唇
秋になると、朱麗月は華珀に対して鎮東鬼将軍の位を与えた。珀が王女であるため韓で暮らすことになった亜世羅尉人に配慮したというだけでなく、二度目の東征があれば珀が亜人を将いることがあるかもしれないからだ。司馬彩は、黒龍衛に入隊したものの彼女には諫議大夫の官位が与えられた、名ばかりではあるが光禄勳である荀令の属官にして、国君と論議をする任を負う官位である。父である敬侯司馬宮は司間府の軍師祭主であり、先の戦では麗月への献策を行っていた。それよりは麗月、そして令に近い位置のこの官位を与えられた彩は、つまるところ令のもとで武芸だけでなく、博い学識を持つように励めと麗月に命じられているということに等しかった。
秋の美しい月が夜空に浮かぶ中、令は窓際に腰かけて酒を飲んでいた。同室にいる彩は未だに書物に向かい合って勉学に励んでいた、分からないところがあれば令にすぐに聞くためにこうしているのだ。令はある程度美しい女人であれば誰でも好むという訳ではなく、絶人と呼ぶべき美しさを持つ女人しか愛さない。そのため、夜になっても自室に彩がいるのは令にとって喜ばしいことではなかったが、彼女の学びたいという意志を前にしてその心が折れたのかこうしたのだ。「先の戦では何故韓が勝つことができたのかしら、司馬君よ、卿はどう考えているのかしら」と令は書と睨みあう彩に戯れに問うた。彩は驚いた、何しろ彩自身はなんども令に様々なことを問うたが、令からは一度も何かを尋ねられたことがないからだ。ふと、令のほうをみれば彼女の唇が彩の目を虜にする。彩は女人を好んだ、なにしろ大して敬侯司馬宮の道を継ぐなどとは考えておらず、己の赴くまま困難に立ち向かいたいだけであった、そして何より麗月や令にあこがれているだけなのだから、令の様に才色兼備の女人であれば尚更彩は惹かれてしまうのだ。ただ、どれほどのあの唇を吸っても、己を愛してもらえない事を理解していたから素直に思惟するのみであった。彩は令の唇を見たままその問いに答えた、曰く「機です。朱公や周公が攻めた時が良かったのです。示武劉が主力を休めているうちに両軍が二十余軍を打ち破ったことは大きくあります。父は言っておりました、沙軍は様々な民を集めた軍であると、それは勝ち続けている間は纏まりますが、負ければ崩れます。また示武劉は過ちを犯しております、あの軍は董に収めておいて亜北を攻めることに注力するべきでありました。あのときの蘭京公と湖安公ほどの良い狗はおりません、兎を捕りつくす前に狗を煮るものがおりましょうか。彩であれば、西への攻勢をあるところで留めて、これを生かせておいた二公に任せて亜北に注力するでしょう。彩が知ることを鑑みるに、小人が利を算することができないという事を知らなかったことが紅の敗因であり、沙の敗因であると言えます。先の事で言えば、示武劉は少なくとも主軍を夏か太陵に置くべきでした、全てに於いて韓が一年も掛けずに紅を取り戻すことが出来たのは沙軍の愚かさによるものです」と。「彩が言うことは尤もだわ」と令は頷いたが、続けて「ただ彼にのみ求めるだけでなく己についても論じるべきね」と問いかけた。「速く攻めたからです。斉陵と三顎に於いて、飛隴の軍は難所に籠る沙軍を速く巧みに破りました。斉陵ではあれ以外の勝ち方は無かったかと思いますが、三顎に於いては夏郡の瑜軍を待つ事も考えられたでしょう。しかし、そのように遅く攻めれば示武劉は主軍を動かしていたでしょう。巧遅と言うものは確かにあります、ただしそれは守る側にのみにあるものです」と彩はすぐに答えた。令は手にした杯から酒を呷った、濡れて月の如く艶めかしく輝く令の唇を見た彩は思わず赤面し、手にする書にすぐに目を落とした。令は彩の心が乱れたことなど気にせず更に問いかけた、曰く「何故、韓と沙国の間で戦が起きたと考える?」と。彩は「利を見るは大人なりと、小人は如何。九国の時代、瑜国の媚少年柳陽君は王と魚釣りに出掛けた際に涙しました、柳陽君は始めに魚を得た時に大いに嬉びましたが、後に更に大きな魚を得た時に前に釣ったものを棄てようと思ってしまい涙しました。棄てられた前釣は妬み、後釣は更なる後釣に猜を抱きます。紅は王の寵愛の移り変わりで二代に渡り庶子が王位を継ぎました、正妻の子である蘭京公や湖安公は愍王に恨みを抱き沙国と通じたのです。また示武劉は沙国王家の庶子であったと聞きます、北亜を攻める軍を率いている嗣子和進との間に諍いがあったのでしょう、或いは炊きつけられたか。それで軽率な行いをしたのでしょう。沙羅尼が西征を望んだのは凶作によるのでしょうが、戦が起こるには衡が傾かねばなりませぬ」と答えた。それを聞いた令は「国君が女色を好めば太子が危うくなるというのは尤もだわ。男色を好めば相室が危うくなるとも言うが、それは稀だけれど」と呟き盃に酒を注いだ。「容姿を以てして国君の寵愛を勝ち取った男子は表に出て権を振るいます、そのため直ぐに他の者らに恨まれて死ぬことになるからでしょう。霍の陸彧が陶に送った孌童のように相室を除くに至るのは稀でしょう」と彩は令の顔を見ないようにしながらそう答えた。令のような知者と問答できることは彩にとって楽しくもあったが、心は休まらなかった。
それからしばらくして、麗月のもとに参内するようにとの勅使が現れた、曰く、亜世羅尉からの使者が訪れているとのこと。近衛となる令、紅珠そして珀のほか、司馬嘉をはじめとして司間府の者たちを引き連れて麗月は倝陽を目指した。麗月らが倝陽に到着して一週ほどすると飛公と紅王も集い、そして帝の許に集った。「亜世羅尉の使者こう言っておる、韓に臣従を誓う代わりに南亜の沙人を追い払ってほしいと。朕は諸卿らの意を聞きたい」との帝の言にすぐさま否定の意を示したのは紅王程桓であった、曰く「臣桓思うに、これに手を貸すべきではないかと。紅に於いて夷狄による侵攻の傷は未だ癒えておりませぬ、そしてそれは瑜、飛、そして隴の軍でも同じでしょう。何より亜世羅尉は叛服一つならず、九国の時代には常に董を脅かし、韓とは幾度も争いになり、武帝の遠征軍に敗れた後に沙羅尼と結び韓に叛旗を翻しました。安ぞ臣従の意を信ずべきや」と。これに異を唱えたのは飛公である公孫封であった。封は平伏し「臣封昧死して申し上げます、冬が終われば韓の遠征軍を出すべきであります。臣封は唇亡びて歯寒しと聞きます、亜世羅尉が沙羅尼によって亡べば次は韓でしょう。北亜は持ちこたえて二年です、それを鑑みれば五年のうちにまた沙人が韓の地を犯すでしょう。先の戦における東夷の蛮行により祭祀が途絶えてしまった家も多い、萬民を慈しむのであれば遠征をお考えください」と言う。桓は引き下がらず「卿の言は尤もに思える、しかし戦が続くことは民を苦しめる。もし遠征を行うとして、その戦で何を得れば良いというのだ?南亜を韓の地としても得られるものなどない、武帝の遠征の後五十年もすれば手を離れたように利がないのだ。先を思えば、亜世羅尉を歯を守る唇として残すことは理に敵っている、しかし戦の疲れが未だ躯に残るなか賞を得られぬと知りながら戦に向かう者がいるだろうか。寡人は何も亜世羅尉に亡べと言っておるのではないのだ」と言い返す。それに対して「そのために国があるのです。猿であればすぐに利を得なければ飢えて死ぬでしょう、しかし人は国を作り財を集めて貯める事で飢饉をしのぎます。例えば、朝貢に加え沙羅尼を経由しない東方との交易経路の開拓があれば十年ほどで亜世羅尉への貸しは十分利へと変わるでしょう。ここで瑜王足下に提案させていただきます」と封は言い、瑜王周説の顔を見た。「寡人への言わんとすることは分かる、瑜は二度目の遠征への備えはしている。……借款をしろと言う事か。それには条件がある、紅が軍を出さぬ事だ」と説が言うと、どういうことだ、と桓は怒りを露わにする。「勿論、官軍に瑜飛隴の軍は紅の領土を通る、糧秣だけでなく戦に必要なものを動かすには紅国の力を借りざるを得ない、そこは惜しまず援助させてもらおう。ただ、まだ立て直しが終わっていないであろう軍を国の誇りや雪辱を理由に出さないで欲しいだけだ。遠征など凶事である、しかし避け得ぬのであれば必ず勝たねばならない」と説は言い、更に何かを続けようとしたがそれを麗月は遮った。「紅王足下、何も瑜王足下は悪しく言っている訳ではないのです。例えば亜世羅尉を救うことが出来ても、紅の復興が遅れれば足下が懸念なさるように裏切られるやもしれない。遠征で勝利を得てからも韓の強さを誇示しておく必要があるのです。其の為にはここで紅の国力を削る訳にはいかないと言おうとしているのです。ただ、このような事由を解さず足下を悪く言う者を恐れるのは分かります、こうしては如何でしょう。紅には安都郊外で善く戦い、長きに渡り都を東夷から守り抜いた軍がおりますでしょう。それから選抜して遠征軍に名を連ねては」と麗月が言うと桓は、ううむ、と怒りを収めた。麗月は内心ではこれを封に言わせた方が桓はより良い表情を浮かべただろうとは思ったが、兎に角、この場は纏まったのでただ笑顔を浮かべた。帝は立ち上がりこう勅した、曰く「朕の心は定まった。ここに亜世羅尉の臣従を受け容れ、臣下を救うために遠征軍を興さん」と。一同はこの詔を聞き平伏した。
参内する諸侯のための邸に戻った麗月は隴の諸臣に帝の詔勅を伝えた。それから「それにしても飛公は愚かでないように見えたな」と独り言ちた。これに対して嘉は「ええ、愚行をなさらぬお方でしょうな。ただ、反乱に集った者たちを統率するだけの権威がなかっただけにすぎませぬ。かの乱について調べておりましたが、乱に力添えした有力者の中には隴まで霍君を追うべしとしたものが多かったそうです」と答えた、それから「尤も、今では皆罷免されてしまいましたが」と含むところのある笑みを浮かべた。「公孫竺に似たのだろうな」と麗月は言った、これを聞いた紅珠は、また人を揶揄するのか、と溜息をついた。三国飛の丞相として名を遺した公孫竺は、国を纏めるために不忠なものを多く罷免したり誅した、多くは正しい理由に基づいたものであると歴史家は解釈しているが、一つだけ非難される事がある。霍治の養子、霍義を殺す様に進言したことだ。先主霍治は望海郡にある韓皇族の傍流とされる貧しい家に生まれ、戦乱のなか隴国まで辿り着くまでに次々と妻や子を失い世継ぎ危ぶまれたため、隴で霍義という男子を養子にした。ただその後嫡子に恵まれたため彼は後継者となる道を断たれたが将才があり入飛の戦役で戦功を挙げた、ただ、このことが彼を不幸にした。後に、隴が紅によって奪われ衛晃が討ち死にしたとき、義は臨山県にいた。臨山県は瑜の内通者によって手に入れた地であり未だ統治も儘ならぬうえに、瑜の軍勢が近くいるという事で晃からの救援の要請を受け容れなかった。情勢を鑑みればこの判断は正しい、しかし後に配下に裏切られて臨山を失い飛に戻った彼に言い渡されたのは、衛晃を救わなかった事に依る死罪であった。竺は、義は将才があるものの剛猛な所があり、時を経て制御できなくなり後に禍いを引き起こすだろうと、義に死を賜る様に進言したのだ。義は、裏切った配下が危うき処にあるこの身を慮り共に瑜に降る様に勧めていた事を思い起こして嘆いたという。紅珠は麗月が何故に霍治と公孫竺を大いに嫌うかも理解できた、戦乱を長引かせたからであると、久しく共に暮らしていれば麗月が平穏な日々を好んでいることはよく分かる。出会ったばかりの頃であれば紅珠はすぐに麗月に何かを言っただろう、ただ今は仕方のない人だと溜息をつくのみであった。
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