渡水行

太陵にて大勝を得た飛隴の軍は、そのままこの地にて暫く休んでいた、何しろ多くのものを待たねばならないから。太陵郡の民たちに当面の糧食や資材を与えた飛隴の軍は、その見返りとして後に糧秣を得る事となっていた。戦乱の中で散逸した、或いは逃げた民によって方々に隠された此の地の糧秣を紅の官吏たちに集めさせるのはかなりの時間を要することが見込まれたが、遠征軍が民に兵糧を分け与えるだけでなく、流民となった者達の家を建てるのにも協力していたため、太陵郡の民は食糧の供出に協力的であった。また麗月たちの遠征軍は、残りの二路における侵攻の具合についての報告を受けてから進軍を再開する必要があった。これらのことの凡そは太陵公や紅の官吏、それから間府の者たちに任せきりであった、つまりは麗月たちは暇を持て余していた。そのため麗月は令や紅珠を伴って太陵の城の中を散策していた。過去の偉人を祀る道教の廟がことごとく打ち壊されてはいたものの、それ以外の建物には大きな被害は無く市はかつての活気を取り戻しつつあった、並ぶものの半数近くはやはり遠征軍が分け与えたものであったが、それだけでなく太陵郡の名産品である果実などが並び始めていた。「太陵公が素直に沙軍に降り、畑をできる限り荒らさせなかったことは当に徳行よな。哀しい事に范の様に皆殺しにされてしまった村もあるが多くは良く保たれているのが市を見ていると分かる」と麗月は令に呟いた。「茶もあるわね、買って帰りましょう」と、そのような話に対してどうでもよさそうに令は答えたが、俄かに周りを見渡して僅かに顔を顰めた、市の肉屋には新鮮な肉や醢が並んでいるのだがそれがどう見ても人のものであったからだ、恐らくは生き埋めにされるはずだった沙兵の一部をこうして市に並べているのだろう。令の表情を見て少し驚いた麗月もまた、彼女が目を遣る方へその目を向けて、おいおい、と苦笑した。韓に於いては時折人肉食が見られるが決して良いことであるとは見なされていなかった。瑜の文王がかつて五官将だった頃にある将が人肉を好んでいた事を知ってこれを蔑み、彼の乗る馬の鐙に髑髏を下げさせこれを笑いものにしていたように、褒められた行いとはされなかった。或いは、正式な史書とは見做されない家伝などでは故あって嫌っていた者を誹るために、誰某は狡賢く兵糧に捕虜の肉を混ぜて誤魔化した、と書くこともあった。することのない彼女たちは城の内で活発に新たな家を建て、道を作り直したりしている兵たちを見て回った。多くの兵たちは城の内外で亜世羅尉の捕虜たちを都督しながらも共に力を合わせて工事に励んでおり、しかしながら麗月たちが傍を通りかかるのを見るとこれに傅き挨拶をした。これに対して麗月は「構わぬ、孤の事など気にせず任に励め」と言うのだが、何度もこのやり取りを繰り返すたびにただ通りかかるだけでも邪魔になると悟り、麗月は接収した邸に帰ろうとした。その時、ふと彼女は労役に励む一人の亜世羅尉の兵に目を向け、そしてそれに近付いた。頭巾を巻いた小柄の少年に見えるその捕虜兵は褐色の肌に玉のような汗を浮かべ、気品のある大きな瞳を輝かせながら土嚢を軽々と運んでいた。麗月はその兵が唯者ではないと感じたのか、督していた兵に声をかけこれを邸に連れて帰った。

「鬼士、それも優れた力を秘めている様には思うけれども……」と令は部屋に着くなりその兵の身体をまじまじと見てそう言った。「こういうことだ」と、麗月が忽として刀を抜きそれを振う、全ての肌が晒された彼女には陽のものが無く少女であることが暴かれた。この場には女しかいないとは言えこれを恥と思ったのか、亜世羅尉人の少女は何か麗月を罵るような声をあげては暴れ、自分よりも背が低い麗月に掴みかかって威圧したがこれを軽々といなし「ついて来いと」と浴場へと引っ張っていった。身体を清められた彼女は麗月の衣服をとりあえずのものとして着させられた。その少女、まともに身体の手入れをする時など長らく無かったはずであるのに長い黒い髪は艶やかで、肌は琥珀のように燦燦と輝いていた。双眸は娃、つまり掘りが深くはっきりとしており、鼻の形は気品に溢れ、皓歯が口の内にて鮮やかに輝いていた。その骨像はよく食べさせてもらうことができなかったのか肋が浮いていたが、手足や腰の肉は靭やかであった。「紅龍はこのような少女も愛幸するのね」と揶揄いながら令は筆を取り紙にすらすらと亜国の文字を書いた。それから筆をその少女に渡すと、彼女もまたそれに文字を書く。その振る舞いは雅であったため令はこれに微かに驚いた、そして更にそこに書かれた文字を読んで目を見開いた。「名は亜瑠和とでもしておこうかしら。それにしても麗月は公主を侍らせるのを好む様で……」と令は呟いた、つまり彼女は亜世羅尉の王族であった。令は筆談の結果を纏めてこう麗月に伝えた、曰く「亜瑠和は亜国の王の娘で、亜南が陥落した際に取り残されてしまったようね。沙兵による凌辱から逃れるために男のふりをして兵士として従軍していたらしいわ」と。紅珠が亜瑠和の髪を梳かし衣をしっかりと着付けてみると確かに彼女が貴人であることに相応しい風格があった。麗月はこれに大いに喜び、盃を片手に令を通じて彼女との会話を試みるのであった。はじめのうちは麗月の提案を亜瑠和は気丈に跳ね除けるのであったが、事あるごとに麗月は「君は捕虜である」だとか「しかし悪くは扱わない」だとか立場を笠に着て言い放ち、遂に彼女は折れたのか渋々麗月に従うことを認めた。麗月の側に仕える事、亜国の捕虜の慰撫に協力する事などを認めさせたのだ。麗月の傲慢さに紅珠は大きく溜息をつくのだが、彼女は最後に亜瑠和の頭を撫でながら「しかし朱公、こうも無理を認めさせたのですから亜世羅尉の者達を決して悪くは扱わぬように」と強く言った。

太陵の夜の酒店。酒といっても紅のものではなく連合軍が供与した、飲み慣れた地元のものが供されるためあまり賑わっているとは言えなかった。態々金を払わずとも陣に行けばある程度は飲むことができるのだから。ただ、陣で飲むのに比べればまだ店で飲んだほうが風情があるのは確かでありこの日も長椅子に座り酒を飲む飛隴の将らが散見された。璿、琳、そして宮の三人がこの店の片隅に集っていた。彼らの傍らには酒瓶、そして碁盤があり琳と宮がその盤上で戦っていた、そしてその様を肴に璿は薄い昔酒の味を楽しんでいた。そんな彼らの許に信は歩み寄った。「これは、これは、衛将軍」と、璿は彼に挨拶をした。「同席してもよろしいかな」との信が言うと、琳は囲碁に集中しており何も言わなかったが、宮は、もちろん構いません、とだけ答えた。信は璿の横に並び自らの艶やかな髭を撫でながら二人が打つ盤面に目を遣った。まだ中盤であったものの宮が既に圧倒していることが信には分かった。「難しいものですね、碁というのは」と信が言うと「いや、まだだ」と琳は憤った。「信も朱公と手合わせしたことがあったが、何度同じことを言った事か」と信が笑うと宮はそれに対し「宮も朱公には碁で勝てる気はしませんな、六博なら勝てるときもあるでしょうけど」と静かに答えた。「璿は六博の方が好きですね、出目と戯れながらも良い手を選び取っていくことに面白さを感じます」と璿は店の中を歩き回り、賽子と六博の盤を見つけ出し信の前にそれを置いた。璿は物腰が柔らかく人の内面を良く慮る人物であった、信は未だ隴国の将への蟠りがあり、それをこうして親交を深めることで溶かそうとしているのだろう、と信に気を使って共に遊戯に興じようと誘ったのだ。信は璿の秋菊の花が開くが如く麗しいその笑みと、その心遣いに感じ入った。暫くの間、二人は出る目に一喜一憂しながらこれを遊んでいたが、ふと信は駒を手に「考えてみれば、六博でも朱公には勝てなさそうですな。あのお方は天運を持っていらっしゃる、先の戦いでの用兵は程武を超えたものであったが、その実、運が味方した部分も大きく思えた」と口にした。それに対して宮は「いえ、朱公と荀公の廟算が鋭いのです。宮では到底二人の考えは読めませんが、運に頼らず算のみによるものであることは分かります」と、はっきりと信の言を否定した。「卿も神算鬼謀の持ち主に思えましたが、そんな卿でもあのお二人には敵わないと言われるのですか」と信が問うと「宮はただ朱公の策を言わされているだけに過ぎません、恐らく朱公はその内にある考えを周りに言わせることで将を動かしている、時に卑怯なやり方にも思いますが自身の言を認められて喜ばぬ将などいませんから。少しでもあのお二方の考えを超えるような献策をしてみたくもありますが、どうも驚かせることは今まで一度もできていません。」と宮は鋭い音で石を打ちそう答えた。「朱公は史書にある通りの人柄ではありませんな、恐らく隴の公となってからは公たる姿を演じていらっしゃるのかと。それに比べて荀公は、なんというか、そのままですね。時に恐ろしくもあります」と璿が賽子を振りながらそう言うと琳も「ああ、荀公は恐ろしい」とそれに同意した。「荀公が記された書を良く読みますが、算書は特に難しいですね。史書にある父の言も恐らく本当に言った事だと思うくらい、あの方には超世の才がある。宮は、まだ荀公のことを見ぬ頃はその実在を疑っていました、ですが一目見て様々な史書に残されたあの荀瓏華という女傑は間違いなくこの世に存在しているのだと思い知らされました、そしてその才は恐らく朱公を越えているのでしょう」実の所、令の学者としての評価は当初は高くなかった。彼女が初めに記した書は礼記論という、徳教の経書、礼について纏めた書の論評であった。礼の成り立ちを利害を以てして算する、という内容であったためこれは徳教の学者、儒家たちの批判に晒された。ただそうした儒家のうち、陸恭の言う人の性は悪でありこれを学と礼を修めさせて君子とするべしとした性悪説を取るものは令の書を称賛した。法家や兵家も同じであった。令が函数論を記した時、これも多くの批判に晒された、実から大きく離れ算という体系そのものの性質を論ずるのに多くを割いていたからだ、ある者は「清談のように実が無い」「地図を書き税を算するのには何の役にも立たない」「鶏を割くのに牛刀を用いるかのよう」などと酷評した。函数論から続く算面算斜、識天地の二つの算書で微積分、微分方程式を成立させ、これを以て多くの事柄を説明することに成功した。ただやはり儒家からの風当たりは強く、彼女の書の内容からその人柄まで誹謗が及ぶことがあり、「どの英雄よりも優れた才がありながら志を持たず変わった事だけをして過ごしたのは禍と呼ぶべき」などとも言われた、もっともこのような評に道家の者たちは管備や慶瑜の名を上げて批判したのだが。彼女の学問への態度、算を何よりも大事にし天地の理を知ることに注力する、それを以て理学、理家と呼ばれ諸子の一つと見做され今日は重要な学問の一つとして見られるようにもなった。「璿は兼ねてより荀公と文通をしていましたから、彼女の実在を疑ってはいませんでした。座した処、三日香る。それをどこかで読んで香について聞いたのが始まりでしたね。理書については璿には理解が及びませんが」と璿が言うと一同は大いに笑った、普段は感情を顕にすることのない宮に到っては笑いすぎて激しく咳き込むほどであった。「いや、失礼。魯将軍が余りにも面白い事を言うものですから。……これから待ち受ける戦は、先の戦いより厳しいものになるでしょう。宮が思うに、太陵で相対した敵勢は主力ではありません、紅を破竹の勢いで破った主軍はこの先に待ち構えているでしょう。だからこそ、今宵は酒を飲みましょう、酒に対しては当に歌うべし、と瑜の武王も吟じていました」こうして彼らは酒を飲み遊戯に興じながら様々な事柄について語り明かした。

春の終わりが近づくと、麗月の許に報せが届いた、曰く「瑜軍は夏郡を陥落、軍を紅水を直接渡河するものと、安都付近より北から周り込むものの二軍に分けて趙丘郡に侵攻を始めた。臨弧郡を進む韓軍は善戦している」と。これを受けて麗月は軍勢を楚中郡へと進めた。飛隴の軍に対して楚中郡に屯していた沙軍は少なく麗月に率いられた連合軍はいとも簡単にこれを破ると瑜軍との合流を目指し紅水を遡りはじめた、四月の事であった。船に揺られる麗月は、かつては耀く水面において数多の鳥たちが歌うなか、漁夫や行き交う商人たちの船で賑わっていたと聞く紅水が、今では渡河する軍勢の船でのみ賑わい、水面を揺らすのは軍を統べる金鼓の音のみであることを哀れに思いこう吟じた。


古人吟曰、水何澹澹、船人臨之、悠悠蒼天。

奇岩竦峙、群翠飾川、風俄蕭瑟、水搖摧淵。

忽焉芳流、聞游女吟、二妃降来、使其像鮮。

如比翼鳥、恒攜與翻、或戲清流、或翔神泉、

或采明珠、或拾瑾金、互飾皓質、於是還天。

霊何處去、水流澹澹、無漁夫姿、唯見軍船。

無䴌𪀦鳴、金鼓以震、往時似夢、唯可哀憐。

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