三枝芽森のワンクールラブコメ

横平さしも

プロローグ

 記憶なんてものは、いつだって曖昧で、現に今だって判然としない。

 人は忘れたいことに限って忘れられないというが、俺は違うと思う。というか、俺個人は少なくとも違う。

 忘れたいことも忘れたくないことも、平等に忘れていくのだ。

 幼いころ母親に叱られた理由も、あんなに読みふけった漫画の主人公の必殺技も、好きだった女の子の名前も、サインコサインタンジェントも、全部平等に、少しずつ。

 そんなことを確信させるような、少し残酷な夢を見た気がする。

 どこからか聞こえる鐘の音によって、俺は目を醒ました。

 おぼろげな意識のまま前方を確認すると、自宅近くの公園のベンチに座っていることに気づく。

 ものすごく寒い。それはそうだ。夜だし雪が降っているし、その上積もっている。こんなに寒いところで意識を失っていたのに、よく死ななかったな……。

 それにしても何故こんなところにいるんだろう。俺、何をしてたんだっけ。

 ……ああそうだ。今日は大晦日……いや元旦か? 何にせよ、さっきのは除夜の鐘の音か。たしか俺は同じ部員同士で初詣に行ってそれから――

「うっ」

 覚えていることはそこまでで、思い出そうとすると頭痛が走った。とっさに右手で頭を抑えようとするが。上がらない。

 疑問に思って、意識を右手に向けると、温かいものを感じた。そしてまだ若干の気だるい意識のまま右側を見た。

 そこには確かに少女が座っていた。必然的に目が合ってしまう。

 緑がかった髪が特徴の、知らない少女だ。そして何故か、その知らない少女の左手と俺の右手は繋がれていた。

「あ……お、起きたの?」

 少女が恐る恐る口を開いて言った。そんな様に見えた。

「えっと……あの……」

 この状況に対する謎が多すぎて、俺は何を言えばいいのかがわからなかった。

「……まったくもぉ、急に寝ないでよね」

「ええと……」

「覚えてる? 一緒に初詣に行こうっていう話だったのに、あんたったら急にあたしを公園に連れ出すからさ、『ねぇ何でこんな所で年を越さなきゃいけないのよ?』ってあたしが言ったら、『人が少ないから』って……あんたも結構大胆よね。そんでベンチに座ったら、いきなり寝ちゃってさぁ――」

「…………」

「……でさぁ、一つ訊いていい?」

 俺がその質問に答える前に、少女が再び口を開く。

「あたしのこと――」「どちら様?」

 それ以上少女の不可解な言動を聞くのは限界で、言葉をさえぎるように今最も疑問に思っている言葉が出た。

 それを聞いた少女は、あっけに取られたような顔をした後、じわりじわりと表情を変えていく。やがて出来上がったのは悲壮感にあふれたものだった。

 こんな顔、俺はドラマや映画でしか見たことがない。そのくらい現実離れしているものだった。

 と思えば、一転してニコッと笑顔になり――パンッ、とすぐさまビンタをもらった。

 頬が痛い。ついでに寒い。どうして俺がこんな仕打ちを受けなきゃならないんだ。

「そっかそっか。ごめんなさいね。見ず知らずの少年君」

 少女はそう言って、笑顔を残したまま立ち上がり、その場を去ろうとする。

「ちょっと待て」

 俺は少女を呼び止めて、

「前にどこかで、会ったこと、あるのか?」

 何故かこんな質問をしてしまった。本当は俺を引っ叩いたことについて説明を求めるつもりだったのに。

 少女は立ち止まって、俺に背中を見せたまま、絞り出したような声で言う。

「そんなこと言って、あたしを不安にさせるなんてどういうつもりよ……。やめてよね……ほんとに……」

 予想外の答えだったので、俺は再び言葉につまってしまう。

「バイバイ」

 少女はそう言って、結局振り返らないまま駆け足で公園を後にした。

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