と、急に飾先輩は疑問符を投げかけて、

「誰だそこにいるのは? 暗くてよく見えん」

 部室の入り口の方を見て言った。そしてそこにある人影がびくっとはねた。

「あ、そうだった。あの、昨日新入部員が入りました。今電気を点けるのでちょっと待ってください」

「なんと、それはめでたい」

 飾先輩の逆立ちのせいで、芽森を紹介することをすっかり忘れていた。

 俺が部室の電気を点けると、テーブルの側にいる飾先輩と入り口近くの芽森の顔が向かい合った。

 芽森はぴしっと姿勢を整えて……というか固まったような感じで厳かに口を開く。

「はじめまして……二年二組の三枝芽森です。昨日転校してきました」

 ……昨日の話が本当なら、この挨拶は芽森にとってどんな意味を持つのだろう。ふとそんなことを思った。

 そして飾先輩はくわっと目を見開き、ゆっくりと口も開かせる。


「かわいい」


 ……え?

 芽森はそこで「ひっ」と小さく悲鳴を漏らし、一歩後ろに下がった。飾先輩はそのままうつろな目をして芽森ににじり寄る。

「ちょ! やだ! 来ないでください!」

 芽森は両手でパーを作ってそれを拒絶し、飾先輩は目線を芽森の頭からつま先の範囲で何度も上下させた。

「ああ、本当にかわいい……物珍しい緑の髪に、マスコットのようにくりっとした瞳……そしてなにより、私の身体で包み込まれるためにあるような、小柄な体躯と絶品のまな板!」

「最後のやつ、もう一回言ったらキレるわよ!?」

 芽森の言葉を完全に無視して、飾先輩は質問する。

「名は何というのだ?」

「……さっきも言いましたよね? 三枝芽森です」

「うむ! では私は『めもりん』と呼ぶことにしよう!」

 そこで芽森はがくっとうなだれて、

「あー……やっぱりそのあだ名なのね」

「? 何を言っている?」

「……何でもないです……ちょっといい加減はなれて……や……ど、どこ触って……どこ触ってんのよっ!!」

 ドムッ。

 芽森が一体どこを触られたのかはよく見えなかったが、今の鈍い音は芽森が飾先輩に腹パンをした音だということはなんとなくわかった。その証拠に飾先輩は腹を抱えて体を折っている。

「ぐふっ……め、めもりん……中々腰の入った……いいパンチじゃないかね……」

「この手のスキンシップを撃退するのは、慣れてますんでね!」

「……ふむ、自らを護るすべを身につけているとは……ますます気に入ったぞ、めもりん!」

 ギラッと眼光を強める飾先輩。

「ならばこちらも……リミッターを外させてもらうぞ!」

 ……こ、これが飾先輩の全力。

『愛でること』に全神経を集中させた飾先輩は、体中からピンク色のオーラを発しているように見えるような、見えないような。

「ひっ……こないで!!」

 芽森はそこでプロボクサー顔負けの右ストレートを繰り出すが、それを飾先輩は軽々と左手で受け止めてみせた。

「無駄だよぉ。さっきまでのかざりんとは思わないでね♪」

 ……今のは飾先輩の言葉です。

 な、なるほど。このモードの先輩はこんな口調になってしまうのか。たしかにさっきまでの飾先輩とは思えない。

「い……いやああああああああああ!!」

 芽森は絶叫して部室を飛び出し、

「あ、待ってよめもりーん!」

 その後を一目散に追いかける飾先輩。

「なんだこれ……」「なんなんだろうね……」

 俺と仲間ちゃんが口々に言った。あの仲間ちゃんですらドン引きさせてしまう飾先輩は、やはり只者ではない。そう改めて実感した。


 帰り道、昨日と同じように俺は芽森と肩を並べて歩く。

 当たり前だが、芽森と一緒に下校するのはこれで二回目だ。

 でも昨日の話が本当なら、百回以上こんな感じで下校したことがあるのかもしれない。そんなこと、少しも想像できないが。

 五分ぐらい歩くと、住宅に囲まれた十字路に行き着いた。昨日、芽森と激突した、あの十字路である。

 俺はそこで、昨日から訊きたかったことを訊くことにした。

「なあ芽森。なんで昨日あんな風に、わざとぶつかってきたんだ?」

 俺は『わざと』だと断定して話した。今こうやってこの場所を見ると、そうそう人同士がぶつかるような構造はしていないように思える。

 すると芽森は、何故か赤面して、

「あ、あんたってマンガとかアニメとか好きでしょ?」

「は?」

 何を言い出すんだこいつ。

「いいから答えなさいよ!」

「えっと……まあ好きだけど」

「……どういうジャンルが好き?」

 ……芽森って実は隠れオタクなのかな?

「うーん……学園モノとかラブコメ……ロボット系も好きだけど」

 今はこんな話どうでもいいはずなのに、貴重な同類を得た気分になって、俺はつい話を合わせてしまった。

「うん、変わってないわね」

 芽森はそう言ってニコッと笑った。その笑顔をあくまで『不覚にも』かわいいと思った俺は、慌てて疑問を投げる。

「そ、それがどうさっきの話と繋がるんだよ」

 俺が言うと、芽森はゆっくりと口を開く。

「えっとね……だから……栗山はそういう学園ラブコメのお約束みたいな展開に憧れてんだろうなって思ったのよ……だからあの……そういうシチュエーションにすれば、栗山はあたしを好きになってくれるのかなって思ったから……そういうジャンルのマンガとかラノベを読み漁って勉強して……そうしました」

 芽森は真っ赤になってそう言った。いや、言ってのけた。

「まあ……失敗しちゃったみたいだけどね……」

 続けて芽森はそう補足した。その赤い顔は真っ直ぐ俺に向けられている。

「……あ……えっと……」

 俺は懸命に返す言葉を探した。顔が熱い。

『やめろ芽森! そんなしおらしい顔するな! ときめいちゃうだろ!』そんな言葉が見つかったが当然言えるわけがない。ああ、いかんいかん、こんなこと考えるなと、頭の中でブレーキを探して、ああこれかと力強く踏み込んだ結果、

「……め、芽森は俺のことが好きなの?」

 アクセルを思いっきり踏み込んでしまった。

「それは訊くなバカァ!!」

「でも俺と芽森は以前に付き合ってたんだろ? それってそういうことじゃ……」

 もはや何も判断できなくなった頭の中では、依然としてアクセルが踏み続けられている。

「そんなん覚えてない! 知らない! 帰る! もう帰る! また明日!」

 芽森は無理やり挨拶して、さっさと先に行ってしまう。

「ああ! じゃあーなー!」

 足を止めて、俺も無理やり挨拶を返した。

 芽森が見えなくなったころになってようやく、俺は自分の鼓動が尋常じゃないくらい早くなっていることに気づいた。

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