示武劉

このとき、瑜軍のうち鎮東将軍関厳に参謀として尚書令呂茂がついた軍は既に夏郡から真っすぐ渡河し終えていた。呂茂はもちろんのこと、厳も良く信頼されていた。三国時代の名将、関権の後である厳は、権の言葉である「先為不可勝、然後戦」という教えを忠実に守り、多くの斥候を出し敵情を探り、更に敗れた際の事を全て想定してから軍を動かすことを大切にした。周嫣は彼ならば不意に敵勢と当たることがあっても危なげなく目標を達成するだろうと見込んだのである。この予見は正しく、厳は斥候を放ち渡河の障害が無い事を知ると速やかに十五軍を対岸に送りそこに陣を敷いていた。しかしながら、安都付近、北側から紅水を渡った嫣の率いる軍勢の前には沙軍が立ちはだかっていた。緩やかに北側が高くなっているものの開けた地に布陣した嫣の軍勢の前には群れる蝗の如く黒々と蠢く沙羅尼の大軍があった。「会戦は避けられぬか……」と幕舎にて嫣が言うと、その傍にあった陸然は「ええ、関将軍はこちらに軽率には軍を割けぬでしょう。趙丘の更に東から援軍が来ていた場合、これに挟まれて甚大な被害を受けるでしょうから。しかし、ここで陣を敷いて向かい合っているだけでは先へは進めません。幸い、こちらは高地に布陣しています、この地の利を活かしましょう」と決断を迫った。

こうして、軍楽が荒れた野に響き渡り両軍は激突した。八万程度の瑜軍に対して、沙軍は十二万程度と見込まれた。沙軍は数の利を生かし、大きく戦列を広げ瑜軍へと躙り寄っていった。鋲が撃ち込まれた板で守られた四頭立ての戎車を中心にして、鈍色の甲に身を包んだ沙兵が群がるその様は瑜軍を大いに威圧したが、それを見た嫣はすぐさま号令し軍楽隊の曲調を変えさせた。すると、将たちが忙しなく左右に指示を出し、それに伴い旗を持った兵が駆けまわりそれを追って盾を手にした重装の歩兵がそこに集った―――この手法は相手から陣形の転換が看破される愚かなものと批判されることもあるが、実際には兵を縦横に素早く動かすことができる、瑜軍は訓練と同じ動きを戦場でも行わせることに血眼になっているというのは否定できないが、それでも将の意のままに兵を動かすことが出来ているのだ。戦列の一翼がぶつかり合うその直前に、瑜軍の戦列の後ろから騎兵たちが飛び出していった。虎が吠えるかのような雄叫びを上げて飛び出した彼らは皆黥面文身しており、思い思いの長柄を背に負い短い弓を手にした。霍北は丘卑族の騎兵である。彼らの気性は極めて荒く粗野であるが、その勇敢さは飛びぬけていた。平時では荒くれものである彼らは韓人とすぐに諍いを起こし、賊徒となり李原郡や北信郡を荒らして回る厄介者たちであったが一度戦が起これば頼れる傭兵となった。彼らは戎車とそれに群れる歩兵の前に立ちはだかるとこれを指差して大いに笑うとすぐに散り横へと逃れた。弩の矢が宙を穿つ間に丘卑の騎兵は沙軍の戦列を回り込みながら矢を浴びせかけこれを苛立たさせた。そして瑜軍の歩兵が一気に距離を詰めると更に散り散りになりやがては友軍の戦列の後ろへと戻っていった。沙軍はよく切れる長柄に曲刀を得物としている、これに対抗するために瑜軍の短兵は身体ごと盾で敵兵を押し込み懐に入り込み、錘でこれを叩く。ある者は大盾でしかとその身を戎車の乗員が振り回す長柄から守り、車輪を叩き壊す。このように一度目の襲撃を浴びせると、号令がかかりすぐさま短兵は下がる。戎車、そしてそれを囲む沙軍の兵士に浴びせられたのは矢の雨である。瑜軍は沙軍の様に短兵を随伴させるかたちでの戎車の運用を既にやめていた、それは会戦が主流であった涼や虞、そして九国の時代での中原の戦法であり韓代に入る頃には既に廃れていたのだ。しかしながら瑜の太祖は弩兵を載せて射点をこまめに変える運用をしていた、そう、沙軍戎車隊が向き合っていた戦列の奥には数多の戎車が集っておりそこから怒涛のように矢を浴びせていたのである。五台に一つは床弩を積んでおり、この痛烈な矢は幾ら優れた鉄でできた甲をその身に纏った沙兵であっても一射で難なく数人の身体を貫き、辺りに臓物を撒き散らせた。こうするとまるで猛禽の様に丘卑族がそこに集い、統率を失って散り始めた沙兵を屠った。

瑜軍右翼は優勢であった、しかしながら左翼側は未だ混迷としていた。沙軍の精鋭騎と思しき一段と、瑜軍の騎兵がぶつかり合っていた。金の髪を棚引かせ馬を駆り、ある者は弓を引き、ある者は戟を振るう、彼らは海烏賊と呼ばれる韓北涼原郡の異民族である。元は遥か東は何魏斗と呼ばれる地の者達であったが、容貌魁偉で眉目麗しい彼らを気に入った武帝が韓の地に住まわせた、元々涼原に住んでいた同じく騎馬民族羑族とは諍いも少なく今では混血も進んでいる。彼らの風習は韓人とは多少異なり、女人も射御に親しんでいた。そしてこの場にも女戦士が一人混ざっていた、氏は金、諱は道、字は舞龍妃。何魏斗の民は今では韓人のような名をつけることが多いが、金氏、つまり武帝の代に移住したものはこのように何魏斗の伝統的な名を字として用いていた。まだ年若い道は鬼相を持ち、背丈は男のものと変わらず八尺はあった。藍色の澄んだ瞳に、くっきりとした目鼻立ち、そして太陽の色をした髪は韓の男ですらも魅了した。そしてその武勇も並外れたもので、大声を上げて分厚い大刀を振れば沙軍騎兵を打ち砕いた、或いは駆けまわって弓を射れば放たれる全ての矢が沙軍騎兵の首を穿った。道は首長の娘でその父、金武もこの戦場にいた。背丈が九尺もある武の膂力は道を遥かに超え、十尺を超える大鉞を振り回せば霹靂のように轟音を上げて空を裂く。これから逃れられなかった沙騎は腰から上を失い、ある時は鉄馬もろとも両断された。その間も族の兵を僅かな手の動きだけで指示しており、これと共にその指示は全騎にすぐさま行き届き、海烏騎の練度の高さを伺わせた。瑜軍と沙軍の精鋭たちは火花を散らしていた、土煙を上げながら背を向いて弓を放つ海烏騎を追いかける鉄馬に跨った重装の沙騎たちは恐れるべきは二三の手練れのみで他は恐れるべきものは無いと考えていた、何せ東方の駿馬は鉄馬であっても韓の馬に追いつかんとしているのだから―――突如として海烏騎の一団が左に逃れるとその土煙の先にあるものを目にして沙騎は皆驚愕した。短兵が戟の石突きを地に突き刺し穂をこちらに向けて並んでいたのだ。鋭く光る穂先に馬が驚くと彼らは態勢を崩しながら止まることもできず槍衾に突っ込んでいく、そして勢い余った沙騎の馬の身体には深々と戟が突き刺さり腸が辺りに散る、落馬した沙兵の周りには錘を手にした重装の短兵が集いこれを容赦なく打ち砕いく。こうした光景は瑜軍左翼のいたるところで見られた、当たる前は五分と五分であった両軍であったが戦況は瑜に傾きつつあった。

然は戦列の左右を馬で忙しなく駆け回り将たちの様子を見ては助言して回っていた。「悪くはない、沙の軍勢のうち脅威となる者への対策を予め将らに伝えておいたことが功を奏している。如何に紅の軍勢を容易く破る夷狄どもであっても、瑜の軍を抜くことは出来まい」と然は瑜軍が優勢になりつつある戦場を見ながらそう言った。実際、嫣の指揮は優れており、然の助言も的確であった。然は暫しの間目を閉じそれから大きく息を吐いて再び目を開けた、涼し気な表情が崩れることはないが、初めての会戦という重圧のなか心身の疲労を隠すことはできずにいた。突如、統率を失った沙軍の集団を蹂躙していた丘卑族の騎兵が砕け散る。これを目にした然は左右の者に「何が起きたのだ!?」と問うた。見れば漆黒の騎馬軍団が味方の兵すらも踏み砕きながらこちらに猛烈に迫ってきていた。「あれは紅の者たちが言っていた……、示武劉!」とある者が叫んだ。然や嫣は気にしていなかったが、紅の兵たちの間ではそれが噂になっていたため、瑜の将兵にもその名を知る者がいた。武を示し戮するもの、沙人の名に対してそう音を借りて字を当てられたその鬼神の如き男はこの軍勢の大将であり、噂に依れば王の妾の子だという。容貌魁偉にして漆黒の甲を帯び鉄馬に跨る彼が放つ矢は床弩の様に十の兵を貫き、一度その大きな矛を振るえば地を割り兵たちを粉々にするという。史書の豪傑の中ですら比する者がいない至強というべきその怪物が同じように漆黒の甲を帯びた騎兵を引き連れてこちらに向かってきているのだ。しかし兵たちはこれを恐れなかった、ただ周りがこれに立ち向かうから、という連帯感でこれに向かっていった。示武劉らは瑜軍の戦列に当たることはせず、そのまま戦列の左に逸れていく。そして矢を番えて放つ、その音は天が砕け散るかと思うほどに凄まじく、それでいて隊の後ろにいる伯長やそれらを束ねる部曲督らを悉く正確に貫いく。「彼奴を絡めとる策はある、だが今すぐにできるものではないか……」と冷静に判断した然は将らに伝え、上官を失い統率の乱れた兵たちをまとめ上げさせ少しずつ後退しながら置き盾の後ろで伏せて嵐が過ぎるのを待たせた。漆黒の騎兵が放つ弓は置き盾すら容易に貫くため気休めでしかなかったが身を屈めて姿を隠せば被害を抑えることはできる、何もせずに立っているよりは。

一方で遠くでの異変に気付いた金武は直ぐに示武劉らの一団に海烏騎を向かわせた、嫣はこれを制止したが武は聞かず自ら先頭に立ち百斤はある大鉞を頭上で振り回しながら突っ込んでいくのであった。やがて二人の猛者が相見える。左右で道や海烏騎らが沙騎と矛を交え火花を散らす中、武は馬を走らせ示武劉目掛けて突っ込んでいく。海を割るかのように示武劉に振り下ろされた大鉞は空を切った、その一撃は決して鈍重ではなく寧ろ常人の目では捉えることが出来ぬほどであったにも拘わらず。示武劉は人馬が一体であるかのようにこれを巧みに御して躱していたのである。そして彼の放った一撃、分厚い鈍色の沿った刃がついた鋼鉄の矛は音を置き去りにする、その神速の切先を防ぐことは武にはできずその身体は馬諸共両断された。道は「父上!」と大声で叫んだが、すぐに海烏騎達に退く様に指示を出して逃れた。戦列の後ろに戻った道の身体はその恐怖で震えあがっており、父を無残に殺されたこと、そして示武劉の最強の武を前にしてこれを恐れ情けなく退いてきたことを恥じて声を上げて涙した。「まずいな……」と嫣は言うと麗しい装飾の施された木面をつけて遂に前に出た、その左右には豪奢な装飾が施された厚い甲を纏い鉄馬に跨る三国時代から最強の騎兵の名を恣にしてきた虎嘯騎が付き従った。示武劉は嫣の姿を見るや否や、これに対して唸り声を上げて猛獣の如く食い掛った。それを見て嫣はすぐにそれから逃げるように馬を走らせた、そして鬼彊を手にする。虎嘯騎が放つ矢は精確に漆黒の騎兵たちの身体に向かって飛ぶが、彼らはこれを叩き落とす。ある者は捌ききれず肩や腹に深々と矢が刺さるがそれでも熊の如き突進は止まることを知らない。嫣の放つ矢を示武劉は手で捌いていたが遂に怒りが天を貫き彼は大きな罵声を浴びせながら矢を番えた。嫣を目掛けて放たれた矢、これを僅かな動きで彼は避ける、ただ左右を掠める矢のその轟音に彼の背筋は凍る。何とか逃げ続けていた嫣であったが焦りは募っていく。「何たる駿馬よ、これ程を駆けても尚止まることを知らぬか……」と呟いた嫣は矢筒に手を伸ばす、だが空を掴むだけでそこには何もなかった。しかし「帯長剣兮挾飛弓、首身離兮心不懲」と口遊んだ嫣は馬を止め戟を手にした、国殤となる勿れ、との皇太子の言葉が脳裏を過ったが彼は前に出ることを辞めなかった。忽焉として、漆黒の沙騎らに向けて矢が降り注ぐ、騎士ではなく騎馬に向けられたその矢に沙騎は馬を止めた。一度は退いた海烏騎が並び矢を番えているのが見えた、道は未だ涙を流し続けているものの鬼神の如き形相で父の仇を睨みつけていた、そして弩兵を乗せた戎車の隊もこの場に集まってきていた―――後方にあった然が嫣の援護のために向かわせたのだ。それを見た示武劉は大きく舌打ちすると脱兎のごとく退いていくのであった。

沙軍はこの会戦で、この場では勝てぬと悟ったのか退いていった。瑜軍の斬虜は沙軍よりも多く勝利といって良いはずであったが陣営の意気は消沈していた。嫣は夜の幕舎で唯一人、暗い面持ちで地図を眺めていた。そこに然が現れてこう言った。「公よ、早く眠られよ。……先の戦は瑜軍の大勝ですぞ、沙軍の被害は大きく、そして退いた。それなのにこのように暗い顔をしておられては、兵たちも勝ちを負けであると思い違いをしますぞ」と諭すように声をかけた然に、嫣は「しかし……」と何かを言おうとした。「公たるもの、あのように無理な戦いをするものではありません。勇は将の大切な素質ではありますが怯弱なる時があるべきです。示武劉、あの者はつまるところ匹夫の勇に過ぎません。そして沙軍の参謀はあれを奇として出すにしても遅すぎる、決断が遅いことはつまるところ愚であるということです。大方、旗色が悪いことに癇癪を起こしたあの者が最後に飛び出してきただけでしょう。だからこそ瑜軍は会戦に勝ち、軍を進めることができるようになりました。……示武劉も早晩討ち取られるでしょうな、それは然の策によるか、……呂元秀の策であるか、……それとも朱公の手に依るかは分かりませんが」と嫣を諭した然であったが、左右を見渡してから小さな声で更に言葉をつづけた、曰く「王は……、子文は決して公を疎んではいませんし、憎んでもいません。例え敗れることがあっても、情けなく退く事があっても最善を尽くしていたのならば、それを以て罰する事などありません。兵は勝ちを以て功と為す、勝ちは常ならぬということを子文もよく理解しているはずです。……紅の王族が骨肉の争いを好んだのは、王たちの夫人への寵愛が遷ろうことが続いたからです。愍王程翊は年長の男子でしたが正室の子ではありませんでした、ただ彼とその生母はその後、父から寵愛され、また才気渙発であったため王を継ぎました。そしてこれに怒った正妻の子、蘭京公が沙羅尼と通じて禍を呼び寄せました。愍王も庶子であったが年長の程桓を王太子にしたため、正妻の子であった湖安公が沙羅尼と通じました。このような出来事は史書にも多く見られますが、逆に言えば公は子文との間に諍いはないのです。ですから勇に逸って軽率な行動をとることをおやめください、公が優れた将であることは瑜国の者であれば誰しもが認めるところです。そして、常に冷静に軍を指揮をすれば、自ずと勝ちは得られるでしょう。どうか、ご自愛ください。勿論、将が前に行けば兵はついてきますが必ず時と相手を選んでください。公が斃れれば、子文は強く悲しむでしょうから……」と。それだけ伝えると然は去っていった。嫣の心の内にある憂悶が晴れることは無かったが、この苦い経験を噛み締めながら、一杯だけ酒を喉に流し込むと嫣は寝処に向かった、戦はまだ終わっていないのだ。

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