沙漠行

白日照杲杲、砂礫如瑾瑜。

兵甲爲之燃、無雨霑征夫。

欲並古名将、馬苦渇不驅。

名在壮士籍、沙漠不可迂。


朱麗月は沙漠の厳しい日照りを嘆きこう吟じていた。瑜白の邑に陣を張った兵らはこれに耐えるために、僅かな兵が奇襲に備え常に甲を帯びるのを除き、生地が薄く白い長袖の衣を纏って過ごしていた。相対する敵陣からの攻撃は散発的で、凡そ攻勢に出てくるとは思えないものであった、それが故に対陣が長引くにつれて兵士の心は緩んで来ている。「時間をかけすぎたかもしれぬな……」と麗月は傍らに在った荀令にそう零した。令はつまらなさげに「これで十日になるわね。今だから言うけれど、二度攻勢に出るべき処があったけれど……」と麗月の顔を見た。これには流石の麗月も「悪かったな」と令の事を不快に思った心を余り隠さずにそう言うと「将兵を気遣う余り決断できなかった」と自省した。直言もそうであるが、このように問われなければ言わぬというどこまでも隠者然とした令の性も過去より多くの人の不興を買った、尤も、令は言わぬ事で誰かが失敗をすることを心の内で嘲笑っている訳ではなく人がどのような事を思い、どのように決するのかを観ているだけであるのだが。ただ、麗月は彼女のこのような態度を内心で非常に恐れていた、自身は傑物であるという誇りを傷つけられるうえに、もしかすれば自らの事に呆れて令が自分から離れて行ってしまうのではとも悩ませた。この時の令は、将兵の事を慮るのは正しいのかもしれないし、中央に比べれば南端は堅く守られていることも考えられるため攻めるには更に良い機があるやもしれないと思っただけであったが。それに令は麗月の許を離れるつもりは微塵も無かった、彼女の容姿や仕草を深く愛しているから、それに例え月を嗟せしむ媚少女が麗月の他にいたとしてもやがて醜く老いる、更に彼女ほどの智者でなければ側にいても面白くない。ただそんな思いとは裏腹に麗月が落ち込んでいる様を見た令はその形のいい頭を撫で、そして抱き寄せた。令の顔を見上げた麗月が目にしたのはいつもと変わらぬ姝貌と愁眉であった。丁度その時、麗月の幕舎に伝令が現れた。「紅龍が正しかったようね」と令は彼女を解き放ちその傍らを離れた。

伝令の者が麗月に告げたのは瑜軍の勝利と前進であった。諸将を集めた麗月は明日にこちらも攻勢に出る事を伝える、中央の瑜軍が突出するということは包囲される危険があることに他ならないからだ。そのため皆これには素直に賛意を示した。麗月の示した作戦はこうであった、中央が破られた事を敵軍も当然察知しているはずで現在は不流苦の東北にある馬利苦の邑に陣を張っているであろう沙軍は退くだろう、これを二方面より追撃する。北から黒龍騎と飛国軽騎でまずは敵に追いつき、攪乱し足止めしている所を主軍に当たらせるのだ。これを聞いた将兵らは皆活気を取り戻した、厳しい日照りの中で前に進めず敵騎兵の小規模な攻撃を凌ぐだけの日々が続くとなれば士気が落ちる事は避けられない、まるで鉄が錆びるように。だが前に進む、つまり戦況が変わるとなれば兵らが意気を取り戻すのは当然であった。

翌朝、麗月らが目にしたのは馬利苦の北より出でたと思われる敵兵が上げる土煙であった、そしてそれはこちらに近づきつつあり、更に少なくとも一万超の騎兵によるものだという事も分かる。「朱公、如何なされますか?」と問いかけたのは衛信であった、信は今回の戦に於いて主軍を率いる将を任されている。「衛将軍は昨日の軍議の通りに不流苦に向かい進んでくれ。あの量の騎兵の相手は骨が折れる、孤の軍はもしかすればそちらの援護に向かえぬかもしれぬ、ただそれはまた我が方の主軍が数のうえで有利を得ている事にもなる。もし会敵したのであれば孤を待たずに仕掛けてもらって構わない」との麗月の返答にしばし思案した信であったが、しばらくして凌白の顔を見た。白は信の言わんとすることをすぐ解したのか、媚眼に笑みを含み麗月の方を見ると「あの土煙から考えるに、沙騎は一万。黒龍騎と飛国軽騎合わせて五千余騎では些か苦しいでしょう、祓憂兵千騎も朱公にお供します」と拱手した。「いいだろう、今すぐ陣を出るぞ。敵はすぐそこまで迫って来ているぞ」と麗月は馬に飛び乗りそう言うと左右に荀令と霍紅珠を伴い、そして黒龍衛を従えて駆け出して行った、その後ろには祓憂兵千、それから飛国軽騎五千が続いた。

暫くして両軍の騎兵らが瑜白から離れた荒野で相見えたとき、お互いに馬を止めて暫しの間睨み合った。陣に襲撃を仕掛けてきていた軽騎ではなく、鈍色の厚い甲を纏った騎士が密集している敵容を見た麗月は「目前に迫るとやはり多いな、それにしてもこれまでの襲撃と異なり兵甲が精好な騎士だらけであるようだが、あの者らは?まるで示武劉の率いていた騎兵のようではないか」と白に問うた。「奴婢闘士です。沙教では鬼士は忌むべき者とされており虐げられているため、軍事と苦役に就くようです。もっとも、兵となった鬼士は言葉の上では自由の無い奴婢であれども、食うにも困らぬし兵らの尊敬を集めるようですが」との返しに「婢は見ぬがな」と麗月は言う。「いや、噂には聞きます。どうも刺客になっているとか、なんとか」と白は民や捕虜らから聞いた噂をそのまま答えた。「そうか、まぁよい。今から、直ぐに孤は瓏華と二人であの集団に飛び込む」と麗月はそう笑った、白はその意図を汲み取り「分かりました。白はほかの者を率いて敵集団の周りを駆けて矢を浴びせかけます」と拱手した。それから麗月は紅珠に「孤の馬を頼む」と言いつけると、令と馬を同じくし敵軍の真っ只中へと駆けて行った。紅珠にも麗月が何を意図してそのような行動に出たのかは分かったが、公であるものがそのような死地に喜々として飛び込んでいくのは理解ができなかった。白は麗月らが駆けて行ったのを見て、全軍に弓を構えさせ彼らもまた駆け始めた。紅珠は麗月の馬を預かっている以上、弓を引く事が出来ぬので自軍の騎兵の最も外側を付いて走り回るだけしかできなかった。

矢の雨の中を二人は駆けていく、令は手にした方錘戟の僅かな動きのみで馬とその身を穿たんとする矢を打ち払い、敵勢の先頭までの距離を詰め、やがてそれは百歩を切る。忽として麗月は馬から飛び降りる、それから地に得物を刺しそれを使っては猴猿の如く虚を縫って狡捷に跳ねながら遂には先頭のに立つ将に飛び掛かる―――麗月は体勢の整わぬ彼を馬から蹴り落とした。それからもどんどんと敵騎の群れの中を縦横無尽に穿つ、長柄の得物を地に落としてさえ刀をすぐさま手にし麗月を討たんとする兵らを翻弄する、ある時はその鉞戟を一薙ぎし甲を帯びた鬼士であっても幾人かを摧き、或るいは馬上から蹴落とし、或いは身体ごとぶつかり落馬させ、或いは鉄騎に戟を突き刺し翻る。麗月は沙人に強く憎まれている、太陵に於いて幾萬の沙人を坑したからだ、だからこそ仇敵の無謀にも思える単身での突入で大いに統率が乱れていく。騎兵の恐ろしさは何もその速さと、それを活かした突きや薙ぎだけではない、馬に踏まれて落命する兵も多い。彼らの密集した隊列の中で次々と麗月に落馬させられる中では下手に動くことができないのだ、ましてや将を踏み殺す事などあってはならない。その中で令は少しずつ胡騎を粉砕しながら前へと進んでいき、これをどうにか止めんとする騎士の中で奮戦する。そうしているうちに、沙軍騎兵に流矢が降り注ぐ―――飛軍軽騎のそれは、身体を甲で覆う沙軍の鬼士たちにとっては唯の雨とさほど変わらない、しかし黒龍衛と祓憂兵という隴国そして紅国の鬼士たちの放つ矢は異なる。混乱に陥っている沙騎の首を弩と変わらぬ威にて精確に貫く無数のそれは弦の音が沙場に響くたびに確実に敵兵の数を削っていき、遂には敵軍に退くことを決断させるのに十分であった。

こうして敵騎兵が退いていくなか、麗月は再び令の背にしがみつき自軍の騎兵の列に戻って来た。白は二人の武勇に感じ入っていた。彼は騎兵と言うものが止まってしまうと意外にも脆い事を充分知っているが、それを実際に用いてみせる方策は思い浮かばなかった。睨み合いで硬直した敵兵を俄かに鋭く貫くことで乱すことを思いつくその知、当に程武の言う虚実を良く解しているとしか例えようが無く、また敵の中に入りそして無事に戻ってくると算することができても、それをすることが出来るのは古の如何なる猛者にもない豪胆さであった。だが、それ以上に二人の戦う姿は美しく彼を魅了した。兵らもまた感服していたが、紅珠の心の内は穏やかではなかった。二人は何も無理をしているわけではなく、極めて冷酷に二人で敵勢の中に飛び込めば勝ちを得られると算し、そしてそれを為した、その知勇に寧ろ畏れを抱いた。麗月は立ち止まり二人を称賛している兵らにただ「追うぞ」とだけ指示した。統率を乱し、また幾千の兵を損なっていようと、あのような精鋭騎兵の軍を自軍の戦線の内側に残すというのは危険であったからだ。白と飛軍軽騎を率いる将である法嶷もこれを輒ち理解したためこれに従った。

一方、衛信の率いる主軍は馬利苦の邑に陣を構築した敵軍と相対していた。韓軍が沙軍中央を破ったことで引いているかと思われた敵方の南の方面の軍はその予想に反して未だ退いておらず、それどころか邑に流れる川を背に布陣しその前方を鹿角を密に並べ堅く構えていた。信は撤退を考えた、曰く「水を背にした陣というのは意外にも固い、後方に回ることは難しく、また兵に退くことを許さぬ事で更に硬くなる。これを攻めればそしてその陣と他方に配した別軍との挟撃が考えられる。退くべきだろう」と。これに対して司馬彩は攻めることを提案した、曰く「相手が強く害を見せてくるときは、相手には戦うつもりがありません。一度こちらを退かせることで、敵は易々と退き戦線を整えようとしているのです。敵軍の動き、こちらを兎に角足止めしようとしています、これは即ち後方からの援軍を待っているのです。だからこそ、こちらも亜世羅尉からの援軍を容易に得やすい羅水沿いまで軍を進めておくべきです。彩にはあの陣を破る策があります。騎兵はまず北に回り、麒麟騎を先鋒、中に亜騎、後ろに白龍騎士をつけて鹿角の前を駆け抜けます。麒麟騎と亜騎が矢を陣に浴びせかけているなか、白龍騎は北の隙間から陣に入ります。敵陣の前を駆け抜けた両騎兵隊は分散、麒麟騎は南から陣に入り、亜騎は弓でこれを援護します。そして隴山兵を先鋒とした短兵を正面から当てます。敵の挟撃は無いでしょう、朱公が鎚となるべき騎兵隊と面しているのですから、これを破っていればこちらには来られませんし、朱公が退いていたとしても彼らは瑜白まで追いかけていることでしょう。堅き陣を攻めて兵を損なう事を憂うのであれば、尚更将軍は攻めると決するべきです。一度退けば、兵らは士気を失い、沙軍に増援が現れてもなお羅水まで至ることが出来ていなければ戦は長引き、沙軍の守りは堅くなり、より多くの兵を損ない、そしてこの遠征軍は負けるでしょう」と。その語気は強く、彩の算の確かさを将らに知らしめるに至り諸将はみな思惟し始める。だが信はこれを認めようとはしなかった、曰く「賭けは出来ない。信には司馬君が勝ちを焦っているように見える。堅き陣を攻めるのは愚かであり、何より我が方は今、その軍を分けている。あれを破るには黒龍衛と祓憂兵を集めなければならぬだろう」と。彩は「それは敵方も同じです、いや寧ろこちらの方が軍が一つに集まっていると言えます」と引き下がらない。忽として白龍騎士を率いる将である郭昭が声を挙げた、曰く「衛将軍、昭は司馬君の言うように今当に攻めるべきだと考えます」と。二人の舌戦を聞いていた昭はこれまで様々な事に思いを巡らせていた、彼の算ではもとより彩と同じで攻めるべきとしていた、ただ信の言うように彩がまだ若く戦を知らぬようにも思えた、父である敬侯のように大胆な策で敵を破ることに憧れているようも見えた。ただ、朱公が臣を用いる時、その評は極めて冷たくそして精確である。例えば、遠征に於いて隴国の鉄騎を率いる将としては文光の名が将軍たちの間で一番に上がったが彼が用いられることはなかった、聞けば飛との戦で軽率な行いをし朱公に咎められたという。或いは、隴国衛将軍周真、司馬大将軍蔡朗に次ぐ位の者であり、朱公が親征するのであればその次席となるべき立場にあるが、彼は後方を任された。真が高齢であるという事もあるが、守ることは出来ても攻めで勝ちを得られないだろう。隋津の戦に於いて、ごく始めの頃に敬侯司馬宮が攻勢に出ることを提案したがこれは認められなかった、昭は宮の飛軍の出鼻をくじこうとするこの策には理があると考えており、これを認めなかった真は決する事が出来ない人物だと心の内で断じた。そして霍紅珠、朱公の邸で暮らしており愛幸されているようにも覗われるが、同じく愛幸されている華珀や司馬彩と異なり決して何かを決するような職に付けられることはない。彼女は弓馬に優れ心優しく人徳もある、ただ紅への遠征でのいくつかの事を思い起こすと、彼女は将として何かを決するには優しすぎる。対して華珀は亜国の公主であることから、亜世羅尉の降兵を用いるのには適している、そして武勇がありこれまでの言動を見るに聡く、明るく人望があるものの情で軍の判断を狂わせることが無い。彩も亜水を渡るときの作戦は優れていた、そして冷静であった。彼女は焦っているのではなく、胆力があるだけなのだ。朱公はまた、心の内で憎んでいてもその評は狂わない、例えば飛の丞相公孫竺の事をいつも悪く言っている、例えば長年瑜に攻めても勝ちを得られず、またその役務に苦しんだ多くの民や兵らが竺の死後瑜に流れたことを辛辣に論う一方で、賞罰が公正で兵の統率が極めて良くとれていたこと、そして敗れたときのことから考えはじめ様々な戦の経緯を考えて綿密に作戦を練っているため負けても大敗しないところを見習うべき、とも隴国の将に言う事もある。朱公の、臣を慮っているように振舞ってはいるが内はどうも酷薄であるところを慕う事は出来ないが、ただその人選に誤りはない。そう考えた昭は彩に賛同したのだ。普段は白龍騎士という小数精鋭の部隊を率いているがゆえに将軍というより尉であるように振舞い寡黙に上官の策に従い粛々と求められた戦果を挙げる昭がこのように彩の肩を持ったことで、魯璿と華珀も攻めるように進言し遂には信は攻めることを決断した。ただ、先頭を行くことになる麒麟騎たちは不服げに騒めいた。これを見た彩は、金や朱で華やかな装飾を施された面を被ると「衛将軍と共に彩も先頭に立ちます。彩は鶴でも無ければ、君車に乗る媚少年でもありません」と言い放ち鬼彊を手にした、これを見た信は「その意気や良し、さぁ、司馬君の策どおりに動き陣を破らん」と皆に合図し動き始めた。少女が先頭を行くと言うのに麒麟騎がこれを疑い前に出ぬのは恥だ、と先程は騒めいていた彼らも整然と信に付き従った。

一度北へ大きく迂回した騎兵は南へと一気に駆け始めた、そして暫くすると沙軍の陣の前方を駆けることになる。鶴、かつて虞が多くの公を各地に封じその版図を中原から広げていた頃、今の海望郡のあたりに袁という小国があった。その公である懿公は鶴を大いに寵愛しこれに官位を与え更には車にも乗せた。涼原郡の羑族と諍いが起きた際、懿公はこれを攻め滅ぼそうと軍を興したが、将兵らは「鶴に羑を討たせたらいい」と誰も従わなかった。親征を行った懿公は敗死し、ほどなくして袁は韓に臣従するようになった。韓に庇護される権威の無い国となった頃、袁の霊公は趙瑕という媚少年を寵愛し、何をするときも共にしていた。瑕の母が病に伏せたとき、彼は君命を偽り君車に乗ったが、親孝行と賞賛されるだけで、本来君車に勝手に乗った際に与えられる刖刑を受けることはなかった。その後、寵愛を受けた瑕は史書によれば軍を率い韓軍と幾らか共闘していたようだが、目覚ましい功はなかった。霊公は家臣から将才の乏しい瑕への偏愛を改めるように良く諫言を受けるようになっており、また瑕が年を経て容姿が衰えてきていたため過去の罪を蒸し返し刖刑に処した。麒麟騎たちの前を駆け、鬼彊を手にし弦を控く少女はその様に国君の寵愛を受けるだけで何もできない者たちとは違った。麒麟騎たちは飛国の精鋭、鬼士から更に選抜された騎士でその弓の扱いも矛の扱いにも自信があった。その将である信は彼らの中の誰ですら敵わぬ武の持ち主である、しかし信と共に彩が放つ矢はその疾さは全く同じで、鹿角の奥からこちらに向けて弩を放たんとする沙兵の頭を貫き砕く。信と共に矢を放つたびにそれぞれの矢は必ず沙兵の身体を貫いた、麒麟騎の皆はこれを目の当たりにして、先に侮った事を深く恥じ、そして隴国の妖にして且つ閑たる少女に負けていられないと、陣に籠る兵に矢を射かける。弩兵の射撃で落馬する兵が出ても彼らは南に向かってとにかく駆けながら矢を浴びせかけた、麒麟騎、そして亜世羅尉の騎兵が放つ矢は当に流の如く、そして行き交う沙軍の弩兵が放つ矢も同じくして、時に空で相摧きあった。両軍ともに斃れる者が相次いでいたが、駆け抜ける韓軍の方が被害は少なかった。そしてある時から沙軍の反撃が薄くなる、昭の率いる鉄騎に跨り厚い甲を帯びる白龍騎が北より陣内に浸透していたからだ。良く煌く大刀を手にし並びて向かってくる沙兵に馬は嘶き立ち止まるが、それでも崩されず、先登となった昭は得物の巨大な鍘刀をその膂力を以てして振り回し取り囲む敵兵の長柄を打ち砕き、左右に集る沙兵らを両断し道をこじ開けていく。南端に辿り着いた弓騎兵は二つに分かれた、珀の率いる亜国騎兵と璿の率いる弩騎兵は後方に回り短兵の前進を弓を以てして援護し、麒麟騎は南より沙軍の陣へと突入した。この時も彩は一切退かず前へと確かに進んでいく、その身体を矢が掠めようとそれは止まらず、周りに集まる敵兵を身の丈よりも長い戟を以て刺し殺していく。人馬共に避けるような所作をしていないにも拘わらず沙軍歩兵らの矛は彩の身体を捉えることが全くできず、ただ為す術もなくその胸を戟で貫かれていく。揺るがず敵を屠り進んでいく彩のその姿は当に鬼神であった。隴山兵が正面の鹿角を打ち砕き道をこじ開けると短兵らと共に璿と珀の率いる騎兵が陣に雪崩れ込む。三方から攻め入られ、また退路の無い沙兵らは韓兵に斬られるか、厚い甲のため川も渡れず溺れ死んでいくかした。この戦において千余の韓兵が斃れたが斬虜は四萬を超えた。

麗月らは更に北へと逃げていった沙騎を追い、これを破った後は瑜軍の屯する亜不顔の邑で使者を待っていた。数日後、幕舎で周嫣らと談話していた麗月の許に不流苦に入ったとの報が届くと、彼女らは瑜軍の陣を発ち不流苦の街へと向かった。これを見送っていた嫣に陸然は「朱公は間違いなく前進すると言いましたが……」と言った後に「これほど早く南の軍を抜くとは思っていませんでした」と笑った。「暫くは兵を休められるでしょう、羅水の東岸を抑えた瑜と三国の軍、羅地の対岸にて太史将軍の軍勢と相対している沙軍も動けず、こちらが亜世羅尉の王に呼びかけて前進させれば羅地から退くでしょうな。これには幾らか日がかかりますゆえ暫くは兵らはしっかりと身体を休められるでしょう」と呂茂は言う。嫣は「まさに卿らの言うとおりになったな、このような国難の時に、卿らのような才士に恵まれたことは真に嬉しく思う」と二人の策士を褒め称え、幕舎へと戻っていった。「決することが出来る大将というものも得難いものですぞ、周公」と嫣が去って行った後に茂が独り言ちると、然は「さて、沙羅尼の本土も近くなってきました。後の事を考えておきましょう」と茂を自らの幕舎に誘った。「しかし、この日照り。真に暑いな」と茂は歩みながらそう独り言ちた。

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