趙丘

広肥での決戦で連合軍は勝利を手にし広肥の北東の襄春県には館昌公周嫣率いる軍勢が入ったが未だ趙丘には沙羅尼の大軍が残っており、連合軍の前に立ちはだかった。これを討ち破るために広肥東の陣に三国の将が結集し軍議を行っていた。陸然は卓上の地図に駒を並べながら「使者によれば太史将軍率いる韓軍は臨弧にて相対していた沙軍を破り天路に向けて進軍しているところであると。趙丘を前にした我が軍勢は襄春に十軍、広肥に二十軍。それに対して趙丘近郊には十万余が屯しているとのこと」と言った。それを聞いた嫣は「我が方の斬虜と捕虜は合わせて二十万を超えている、まだそれほどの軍勢が出せるとは……」と驚いたが直ぐに冷静になり「いや……」と何かを言おうとした。それに対して呂茂が「ええ、沙国は戦が下手なのでしょう、いや山がちで湿った土地に慣れておらず思うように軍を動かせないのでしょう、敵地の奥に進むごとに増える後方の焼いた土地では反乱が相次ぎ兵糧の調達も難しい。……ただ、これが最後でしょうな」と茂は髯を撫でながらそう言った。「ええ、北部に籠った亜国との戦が続いているのだとすれば、初めの侵攻で送った軍勢以上を出すことは三千里を超えた先の本国からは難しい。占領した地を統治するための軍までかき集めたとしたら趙丘と天路の二つの軍勢が恐らくは最後。亜水を渡って来たのは多くて五十万といったところでしょうか」と然もそれに同意した。忽として「既に三割以上の将兵を失ったか」と麗月は地図に並べられた駒を見ながら独り言ちた。「やはり病には苦しんでおります、ただそれは太祖が紅を攻めたときほどでは無いでしょう。何しろ三国が鼎立してからというもの傷寒の論は大いに発展しましたから。ただなかなか大勢が決さないまま続く遠征を続けているが故、捕虜を督するために兵を多く裂かねばいけません」と茂は麗月に言うと「沙人の捕虜も取っているのか?」と驚いた。「ええ、兄上は沙人であっても捕虜として取る様に、と言われました。隴飛そして紅は昨年の冷夏によって苦しいかもしれませんが瑜には食糧が多くあります」と嫣が答えると皆はそれに納得した、元より瑜においては稲作は倝河の周りと陶では行われているが、その他では麦や粟、稗が大半である。そのため麦を黒麦や蕎麦に置き換えれば不作となるような冷えた年であっても食糧には困らないからだ。ただ麗月は「東域の技や知を手に入れるのは良い事だろう、ただ武帝が可魏斗を霍北に住まわせたように上手くはいくまい。邪教を信ずる者達の厄介さを知らぬのだ、孤は今でも黒清衆の残虐な行いを覚えている。太祖はかつて淵丘に籠った黒清衆の残党を軍に組み込んだ、奴らは精兵であっても極めて粗暴、汝州侵攻で民を虐殺するどころか領内でも略奪をするほどだった。瑜国に連れて行ったら、棄教しないものには光武の治世以前の奴婢の様に罪に対しては平民より厳しい刑罰を与えるべきだ、孤も瑜王足下にそう書簡を出そう。なに、沙教を信じぬ者達は貢物を寄越すならば庇護しそうでなければ殺す、と奴らの経典に書いてある、自業自得だ」とそれに対して捲し立てた。誰もが押し黙ったが宮はこれに対して対案を挙げる、曰く「経典を捏造しましょう。沙国の書物を調べると現在の経典は文覇魔本人が書いたものではなく、韓の支配に叛旗を翻した和龍という文覇魔の親族によって散逸した文章を編纂して書かれたものであるとのこと。韓への反乱軍を興すために排外的で煽り立てるような経典に変わったのでしょう、いえ、元からそうだったのかもしれませんが……。つまり、韓の民と諍いを起こさぬように過激な部分を取り除き、そして韓に利するような記述を加えた経典を捏造し、これが武帝の遠征で手に入れた原本であると言って彼らに配るのです。埋伏の毒となります、君子でない者は自分だけが知っている秘密を広めたがります。この戦が終わった後に沙国にこれを持ち帰る者がいれば力を削ぐことができるでしょう。弟の嘉がかの経典を良く調べていました、宮が嘉に対してこれにあたるよう書簡を出しておきます」と。息を切らさず流れるように長々と話したためか、言い終わった宮は大きく咳をした。「司馬君よ、大丈夫か」と麗月は気遣ったがそれに対して宮は「いえ、疲れが溜まっているだけです。今は軍議を進めましょう」と笑顔で返した。

「さて、此度の戦であるがどうすべきであるだろうか」と嫣が言うと茂は地図を指差しながらこう述べる、曰く「長く戦を続けるのは好ましくありません。此度の会戦で沙軍を打ち破り、なおかつ紅への侵攻軍の総大将である示武劉を討ち取りたいところです」と。既に捕虜や民らから言で沙王の庶子である示武劉が侵攻軍を率いていることは分かっていた、そして主軍を休めている間に夏郡と太陵郡が韓軍に取り返されたことで参謀や諸将と諍いを起こし統率が取れていないということも。「ただ、示武劉は陣を堅くして打って出てはこないでしょうな、何しろこれまでの連合軍との交戦に於いて勢いに任せた軽率な行いで幾度も敗北を喫していますから」と然は溜息をついた、沙軍は趙丘の城を抑えており更にその後方の湖安、蘭京からも補給を受けることができる、これに対して広肥と襄春に陣を構える連合軍の後方は戦で荒れた紅の地に加え兵糧の輸送には紅水を超える必要があるため対陣が長引くことは好ましくないからだ。ふと「趙丘の城にはどれほどの兵がいるのかしら」と令が口を開く。「斥候に依れば一万程度かと。成程、襄春から三万程度を割きこれを包囲するということで宜しいでしょうか」と然が令の顔を見てそう言うと、令は無言で頷いた。「趙丘の城を包囲すれば示武劉は攻めに転じるでしょうな、我らに背を向けて救援に向かうのは危うく、なおかつ兵を裂いた西と北の陣は脆く見える、これを打ち破ってから城に戻るのが最善であると判断するでしょう」と茂も同意を示すと更に続けて「兵数が劣る場合、数に勝った沙軍に川まで押し込まれ南から迂回、長駆した騎兵隊に横を襲われると我らは敗れるでしょう。茂に方策があります。一つ目に、隴国の白龍騎士や鉄騎、広肥の瑜国鉄騎を襄春の陣に移しこれを鎚とします。二つ目に、広肥に陣する短兵は堅く守りつつ少しずつ川まで下がり西北から東南に延びる陣形に変えていき、これを鉄砧とします。三つ目、沙軍騎兵の動きを封じ、苛立たせつつ敵歩兵を川を背にする我が陣に誘い込むため海烏騎、丘卑騎、飛国麒麟騎を用いて敵騎兵と付かず離れずの戦いをさせます。これを以てすれば勝利を得ることができるでしょう」と言った。厳は「襄春に全ての軍勢を向けられたらどうする?」と問う、茂は直ぐに「逃れます、ただその時には広肥側には向かわず趙丘に寄せましょう。周公と陸君であればこちらの陣と連絡が断たれてもその後も広肥の軍勢との連携が取れるでしょう」と返した。これを聞いた諸将はみな茂の策に賛同するが、宮はまだ地図を睨んだまま口を開かなかった。それに気づいた麗月は「司馬伯台よ、何かあるのか?」と問いかける、宮は黙ったまま趙丘から湖安に抜ける道をなぞり、少しの間逡巡すると遂に宮は口を開く。「この隘路に工兵と黒龍衛を伏せておきましょう。広肥で大勝を得たとしても示武劉の無双の武とあの性を鑑みれば間違いなく逃れるでしょう、そして趙丘に入れず湖安に抜けるしかない。あの者が逃れれば残党を集めて董で抵抗を試みるでしょう、そうすれば連合軍の被害は嵩む。だからこそ、確実に討ち取るために敗れて逃れるところに伏兵で奇襲をかけたい。朱公は傷が未だ癒えず戦えぬ様子で、なおかつ一度敗れている、二度目も勝てないでしょう。そこで……」とそこまで言うと令は口を挟む。「ええ、司馬君よ。妾に任せるとよい」と令は言う、その表情はいつもと変わらない微かに憂いを帯びた涼し気なものであったがそれを見た諸将の背筋は凍り、みな身震いをした。

その夜、龐琳は司馬宮の幕舎を訪れた。将であれば戦に備えて眠るような時刻であっても宮は灯を消さず筆を執っていた。多くの字が書き込まれた地図が広げられ、読み古された書物が積まれた机に向かい弟に向けて書簡を認めているのだ。「伯台、遅くまで起きていては身体を悪くするぞ」と琳が声をかけると「いや、大丈夫だ」と宮は答えた。「体調が優れぬようだが……」と琳は宮に歩み寄りその肩に触れる。「軍議の際にも言ったが、遠征の疲れがでているだけだ。なに、大事をとって紅の流行り病に効く薬も飲んだ」と宮がそれに優しく答えると「今この場からは離れられぬというのは分かる。ただ趙丘での会戦での勝敗が決したら隴に戻るべきだ」と琳は強く言った。「璋武、気を使わせてしまって申し訳ない……」と肩に掛けられた琳の手に触れ「そうだな、示武劉を討ち取りこの遠征の大勢が決したらそうさせてもらう。遠征で病を得て斃れた者は過去にも多い、朱公も引き留めはしないだろう。璋武も生きて帰って来るのだぞ、隴の地でまた酒を飲み語らおうではないか」と宮はそう言った。琳が幕舎を出ていくと宮は一人咳をし「懐かしいものだ、璋武と机を並べ学んだ日々が」とそう独り言ちた。

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