第一章 AとMとJ

(1)

 四月七日。散りかけの桜並木の側を歩いて、俺、栗山翔くりやましょうは考えた。

 俺は幼いころから漫画やアニメなどのサブカルチャーに触れて、そこで繰り広げられるボーイミーツガールにそれなりに憧れていたりする。

 しかし、そういった媒体で起こるようなボーイミーツガールは実際に起こりえないものだということを知っている。……まったく、夢がない世界だ。

 何でこんなことを考えてしまったのか。それは今日が春休みが明けてから最初の登校日だからだろう。高校二年生になるだけなので新生活と言うと大げさだが、クラス替えなど新しいことが多く待っているのは間違いない。

 でもまあ、常識的に考えてありえるわけがないのだ。それに、そういうシチュエーションに憧れていたとしても望んでいるわけではないし。

 空から女の子が降ってきたり。

 異世界に飛ばされてその世界の女の子と異文化交流したり。

 食パンをくわえた女の子と曲がり角で――ゴフッ!

「……うっ! 痛っ……てっ……」

 十字路で右側から強烈なタックルを食らって、俺は倒れこみ、悶絶。

「いててー……ねえちょっと! どこ見て歩いてんのよ!」

 耳に入る声から全く痛そうな感じがしないのは何故だろう……。

 俺はすぐに立ち上がると、尻餅をついてへたり込んでいる少女の顔が目に入った。次に少女の足元に、イチゴジャムらしきものを塗りたくった食パンが一枚あるのが見える。

 少女のルックスの第一印象は『あれ? この子結構かわいいな』だった。

 小柄な体型に、顔には大きくて意志の強さがわかる瞳。目立ち過ぎない程度に高い鼻。形のよい桜色の唇。

 そして何よりも印象深いのは、本来なら現実離れしているはずなのに、何故かそれを殆ど感じさせない、緑がかったセミロングの髪だった。

「ねえってば! 聞いてんの!?」

 着ている制服とそれに付いたリボンから、俺と同じ高校の、同じ二年生ということがわかる。

 こんな髪色の子がいたら一年生の内に存在ぐらいには気づくはずなのに、今の今まで知らなかった。ということは転校生かな?

 それにしても……うわぁ……なんていうか……うわぁ……。

 さっきの話の続きをすると、例えば万が一、このようにボーイミーツガールが現実で起こっても正直ドン引きするだけなのである。ボーイミーツガールに憧れていても、それが一般的に『ありえないもの』だから、どうしても奇怪に感じてしまうのだろう。

 ああ、ジレンマだなぁ……。テンプレだなぁ……。

「聞きなさいよ! どこ見て歩いてんのよー!!」

 気持ちを切り替えて、俺は質問に対する事実のみを答えようと口を開く。

「……えーと、普通に前を見て、安全に配慮しながら歩いてたんだけど……」

「ぐっ……」

 特に痛いところをついた気はなかったが、少女はつかれたような顔をした。

「そ、そんなはずないでしょ? 明らかにそっちがぶつかってきたんだと思うけど……ところであんたあたしと同じ高校ね、名前何てゆーの?」

 畳み掛ける少女の言葉が、なにやら演技がかったものに聞こえる。

 ……それにしても、情緒不安定、もしくはバカなのかなこの子。何でいきなり名前聞き出そうとしてんだよ。話題のもっていき方がえらく強引だな。

「俺の名前は置いておいてさ、さっきも言ったけど俺は普通に歩いてただけなんだよ。そこだけ誤解しないでもらえると助かるんだけど」

 俺は怒らず、穏便にこの場をおさめようと言葉を選んだ。

「な、何よ……それじゃあたしが当たり屋みたいじゃない……」

 うん。ぶっちゃけ俺はその線しかないと思ってるんだけどね。同じ高校の生徒から何を請求してくるつもりか知らないけど……。

 とにかく面倒ごとはごめんだ。

「まあ、立てよ」

 そして俺は地面に座ったままでいる少女に右手を差し出した。

「あ、ありがと……」

 渋々、といった様子で俺の手を取り、立ち上がる少女。

「…………」

 少女が何か言ってくるかと思いきや、顔を伏せたまま何も言わないので沈黙が流れる。

 と、少女が顔を上げて突然切り出す。

「一つだけ質問……は、まぁいっか」

「は?」

「なんでもないわ。それじゃ」

 少女はそう言うと振り返って、早足で学校の方に歩き出した。振り返る直前、一瞬だけ感情の読みづらい神妙な表情をしたのは気のせいだろうか。

 ……まあいいや、とにかくあの子が転校生だとしたら、同じクラスにならないことを願う。めんどくさい性格をしていそうだし、めんどくさい展開にもなりそうだ。

 つーか食パン捨ててくなよ!


 目の前の黒板には『三枝芽森』という文字が白のチョークで書かれている……。

「んじゃあ、三枝さん。自己紹介お願い」

 教壇に新しい担任の先生と共に立つのは、つい先ほど出会った少女だった。

 ……ですよねー、何だか薄々そんな気がしてましたぁ。

 テンプレっぽく『あー! おまえはあの時のー!』と席を立って大きな声で叫んでやろうかと二秒くらい考えた。……やめた。

「はじめまして! 千葉から来ました、三枝芽森さえぐさめもりです! 皆さんとは早く仲良くなりた……い……」

 三枝芽森とかいう少女は、どこかわざとらしく息を吸った。

「あー!! あんたはさっきの!!」

「ぶっ」

 あ、あっちが俺に言ってきたよ……。そして教室はざわつくことを強いられる。

「えーと……なんですかコレ……?」

 ざっくりした疑問が思わず口に出た。

 いやだなー。何で新学期早々こんな辱めを受けなきゃいけないんだろう。こういうシチュエーションの主人公を少しでも羨ましいと思っていた自分を殴りたい。

「なんですかじゃないわよ! 倒れたときあたしのパンツ見たくせにいいい!!」

 更なる辱めきたあああああ!!

「見てない見てない! すぐ立ちあがったすぐ立ち上がった!」

 大事すぎることなのでそれぞれ二回ずつ言った。そんな俺の弁解もむなしく、

「うわっ、何このマンガみたいな展開!」

 運命的シチュエーションに目を輝せる女子に、

「栗山ーお前手が早いなー!」

 笑いながらは俺をはやし立てる男子。

「え? え? なになに? 二人はもうお知り合いなの?」

 担任の篠崎先生(女)がなにやら一番楽しそうに見える。

「あぅ……」

 当の本人は首から上にある肌の全てが真っ赤になっていた。うーん、本当に何がしたいんだろうなこの子。

 ……ああ、もう帰りたい。

 この前に始業式とか、新しい担任の自己紹介とか、クラスの自己紹介とか色々あったはずなんだけどな、全部忘れちゃった。


 ホームルーム後の休み時間になると、転校生が来たとき行われる通例行事である、質疑応答が行われていた。

 転校早々強烈なインパクトを残した三枝に、クラスメイトは沢山聞くころがあるようで、俺の席から三つ斜め右にある三枝の席はちょっとした人だかりになっていた。

 俺はそれを自分の席からぼんやり眺める。

「ふあっ……騒がしいなぁ……」

 右隣の席を見ると、ホームルームが終わるとすぐに机に突っ伏して寝息を立てていた女子、仲間美夏なかまみかが顔を上げていた。

 この子はこういう時、率先して転校生に話しかけるタイプだと思っていたけど、それを放棄して寝ていたということは、

「なあ仲間ちゃん、もしかして昨日も徹夜して小説書いてたの?」

 俺と仲間ちゃんは同じ部活に所属している。

 ――『総合文化部』、略して総文部。

 この部活は『文化に触れる』という名目ならば特に何をしてもいいことになっている。

 仲間ちゃんはそこで個人で小説を書いたり、個人で部誌を作成したりして、文芸部の活動をしているわけだ。

「そそ、一回、『書ける! 書けるぞ!』って思うと、中々手が止まんないだよねぇこれが。クリ坊にもこの気持ちわかってほしいな!」

 語りながら、仲間ちゃんは眠そうな顔を晴らしていった。そして完成したのは、見る側も気持ちの良くなる笑顔だ。

 こういう『晴れの顔』が仲間ちゃんには一番よく似合うと思う。飲み物で言うところのカルピス。果物で言うところのスイカ。場所で言うところのビーチ。つまりは季節で言うところの『夏』、というのが仲間美夏という存在。美夏という名前に名前負けしない程度には、なつなつした子だと思う。

 ボブにした太陽のようにも見えるオレンジがかった茶髪が、一層それを印象付ける。

「……って何私の顔じーっと見てんのさ。惚れたの? 百万円くれたら付き合ってあげてもいいよ?」

「いや、なんでもないし。付き合わないし」

「もークリ坊のいけずぅ」

 『クリ坊』というのは仲間ちゃんが俺につけたあだ名だ。某有名ゲームシリーズに出てくるキャラからとっているのかほんの少しだけ疑問だけど、ほんの少しなので訊かない。

「それにしてもさぁ、三枝さんだっけ?」

 突然話題を変えた仲間ちゃん。

「ああ、転校生か」

「私はクリ坊が羨ましいよ。あんな美少女に一目置かれちゃうなんて。あれはもう『私が男子ならすぐ行動に移しちゃうレベル』のかわいさだね」

「うん、基準が分からん」

 仲間ちゃんなりの分析に俺はそっけなく返事をした。

 さっきの告白まがいの言葉といい、仲間ちゃんはよくこういう突拍子も無いことを言う。特に今日は寝不足のテンションが上乗せされている気がする。

「夏がきたらどうなることか……」

 俺は嘆息した後、そうつぶやいた。

「ん? 何? どーゆー意味?」

「いや、水を得た魚にみたいになるんじゃないかなって」

「意味わからーん! わかるように言えー!」

 プンスカ、という擬音が聞こえてきそうだった。


 放課後、総文部の部室で俺と仲間ちゃんはテーブルを挟んで座り、二人で下書き用のシャーペン片手に、A5の用紙に向かってあれやこれやとアイデアを飛ばす。『新入生勧誘用のチラシを製作する』これが今日の総文部の活動内容だ。

 総文部の活動は、『文化に触れる』ということを前提にしなければならない。そのことを上手いこと新入生に説明しなければ。

 でもまあ、『文化』なんてものは曖昧な定義なので、実質何をしてもいいわけだ。文芸部っぽい活動はもちろん、演劇部っぽい活動や、軽音楽部っぽい活動をしてもいい。それぐらいゆるゆるの部活が出来あがったのは、創部者の手腕じゃなくて、中堅の高校ならではゆるさがなせる業なのだろう。

 しかし、最近の俺個人の総文部での活動内容はというと、マンガを読んだり、ラノベを読んだり、宿題をしたり……ぶっちゃけ自宅でも出来るようなことばかりだ。部室という宝を確実に持ち腐れにしている。

 今日もその例に漏れず、俺は鞄から読みかけのラノベを取り出して読むことにする。仲間ちゃんは顔を伏せて、太字のサインペンをA5の紙に走らせ始める。清書は俺よりも字の上手い仲間ちゃんに任せることにしたのだ。その代わり後で俺はジュースを奢ることになっている。

 二三分たって、仲間ちゃんは突然渋い表情をして、「うーん……」とうなり始めた。

「どうした?」

 てっきり『やっぱりここはこうしたいなー』みたいな、チラシのデザインについてのことかと思ったが、違った。

「いやー、部室ってこんなに静かだったかなぁって思ってさ」

 実を言うと、俺もそんな風に感じていた。でもそう思う理由は明確なわけで。

「今日は部長がいないからだろ? あの人、こういうまともな活動のときに限っていないんだから困ったもんだよ」

 仲間ちゃんは俺の言葉を聞いても、釈然としないような表情を変えない。

「んーそうなのかな。でもなんか……なんか違うんだよね。なんかさー」

「なに言ってんだか……」

 俺はそう言いながらも、仲間ちゃんの不明瞭な言葉に少しばかり共感していた。確かに『部長がいないから』という理由は何か違う気がする。

 と、部室の扉をノックする音が聞こえた。

「ん、どうぞー」

 仲間ちゃんがそれに返事をした。

 誰だろう? 部長は今日来れないことを聞いているし、顧問の美馬先生は部室に滅多に顔を出さないのに。

「失礼します」

 部室の引き戸が開いて、入ってきたのは三枝だった。

 三枝は部室内を一瞥し、俺と仲間の方になにやら神妙な表情を向けた。

「う……」

 俺は思わず声を漏らした。何のつもりでここに来たのだろう? ああ、なんか嫌な予感がする……。

「わわっ! 三枝さんじゃん!」

 仲間ちゃんは勢いよく席を立ち、一目散で三枝に近づいていった。

「あの……実は――」

 がしっ。と仲間ちゃんが三枝の両肩をつかみ、息を吸った。

「私、仲間美夏! 見学!? それとも入部!? 入部かな!? 入部だよね!? そうに違いない! やったぁ! うれしぃなぁ、私と同学年の女子がいないもんで心細かったんだよ!」

 まくし立てる仲間ちゃんの背中から狂気を感じる。怖いって。

「えっと……」

 困惑する三枝、当然である。

 俺は二人に近づきながら口を開く。

「あー三枝さん。この子徹夜明けでテンションおかしいから気にしないでくれ。……そんで今日は何で部室に来たの?」

 三枝は少し間をおいて少しどもりながら切り出す。

「そ、総文部に入部しようと思って」

「やったああああああああああああああ!!」

 もちろん絶叫したのは仲間ちゃんである。両手を高々と掲げてガッツポーズをしたまま、部室を一周。

「ちょ、ちょっと待て! ろくに見学もしないで入部きめちゃっていいのか!? もっとちゃんと選んだほうが……それに、こんなとこよりもっといい部活が沢山あると思うぞ?」

 正直なところ、入部しないでほしかった。こんな行動原理のわからない女子お断りだ。

「ヨケイナコトイウナヨクリボー」

 仲間ちゃんが、ふたのついたサインペンで俺の横っ腹をぐりぐり。部員に同年代の女子が欲しいという、切実な思いが伝わってくる程度の痛みはあった。

 三枝は俺の顔をじっと見つめて口を開き、

「誰が何と言おうと、あたしはこの部に入部するわ」

 そう言い切った。その意思は固そうに感じる。

 そして突如鼻水をすする音が聞こえてきた。

「うっ……ひっ……」

 なんと仲間ちゃんは号泣していた。ほんと……感受性豊かだなこの子は……。

「いやーホントうれしいっすわー……やっとここから私の青春の一ページが刻まれるのかなぁ……」

 ……仲間ちゃんの性格からして、この涙は俺を泣き落としするためのものでもないような気がする……たぶん。

 仕方ない。もう少し考えるか。

「……三枝さん。そもそも何でこの部に入ろうと思ったの?」

「理由なんてどうだっていいでしょ」

「冷たっ!」

 これが今日会ったばかりの人に接する態度なのだろうか。少しばかり将来が心配になるレベルだ。

「とにかくそういうわけだから、これから職員室に入部届けをもらってくることにするわ。二人ともよろしく」

「うん、よろじぐー」

 ずずっと鼻水をすする仲間ちゃん。

 三枝は踵を返して部室の引き戸を開ける。そしてそのまま背中越しに声を出す。

「そ、それと二人ともあたしのことは『芽森』でいいから……」


 職員室に美馬先生がいたので、入部届けをもらって、その場で記入をして、その場で提出をした。と、部室に帰ってきた三枝は言った。

「じゃあここの席、あたしがもらうわね」

 三枝は続けて言って、テーブルから椅子を引っ張り出して座った。位置は仲間ちゃんの隣、俺の左前である。

 ……なんだこのとんとん拍子。どうしてこうなった。

「えっと……三枝さん――」

 俺が言うと、三枝は俺をじとっと睨み、

「芽森って呼んでって」

「そう言われてもな、今日会ったばかりだし」

「同じ部員になったんだから、遠慮なく呼びなさいよ。第一、あたしが許可してるんだし」

「……め、芽森はこの部活の活動内容は知ってるのか?」

 歯が浮くとかそういうレベルじゃない。ほぼ初対面の女子を名前で呼ぶなんて。

「活動内容って……この部活はそんなもの無いも同然じゃない。基本的に何でもしていいんでしょ?」

「まあ、確かにそうだけど……。ん? つーか、よくそんなことまで知ってたな?」

「あ、えっと……美馬先生から話は聞いてあるから……」

 ……少しおかしい。国語の教師である美馬先生が文化うんぬんのことをとっぱらって『何でもしていい』なんて説明をするだろうか……。

「ねえねえ芽森ちゃん! 今日クリ坊とぶつかって、パンツ見られたって本当?」

 芽森の隣でずっとニヤニヤしていた仲間ちゃんが、いきなり声を上げた。

 芽森はボッと顔尾を赤くして、

「そっ、その設定はもういいの! 終わり! もう終わり!」

「なるほどぉ設定だったんだね」

 仲間ちゃんはしたり顔で納得した(?)ようだが、俺には到底できなかった。設定ってなんだよ。大体パンツを見たこと自体が冤罪だっつうの。

「と、ところで仲間さん。あなたのことは『美夏』って呼んでいい?」

「いいよー! 私はその一気に距離を縮めようとするその姿勢、嫌いじゃないよ!」

 それを聞いた芽森は再び顔を赤くする。

「んじゃあ俺のことは――」

「『栗山』って呼ぶわ」

「さいですか」

 本当にこの子は、馴れ馴れしいのか突き放してるのか、よくわからない。

「よっしゃ、じゃあとっとチラシを終わらせて歓迎会だね。クリ坊、購買部で適当に缶ジュース三本とお菓子買ってきて。私のジュースは予定通りクリ坊のおごりで、お菓子と芽森ちゃんのジュースは二人で割り勘にしよう」

「……りょーかい」

 俺は財布を持って、やりきれない気持ちを残しつつも部室を出た。

 廊下を歩きながら、疑問に思ったことがある。

 ――俺、芽森に名前言ったっけ?


 結果から言うと、歓迎会はそれなりに盛り上がった。

 トランプで大貧民とババ抜き。三人なので戦略も糞もない人狼ゲーム。割り箸で王様ゲーム。

 ババ抜きや人狼ゲームは表情がわかりやすい仲間ちゃんが圧倒的に弱かった。

「あはっ、美夏ってばわかりやすい」

「だろ? 弱いだろこの子」

「むー……。もう一回! もう一回やるよ!」

 そんな仲間ちゃんを見て、芽森は何度か笑うことがあったので、冷たい印象を少しずつ薄まっていった。

 それにジュースで何故か酔っぱらってしまった仲間ちゃんとの接し方、というか扱い方がわかっている気がしたし、居心地も悪くなかった。

「ういー……私は小説が好きなんだよぉ……やりたいことしかやりたくないんだよぉ……」

「うんうん、その気持ちわかるわー。やっぱり好きなことばっかりやって生きていきたいもんよね」

「うえーん芽森ちゃーん!」

 がばっと芽森に抱きつく仲間ちゃん。

「なんだこれ……」

 ……というか、俺自身こういう場に慣れているような気もする。


 その日の帰り、自転車通学の仲間ちゃんとは校門で別れ、俺と芽森は駅まで一緒に歩く。

「…………」「…………」

 ……やべぇ! 気まずい! つうか同じ帰り道かよ。

 こういうときは何を話したらいいんだろう? そうだ! このさい、今日の朝、なんで俺に冤罪をふっかけやがったのかここで問いただしてやろうかな? ああでも、冤罪とはいえあっちは被害者なわけだし。あっちは本当にパンツ見られたと思ってるのかもしれないし。どうしようどうしよう!

「ねえ」

 突然、芽森は俺の袖をくいっと引っ張って、

「お願いがあるの。一緒にうちまで来て」


 何で俺はついていってしまったのだろう?

 いや、俺はその答えを本当は知っていて、それは多分、お願いされたときの言葉と、上目遣いと、袖を引っ張る仕草を、不覚にもかわいいと思ってしまったからである。

 二人で電車を乗り継いで、着いた駅から徒歩五分ほどでその寺の入り口まで来た。『脳解寺』名前以外はいたって普通のお寺に見える。

「あたしはね、このお寺に住ませてもらってるの」

 その言葉に、俺は当然違和感を見つける。

「住ませてもらってる?」

「うん。ここはあたしの自宅じゃないのよ」

 ……家出でもしたのだろうか。何か深い事情があるように思えて、俺はそれ以上訊くことができなかった。

「ほら、こっちよ」

 俺は言われるがまま芽森について、桜の花びらが散らばった石畳の上を歩く、やがてたどり着いたのは、本堂の横にある住居のような建物の玄関の前だ。

「なあ芽森……そろそろ何でここまで連れてきたのか教えてくれよ」

 ここがもし、仏教じゃなくて変な新興宗教にのっとっていたとしたら……という考えに思い至って急に怖くなってきた。

「もうちょっと待って。すぐに分かるから」

 芽森はそう言って、玄関のドアの横のインターフォンを押した。やがてプツンッと回線が繋がる音がして、その後男の声が聞こえてきた。

「はい」

「ただいま黒野さん」

「ああおかえり、今開ける」

 ややあって、ガチャリと外開きのドアが開いた。

 現れたのは、白のロンTとスウェットに身を包んだ、180センチほどもある三十代ぐらいの男だった。首から上に生えるはずの毛はほとんどない。そしてこの人がこの寺の坊主だということはすぐにわかった。

 男は俺の方を見てニヤッと口角を上げて、

「おう、来たな栗山」

 やけに馴れ馴れしい言葉を投げてきた。……いや、そんなことより、

「どうして、俺の名前を……?」

「まあ、その話は中でしよう。上がってくれ」

 ……さすがに躊躇した。これから何が始まるかもわからないで、赤の他人の家に上がるなんて……。

 そんな俺を見かねたのか、芽森は俺の腕を引いた。

「大丈夫よ、中で少し話をするだけ。早くいきましょう」

 渋々俺は靴を脱いで、その中に足を踏み入れた。


「名乗ってなかったな。俺はこの寺で住職やってる黒野哲司くろのてつじだ」

「……栗山翔です」

 通されたのは、必要最低限のものしかない六畳間だった。俺とちゃぶ台をはさんで、芽森と黒野という男が並んで座っている。

「さあて、何から話すか……」

 黒野さんはそう言って、ライターで口にくわえた煙草に火をつけた。

「芽森。お前は何から話したい?」

「……何からでも。結局は全部話すんだし」

 正座した膝の上で手を結んだ芽森が、伏し目がちで答えた。

「そうか」

 黒野さんは煙を吐き出して、真相から話す。


「芽森の存在はな、三ヶ月しかもたねぇんだよ」


 俺は頭を回して、懸命にその言葉を咀嚼した。

 しかし理解できるわけが無い。第一、『存在がもたない』なんて言い回しを生まれて初めて聞いた気がする。

「栗山。この四月以前にこいつに会った記憶はあるか?」

「……ないです」

 芽森の結んだ手にぎゅっと力がこもるのが見えた。それが俺には妙に痛々しく見えた。

「本当か? カケラもないってことでいいのか?」

 そう言われたので、俺は再び記憶を掘り起こしにかかる。しかし何も無い地面をひたすら掘るだけだった。

「やっぱり、ないです」

「そうか」

 黒野さんはまた煙を吐きだして、

「芽森に関する記憶は、三ヶ月ごとに人々の記憶からリセットされるんだ。俺みたいな業界人を除いてな。いや記憶だけじゃねえ、芽森に存在を示す、全てのものがこの世から消去される。三枝芽森なんて人間は初めからいなかったみたいにな」

「な……」

 俺は言葉を失った。黒野さんが言っていることの意味はなんとなくわかるが、到底信じられないような内容だった。

「去年の十月に、芽森はそういう類の呪いにかかったんだ」

「そういう類って……具体的にいうとその呪いっていうのは……」

「人々に忘れられて、死んでいったやつらがかけた呪いさ」

「忘れられて?」

「誰にも見取ってもらえずアパートの一室で息を引き取った老人。戦争で身内を全部焼かれた後に自分も焼け死んだ兵士。事実無根の罪を突きつけられて、弁明する暇も無いうち死刑執行になった青年……。まあそんなとこだろ」

 黒野さんは伏目になって続ける。

「『人に忘れられる』ってのはある意味、死ぬことより悲惨だ。悪霊になったそいつらは、そこに恨みがなくても、悲しみによって呪いを生んじまうのさ。無自覚にな。不定期に現れるその呪いの犠牲者が、今回は芽森だったってわけだ」

「……そんな話」

「信じられないか? まあ期限が近づくにつれて、こいつがせわしなくなっていくと思うから、嫌にでも信じるようになると思うがな」

 そう言って黒野さんは灰皿に煙草を押し付けた。

「……大体、何で俺にこんなこと話したんですか」

 そこで黒野さんはニヤリと笑い、

「あー……そうだな。そこを説明しなきゃいけなかった」

「ちょ、ちょっと待って黒野さん! やっぱりあたしから言うわ!」

 芽森がいきなり赤面して声を上げた。

「……そうか、わかった。がんばれよ」

「あのね栗山……あたしが本当に総文部のみんなと出会ったのは、あたしが本当に転校してきた去年の十月の初めなのよ。つまり、あたしが呪いにかかったころ。そのころは自分が呪いにかかってることに気づいてなかったわ」

「お、おう……ほんとか? それ……」

「ほ、本当よ……! その後、あたしは黒野さんと出会って、この呪いが判明したの。多分文化祭が終わった十月の終わりごろだったと思う」

 芽森はいったんそこで息を吸って、

「それで……それでね……あたしはその……はうう……」

「な、なんだよ……」

 芽森は人間の体の限界に挑んでいるような、真っ赤な顔をくっと俺に向けて、


「く、栗山と付き合うことになったの!」


 …………………………は?

「付き合う? 何に? 買い物とかかな?」

「違うわよこの鈍感主人公! 恋人! あんたが彼氏であたしが彼女!」

「う、嘘だろ……」

 ……というか、それが本当なら俺たちの馴れ初めが丸々カットされていたような気がするんですが。

「だからさっきから本当って言ってんでしょうが!!」

 照れに怒りが加わって、芽森の顔はもはや皮膚を一枚剥いだような赤さだった。

「もう! 何でこんな恥ずかしいこと言わなきゃならないのよバカァ!!」

「知らねえよ!」

 俺は全力でツッコんだ。

 芽森の甲高い声がまだ耳で反響している。黒野さんは完全に呆れ顔だ。

「あたし! もう部屋にいく!」

 芽森はそう言い残して、勢いよく襖を開け、部屋を後にした。

「はぁ……黒野さん、もしかして俺、こんな感じで前にもここに来たことがあるんですか?」

「そうだな。だから俺はお前の名前を知ってたわけだ。だがその時、俺とお前は芽森を介して出会っている。そういう理由でお前は俺のことも忘れちまったんだろう」

「なるほど……でもこの話が本当だったとしても、やっぱり俺に話すメリットはないですよ。俺が何か手を貸してやれるわけでもないですし」

「いや、むしろ栗山に全てかかってると言っても、過言じゃない」

 黒野さんはそこで新しい煙草に火をつける。

「どういうことですか……?」

「この呪いを解く唯一の方法、それは、俺みたいな業界人以外の誰でもいい、『誰か一人の脳の海馬に三枝芽森という存在を焼き付けること』なんだ。恋人だったお前が適任だろ?」

「でもそれだったら俺じゃなくても……家族……あ……」

 気づいてしまった。

「そういうことだ。言っただろ? 例外を除いて、人々の記憶から芽森は消えちまう……もちろん家族だってそうだ」

「…………」

「考えてもみろよ。芽森のことを忘れてる両親に向かって『実はこの子はあなたの娘です。だから仲良くしてやってください』なんて言っても気味悪がられるだけだ」

 ……本当だとしたら辛すぎる現実だ。こんな想像したくも無いような状況に芽森は陥ってしまっているなんて。

「それで、その『存在を海馬に焼き付ける』っていうのは、具体的にはどうしたら?」

「……それがよくわかんねぇんだ。過去にこの呪いが解かれた例をかき集めた結果がこの解決方法らしいんだが……悪いな」

 黒野さんはそこで、まだまだ吸えそうな煙草を灰皿に押し付けて、頭を下げた

「この呪いついて、俺は助言ぐらいしかできない。だから本当にお前次第なんだ……頼む栗山! とにかく芽森と仲良くやってくれればいいんだ!」

「ちょ、やめてください! わかった! わかりましたよ! 仲良くするぐらいならいくらでもやります!」

 俺の言葉を聞いた黒野さんはぐわっと頭を上げて、

「おし言ったな! じゃあ俺は適当に助言して、適当にニヤニヤしとくことにするからよろしく!」

「何言ってんのあんた!?」

 六畳間に再びツッコミが響き渡った。

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