死地

霍紅珠と黒龍衛二百を伴い冥夜に紛れて陣を出た朱麗月を見送った荀令は「なぜ紅龍に行かせた?」と傍らの司馬彩に問いかけた。対して彩は「この作戦に於いては公の武だけではなく黒龍衛の奮戦も必要です、夜の間に長駆し近衛を討ち破り王を捕り陣に戻ってくる、それは武と智と胆力、その三つ全てを、全ての兵が兼ね備えていなくてはなりません。卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と倶に死すべし。黒龍衛にとって朱公は母であり、姉であり、伯であります。故にこのような死地に挑んでも一切心は懲りません。荀公の武が朱公に勝ると雖も、公は黒龍衛にとって遠い御人であるが故、その力を存分に振るわせることはできません」と答えた。令は、然り、とだけ返した。彩にとって、隴軍は才を如何なく振るうことができる場である。献策に誤りや綻びがあれば、すぐに麗月と令が正してくれる、それが故に大胆な策でも躊躇うことなく述べる事ができる。冷える沙漠の夜の中、黒龍衛達は黙々と敵陣の隙を縫って沙王の居所へと進んでいく。しかしながら四方を多くの敵に囲まれた死地であってもその心は安らいでいた。彼女らの生は死を以て成る、韓の女らしく生きることを望まなかった者達ばかりであるからだ。古い詩にあるような「言告師氏、言告言歸、薄汗我私、薄澣我衣、害澣害否、歸寧父母」と言う流されるだけの女になるつもりもなく、樛木葛塁となるならば同じく勇ましくも美しい女人とそうなりたいと思う者達である。華々しく勇ましく戦い、赫赫とした戦果を上げる、国殤の籍に名を連ねて故郷に帰るのも悪くはない、そう思う者ばかりであった。

黒龍衛たちは暗闇の中、王が眠る邸、そしてそれに付随した陣に辿り着いた。麗月が手で合図をすると、黒龍衛らは伍を組み静かに飛び出した。夜の奇襲とはいえ夜番の者たちは起きている、これを速やかに殺して回り残りを起こさぬようにしなければならない。そして沙国の王の近衛ともなればその武は圧倒的である。彼らの帯びている甲、それはかつて目にした示武劉の手勢と同じものであり沙国の精鋭であることは明らかである。黒龍衛の伍たちはなりふり構わずそれぞれで一人ずつを確実に殺していくことを選んだ、そのうちの幾らかは力及ばず殺されてしまう事もあったが、それでも残りが確実に仕留めた。そして騒ぎが大きくならない内にできる限り多くの眠っている兵らの息の根を止めるために奔走する。その中で傍らに紅珠を伴った麗月は邸の中へと入っていく。この時、麗月も紅珠も共に戟ではなく刀を手にしていた。麗月は手で紅珠に間をあけて付いてくるようにと合図をすると静かに駆け出した。飛燕の如き疾さでありながらも閑、猴猿か或いは落葉のように翩翩、影より忍び寄り一撃で王の近衛と言う猛者を屠っていく。紅珠はこのような場に在りながら今宵が新月であることを恨んだ、暗闇の中で生を奪いながら舞う麗月の姿、もし見る事が叶えばそれはどれほど美しいのだろうか、と。圧倒的な強さ、それは恐ろしく人を惹きつけてしまう。

縛り上げた沙王を抱えた紅珠を伴い邸から飛び出した麗月は声を上げる、逃げるぞ、と。各々は邸に、そして陣に火を掛ける、王の生死が分からぬようにするためである―――友の亡骸を置いていかざるを得ないのならばせめてそれが辱められぬように燃やしたほうがいい。先頭を行く麗月をすぐに囲み一丸となり自陣を目指して駆けていく、当に脱兎である。かつて、虞から封せられた諸侯が争っている時代には戦に作法と言うものがあり、奔るを逐うこと百歩に過ぎず、綏を縦うこと三舎に過ぎず、と執拗な追撃は非礼と見做され、列を成して鼓す、と奇襲も非礼とされた。しかし中原を離れた飛、紅、董の地で王を名乗っていた者たちが中原の諸国と争うようになると古の礼に乗っ取った戦は嘲笑の対象となった。今宵の奇襲のように王を攫うなどというものは、戦場における徳が衰えた今の世であっても、そして夷狄が相手であっても卑しいものだと罵られるかもしれない。しかし、この遠征が長引けば、そして負ければ更なる謗りが待ち受けているだろう。一方そのころ、櫓の上で敵陣を眺めていた物見が、沙王がいると思われる一角が燃えているのを目にした。之を聞いた令は兵らを集めた。

後方の陣から火の手が上がったとなればそれに気づかぬ事などない。攻勢に出た和進の軍勢を除いた沙兵らの中に動揺が広がっていった。兵を纏め、王が屯する陣への救援へと向かおうとしたその時であった、沙軍の陣を流矢が襲う。黒龍衛の退路をこじ開けるために連合軍の精鋭たちが動き始めたのだ。闇夜の中で浮橋を流し渡河し、盾を構えて緩やかに前に進んでいく隴山兵と下馬した白龍騎士を先頭にしてその後ろを弓もしくは弩の扱いに長ける兵らがついて進んだ、そして動揺し始めた陣に向けて矢を浴びせかけて始めたのだ。この奇襲は大いに敵を動揺させたがただずっと留まっているだけではやがて敵陣深くにいる麗月らだけでなく、その道を開けるために前に出た精鋭たちも磨り潰されてしまうだろう、渡河した先の地では敵方のほうが圧倒的に多勢なのであるから。この攻勢の指揮を執っていた令は凌白を呼び寄せ「凌将軍、祓憂兵はその疾さで敵を大いに惑わせついに紅の都を守り切ったと聞く。南から敵陣に入り乱してきて貰えぬか?」と言った。王の陣を襲った黒龍衛に並ぶ死地に飛び込むことになるが躊躇う様子もなく白は拱手した。この遠征に祓憂兵以外の紅兵はいらぬ、と瑜王が紅王の誇りを傷つけた事は多くの紅人の知るところであった。理由はそれだけではない、これまでにも既に充分な戦功を上げているが誇り高い性格である白は更に功を求めた―――白は澄ました麗顔を崩さないが紅人らしい気性は隠せていない、そして令は元々寧原郡の人であり紅主程会に仕えていたためこういった将の扱い方はよく知っている。白に率いられた祓憂兵の一団は轟音を響かせて南へと駆けて行った。暫くの間、前に立ち盾を構えてじっと耐えるだけの短兵らにとっては苦しい時が続いた、二つの川が交わるように頭上で相摧きあう流矢は趨勢が変わらぬことを彼らに教えていた。しかしながら時が経つにすれて徐々に自らに降り注ぐ矢の雨が薄くなってきていることに気づき彼らはその時は近いという事を確信した―――敵陣を割ってこちらに向かってくる女傑たち、嫁にするなら黒龍衛、と隴国で謳われることもあるほどの美しさをかなぐり捨て鬼神の如き形相で身の丈に似合わぬ鉞戟を振り回しながら辺りを胡虜の血で染め上げていくその様は当に潰えた千丈の堤から溢れだす血河である。その先頭を行く麗月、字はその容姿を表すのか、それは当に東夷の雲を裂いて登る紅の龍であった。それと共にぐるりと回ってきたのか北から祓憂兵も合流する。令は左右の者に引き上げるよう合図を出すように伝えると、撤退を意味する鐘が夜にけたたましく鳴り響く。駆け込んできた黒龍衛らを通すように戦列を割りそれらを逃がすと後方から順に自陣へと退いていく。弦を引き矢を放ちながらも皆がじわりじわりと退いていく、矢の雨が薄くなれば殿となる隴山兵と白龍騎士が危ういからだ。沙王を捕らえて一番に退いて行った黒龍衛は長駆してきたにも拘らずすぐに弓を手にして退却を援護し始める。しかしながらこれを逃がすまいと敵も厚い甲を帯び盾を手にした短兵を突っ込ませてくる。流矢などに目をくれずに驀進するも時折黒龍衛や麒麟騎と言った精鋭たちの放つ鋭い矢に穿たれて斃れる者たちが出てくる、それでも沙軍の重装短兵は隴山兵と白龍騎士に取りついた。縺れ合う兵ら、このままではまずいと龐琳と郭昭は精鋭を集めて敵兵の中央を穿つ―――この間に残りの兵らは退いていく。昭の鍘刀と琳の斬馬刀は敵兵を膾にしていくが、その巨大な得物は長々と振り回せる物でもない。多くが対岸に脱したのを見ると二将軍らも再び敵兵の包囲を引き裂いて駆け出す。その二将軍の武、おそらく郭将軍の方が上であろう、しかしながら隣に自らを上回る武勇の持ち主がいれば琳は更に奮起する。ついには包囲を脱して後は浮橋を駆けていくだけである―――その時であった、不幸にも琳の足首に一本の矢が刺さる。「行け!行くのだ!」と共に進んだ敢死隊の兵らに対して先に行くように琳は叫ぶ。隴山の兵らは一度踏みとどまる、しかしながら涙を流しながら琳を置いて浮橋を駆けていく、兵であるからには将の命令は守らなくてはならない、いくら恩があるからと言ってそれを助けるために留まり命を落とせば琳の将としての評を落としてしまう。うずくまった琳は死を覚悟して目を閉じたが次の瞬間、彼は驚いた、そう、魯璿にその身体を抱えられているのだ、対岸からひらりと飛び跳ねてこちらに来たのだ。その背では昭が大きく吠え幾人もの沙人を屠った鍘刀を一振りし追撃する敵を威圧する、その立ち登る気炎に敵兵は戦意を失ったのか三将軍は何とか生きて自陣に戻ることができた。琳は「君も愚かな事をするのだな」と、自分を抱えた璿に言う。璿は笑いながら「ええ、しかしながら友とは誠に得ることが難しいものですから」と言うから琳は矢傷の痛みに耐えてただ少し微笑んだ。

この頃、和進の率いる軍は韓軍の北部を突破し羅地に迫らんとしていた。兵らは浮かれていた。尉夜の街の周りに張られた北の陣に屯するのは韓の援軍と合するまで負けが続いていた亜世羅尉の軍と大将軍を失った官軍である。そのため連携が取れず更に士気も優れず、和進の軍が渡河して苛烈に攻め立てると亜世羅尉の兵は四方八方へと散り、韓軍も羅地に向かって逃げて行ったからだ。和進は左右の者が慢心しているのを諫めながら軍を黙々と前へと進めていく。彼はこまめに斥候を出していた、渡河直後の戦いの手ごたえがあまりにも軽すぎるのだ。尉夜の街を越えて五十里ほど、和進は斥候からの報告を聞き進軍を止めた―――十里先に広く、そして幾重にも鹿角が並べられた陣が張られていると。南の陣からの援軍による包囲、そもそも散っていった亜世羅尉の兵も陣の攻略に手間取っている間に集結して後方を付いてくるだろう、そもそも弛んだように見せられた陣自体が罠であったか、苦境に在りてしかしながら見せられた楽な道に飛びついた自分を恥じながら和進はすぐさま軍を退かせた。

翌日、夜水を挟んで対陣していた沙軍が退いていくのを見た韓の兵らは皆天を衝くように叫んだ、五百二十五年の秋であった。これでやっと異国から帰ることができると勝利に湧く兵ら、その奮戦を褒めたたえる将ら、麗月は陣内で顔を合わせたそれぞれの功を労いながらも令、彩、珀を伴って瑜軍の陣へと足早に馬を走らせた。麗月らが瑜軍の陣に到着すると、亜世羅尉の王と刺客に討たれた太史将軍に代わり韓軍を統べる秦将軍も集まっていた。こうしてそれぞれの軍を率いる者たちが一堂に会したが、すぐさま声を上げたのは亜世羅尉の王であった、曰く「既に伝令からの報告で聞いておるが隴公が沙王を捕らえたようだな。かの者処遇であるが、沙王を斬らねば民に面目が立たぬ」と。強く言い切る王、それぞれが連れてきた訳者からその意を聞いた皆は誰もが頷いた、沙国の侵略によって多くの男が殺され婦女が辱められた、憎き沙国の王を生かして返すことなどできるはずもない。これに対して彩は「いえ、生かしておきましょう。沙国の使者が尋ねてきたら乱戦の中で恐らく死んだとでも言っておいて、沙国の情勢が落ち着いたら向こうに返すのです」と提案する。三国が覇を争った時代のように韓の内での戦であれば、このようなことは誰もが顔を顰めるだろう、骨肉の争いを起こして敵国を乱れさせる。ただ、この場では周嫣の左右にいた陸然と呂茂は頷き、秦霊もこれに同意した。彩の献策を訳した珀の言を聞いた亜世羅尉の王は初めは不快な顔を浮かべた、ただ、娘に言われれば断りづらくもある。しかしながら利を説き、最後には捕えてきたのは朱公である、しかも自ら死地に飛び込んで、と強く言った珀に流される形でこれを飲んだ。南亜を占領していた沙軍に勝利し追い払った韓軍が故郷に戻ってきたのは五百二十六年の春であった。

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