出鍾陰行

朱麗月と荀令が鍾陰に戻るとすぐに彼女たちの許に勅使が現れた、曰く、急ぎ参内するように、とのこと。これを聞いた麗月はすぐさま各府の高官を十人ほど連れて韓の都である倝陽へと向かった。盧湖から北に流れる倝河沿いに行けば鍾陰から倝陽までは五百里ほど、車で行けば四日程度で辿り着くことが出来る。出立してから五日目の朝に倝陽にたどり着いた一行は朝廷に仕えるものに案内されて参内する者たちが留まるための邸に入った。旅の荷を運び込み終えると、麗月、令そして紅珠の三人は卓を囲み茶を飲み始めた。「瑜の都、淵安の大きさには驚きましたが、倝陽の城の大きさは周中よりも少し小さいのですね」と、紅珠が初めて見た地について言うと「河内尹、ああ、今は郡国の名と郡都の名を一致させるように変わったからもうそうは呼ばんか。倝陽国の戸数は二十万ほどだ、山と川に挟まれておるが故、土地は広くはない。それに対して少し開けた地にある淵安国は四十万戸を超えていたはずだ」と麗月は返した。倝陽は一度、朝廷を牛耳った袁協の手によって炎に包まれた、韓始三百九十七年の事だった。韓の思帝は瑜の太祖によって保護されそれに伴い淵安に遷都したが、韓始四百十六年、帝は復興された倝陽に戻り再び韓の都となった。今では多くの立派な建物が立ち並ぶ都の名に相応しい街となっているが令は「妾は鍾陰の方が好きだわ」と言い放ち、それを聞いた麗月は大いに笑った。暫しの間、彼らは旅の疲れを癒すために休んでいると朝廷の使者が邸に現われた。麗月は彼の言を聞くと、一行を呼び集め宮廷へと向かった。

宮廷の一室に通された彼女らはそこで瑜、紅、そして飛の面々と会することになる。「朱公、よくぞ参られた」と麗月に声をかけたのは瑜王であった。先代の恵王周昂が齢四十で倒れたため、周説は若くして王位についた。説は太祖がそうであったように背丈は小さいが、双眸は力強く輝いていた。彼は若き頃から弓馬に親しみ撃剣の達人であった、しかしそれ以上に博聞強識で彼が筆を取るとすぐさま章となる、才芸兼該の人である。「早速であるが、沙国との戦の議を行いたい」と彼が言うと、みな座に着いた。初めに口を開いたのは韓の大将軍である太史徳であった。太史一族は昔から周一族と互いに婚姻し合っており、両家の関係は非常に深い。太祖が韓室をほしいままにする袁協を討つために挙兵すると、彼の許には周一族だけでなく太史一族も集まりその覇業を支えた。両家には優れた将才を持つ者が多く、特に挙兵より太祖に付き従った周忠、周超、太史仁そして太史洪の四人は数多の武勲を挙げ、名将として後世の人々に知られている。「此度の戦、三路からの侵攻を予定しておる。即ち、徳の率いる韓軍が北を攻め、館昌公率いる瑜軍が中央を攻め、そして隴と飛の連合軍が南を攻める」と、徳は威厳のある声で言った。朝廷と瑜の間では既に幾度も話し合われているのか、館昌公周嫣はその美しい顔で涼し気に頷いた、嫣は兄である説と異なり背丈は八尺を優に超えていた。幼い頃より兄と共に弓馬に親しんでいたため射御に優れ、既に国内での反乱で兵を率いた経験があり、特に騎兵の扱いに長けると評されている。「紅からの要請はあったのか?」と麗月が問うと「朱公、寡人が紅王程桓だ。父、愍王が沙羅尼との戦で討ち死にしたためこれを継いだ。父は紅の力だけで沙羅尼を追い払うことに固執し、遂には戦場で散った。沙羅尼を今の紅の軍で追い返す事など到底出来ぬが故に恥を忍んで陛下に討伐軍の編制を上奏したのだ」と桓がこれに応えた。「それは……、なんともお痛ましい事ですな」と麗月はどこか含むところがあるような口ぶりでそう言うと「隴も沙国の侵攻を既に受けており、この事態の打破には韓全土の力を結集した遠征軍を結成する必要があると考えていた。孤は飛国の軍と肩を並べて戦う事に異論はない」と続けた。飛公となった公孫封は隴との因縁はあるものの至って冷静であり「飛の国内の情勢は未だ落ち着かぬが、驃騎将軍衛信を大将とした八軍を派遣するつもりだ」と答えた。「韓朝を支える四国が一つ、飛国の公として軍を派遣するのは当然のことだ。ただ、将兵への見返りが無ければ彼らは前に進まぬだろう。そこで、この場に於いて勝利の暁に紅から受け取るものについて約定を交わしておきたい」と続けた彼に麗月は「孤も同意見だ。しかし紅は夷狄の蹂躙を受けており、例え奴らを追い払えたとしてもその痩せ細った国力が癒えることはない。紅国から絞り取るものなど残っておらぬだろう、そこで何をどのような形で受け取るか、であるが孤の臣、司馬司間に案があるという」と禁に発言を促した。「隴国の司間の司馬禁と申します。禁は紅の復興を妨げるような事をするつもりはありません、つきましては民の生活に関わらぬもの、例えば董の名産品である絹や翡翠、金、玉あたりを従軍した将兵への褒美に充てたいと考えております。それから交易商人の減税を一旦行い、数年かけてもとの税率に戻していくという形を取ることで間接的に貢物を受け取る形にしたいと考えております」と禁が言うと桓はこれに首肯し、具体案を出させた。

「思ったよりも素直に纏まったな」と、議を終えて既に紅と飛の者たちが去った広間で麗月はそう独り言ちた。疲れからか座から立ち上がる気になれなかった麗月の許に令は歩み寄り、その手を取って立ち上がらせようとする。「すまないな」と令の方を見て言うと、麗月はこちらに近付いてくる説の姿に気が付く。「朱公、それに荀公よ。陛下に議が纏まり連合軍が三路より攻め入る事が決まった事を伝えるのは明朝だ。良ければ寡人の別邸で酒でも飲まぬか?」と説は二人を誘う。「光栄でございます。ぜひご一緒させてください」と、麗月は素直にこれを受け容れた。

麗月と令は一度宿所に戻り残りの者に周王の宴に向かうことを告げると、二人は説の別邸に向かった。二人が通された広間には倡家の者達が楽器を携えて隅に控えており、徳と説、それに名を知らぬ二人を合わせた四人は既に酒を飲み始めていた。「おお、お二方、よくぞ参った。さぁ遠慮なくかけたまえ」と説が言うので二人は遠慮なく座し盃を手にした。すると、彼女たちの前に件の二人が歩み寄る。「陸然、字は伯瓊と申します。以後お見知りおきを。お二方の御高名はかねがね承っております、機会があれば討論をさせていただきたくあります」と名乗った然はまだ若く、説と同じほどの年に見えた。その風貌は涼し気で、麗月はすぐに陸文恭を思い浮かべた。「呂茂、字は元秀と申します。瑜の尚書令であり、此度の遠征は陸伯瓊ともども館昌公の軍に随伴しこれを補佐します。戦場でも相見えるかもしれませぬが、その時はどうぞよしなに」と名乗った茂は、まだ青年のようでもある説と然に比べると、二十ほど年が上に見えた、徳と同世代だろうか。「朱公よ、呂元秀をこのような場で見るのは珍しい事だぞ。彼は人付き合いをせぬ男だ」と笑う。「古の謀臣の真似でもしておるのか?敵国滅びて謀臣殺さる、というのは乱世における智計者の末路だ」と麗月も笑うと茂は静かに手にした盃を乾かす。「茂は酒は好むが人付き合いは余り好まぬというだけです。ただ、かの朱公や荀公と見える機会とあらばどうして門を閉ざしますでしょうか」と言った茂は座に戻った。歌伎が麗月と令の許にやってきて、その杯に酒を注ぐと、説は二人の方を見て曰く、「この場には紅王も、飛公もおらぬ。朱公よ、率直な話が聞きたい」と。「それは、どのような事柄についてでしょうか」と麗月は注がれた九醞春酒を呷る。「二点ある。紅の愍王は何故、紅国の力のみで夷狄を追い払おうとし、戦場で斃れたのか」と説が問うと「瑜国は昔と変わらなければ多くの間者を今でも用いているのでしょう。孤に問わずとも、その答えを知っているのではありませんか?」と麗月は言葉を濁した。「一族の恥を隠したい、それは古今問わず変わらぬということか」と説が言うと「侯王を藩屏足らしめんとしても清平に於いては大きな王国というのは火種でしかなく、これを削り取るしかない。しかし乱世が来れば、力を失った侯王は藩屏とはなり得ない。しかし紅のように公国が大きいままというのも考え物ですな」と麗月はそれに応えた。「そういえば、館昌公はこちらには来られないのですか?」とふと嫣の事を思い出した彼女はそれを説に問うた。瑜に於いて周一族の者が公に封せられるが軍権を持つことはないのが普通である、しかし嫣はそうではない。それを思うと何となく彼について何かを問いたくなるのが人の性というものである。「子媆もその内ここに来るだろう。大方、皇太子の許に行っており、それで遅くなっているのだろう」と説が答えると「ほう、乱世であればなんとも危うい立場ですな。骨肉の親が裏切りを好んだり身内に災いが降りかかるのを喜ばなくても、姦賊がおれば間を引き裂いて利を得ようとする」と、麗月は静かに語り酒を呷った。ちょうどその時、この場に嫣が現れた。「兄上、遅くなり申し訳ない」と嫣が謝ると「よい。朱公と荀公が来ておる、子媆も早く座り酒を飲むといい」と説は笑顔を浮かべた。「さて、朱公よ。二つ目であるが、沙国との戦は、どのようになれば終わりだと考えている?」と彼が麗月に問うと、彼女は小さく細い指で自らの顎を撫で、暫し思案した。「例え董まで奪還したとしても、沙国の脅威は去らない、足下はそう考えていらっしゃるのですか?孤もそう思っております。……この戦、韓が勝利を得るには二度の遠征を行う必要があるでしょう」と麗月が語ると説は「それは、どういうことを意味しておるのか?」とさらに問うた。「沙国は余りにも亞世羅尉の地を早く通り過ぎて董にまで侵入しました。亞国は南の乾いた平原にはその広い地に民は稀で畜牧して暮らしています。一方、北の山岳では民が定住し密集しているといいます。これは唯の推測に過ぎませんが、沙国は亞国を滅ぼしていないのではないのでしょうか」と麗月が答えると「成程、それはあり得るな。沙人が董に入ったのは、亞北を湖安からも攻めるための布石でもあるということか。一度目の遠征は韓を取り戻し、二度目は亞国から沙人を追い払うと。そして亞国を臣従させて沙国に対する壁にすると」と説は続けた、これに対し麗月は、然り、と応えた。その後、宴に集まった面々は互いに討論を楽しみ、また音楽に合わせて詩吟をするなどして夜は更けていった。

翌日、瑜王周説、紅王程桓、隴公朱麗月、飛公公孫封、韓大将軍太史徳、館昌公周嫣の六人は帝に拝謁した。「朕は紅の地が夷狄に蹂躙されていることを聞き、此れを憂慮している。夷狄に義は無く、紅を犯し、民から略奪し、婦子は侵され、男子は殺され、その被害は甚大であるという。朕は之を甚だ閔れんでいる。今、韓の義兵を挙げ之を攻めることを欲す。紅の地を取り戻し、夷狄を東の沙漠まで追い払わん」六人は平伏し帝の詔を聞いた。「臣徳、これより韓の義兵二十軍を率いて北より攻め、臨弧、天路二郡を奪還してまいります」と徳が宣言すると「臣説、弟嫣を大将とし瑜の三十軍を派遣、杜丘郡から夏郡に入り、安都に攻め寄せる胡人を打ち払い、そのまま趙丘、湖安の二軍を奪還してまいります」と説はそれに続いた。「臣麗月、飛軍と隴軍合わせて十五軍を率い南からまわり蘭京を目指します。必ずや夷狄を東の沙漠まで追い払って見せましょう」と麗月も周りに合わせて臣下の礼に則りそう宣言した。

「子媆よ、そなたは遂に行ってしまうのだな」拝謁を終えた嫣はその後、すぐに皇太子に会いに馬を走らせた。嫣は皇太子の学友で、少年の頃より與に書を学び相愛し、與に狩りをし、何をするのも一緒という仲であった、臥起も当然の様に共にしていたのだ。嫣が館昌公となり、反乱鎮圧などで軍を率いるようになると次第に二人が見える時というのは減っていくが、尚この二人は愛し合っており、今もまた彼ら二人はひしと抱き合っていた。嫣はその立派な背丈と天女と見まごう美貌によって都の婦女たちの噂の的となっていた。嫣がこの様に皇太子に会うために都に来ると彼が通る路では歓声が上がるが、ひとたび彼が通り過ぎると婦女たちは「牽牛織女遥相望」と溜息を漏らすという。「嫣は勇敢に戦います、足下を恥じ入らせるような戦いをしません」と言った嫣は朗々とした声で古い歌を歌い始める。


出不入兮往不反、平原忽兮路超遠。

帶長劍兮挾飛弓、首身離兮心不懲。

誠既勇兮又以武、終剛強兮不可凌。

身既死兮神以霊、子魂魄兮為鬼雄。


これに対して皇太子は「子媆よ、国殤となる勿れ」とただ涙した。

麗月が鍾陰に戻るとすぐさま政庁に諸臣を集め挙兵の令を出した。その後邸に戻った麗月は紅珠に対して「今度は長く家を空けることになる、何度もすまぬな」と声をかけた。しかし紅珠はこれに頷く事は無かった、彼女は剛毅な態度を取り、声を荒げる、曰く「紅珠は公も存じています様に鬼士であり、既に黒龍衛と共に鍛錬に励んでまいりました。また龍衛僕であり、公の車を引く馬を御す任を授かっておるのです。豈に従軍せずにいられるでしょうか」と。麗月はこれに対して「霍君を戦場に立たせるために黒龍僕の任を与えたのではない」と言うと「いえ、それでも紅珠は公についていきます」と言い張った。「鬼士とは言え、飛びぬけた武勇が無ければ戦況が悪くなれば為す術もなく死ぬ。戦場は醜く、長く陣を張り続ければ鎧甲には虱が湧く。賊軍が通り過ぎた地では白骨が野に露わに残され、千里に渡って鳥や獣の声もしない。略奪された村では侵された婦子が虚ろな目をして横たわり、首を斬られた伯の亡骸を見つめ続ける。軍が破れ捕虜となれば霍君もそうなる。先登で有り続ける黒龍衛、そしてその更に先頭に立ち続けるには人であることを辞めていなければならない」と麗月が捲し立てるとこれに対して「公には恩があります、夫人の様に家に居続けているだけでどうしてそれに報いることができるでしょうか。紅珠は朱公の御傍に立つ覚悟があります」と紅珠は言い放ち、遂には懐から短刀を取り出してその長い黒髪の肩より下を切り落としてしまった。髪を清潔に保つためにこれを洗えば毛が抜け、しかし清潔に保たなくてもそれにより毛が抜ける。徳教に於いて親からもらった身体を傷つけるのは大罪である、そのために髪に対しても先述のように人は悩むのだ。麗月や令はこのような事は気にせず幼子の様に前髪を切りそろえているが、紅珠はそうはせず、古からの教え通り髪を全て伸ばし続けていた。それを見た麗月はこれ以上、紅珠の訴えに反駁し続けようとはしなかった。

数日経った後に、鍾陰に集った兵は呉水に向けて進軍を開始した。遠征軍の出陣に際し、多くの民が集いこれを見送った。「衛将軍でありながら、遠征に従軍できぬのは些か悲しくありますな」と、紅珠の御す車に立ち周りを見まわしていた麗月の許に周真が馬を駆って現れてそう言った。「将軍よ、卿の任である兵糧の輸送は長く軍で働いてきた卿でなければ出来ぬ大任だ、誇るとよい」と麗月はそれに返した。「朱公、どうぞ禁の息子をこき使ってくだされ」真が去っていくと、司馬禁が現れてそう言った。「司馬玄則よ、異国への遠征に従軍すれば疫病にかかり死ぬことがある、例え前線に立たずともな。長子をこのような遠征に同伴させるのは心苦しくもあるが、孤は司馬伯台の才を頼りにしておるのだ」と麗月が返すと、禁は嬉しそうな顔をして帰っていった。様々な人々が集まり、隴の遠征軍の出陣を見送っていた。子供たちは煌びやかな衣服を纏った黒龍衛、郭将軍に率いられた鉄馬に跨る重装の白龍騎士、それに朱塗りの鎧に立派な弩を抱えた魯将軍の兵が通ると歓声を挙げた。人だかりの中には黥を入れた一団がおり、龐将軍が通るのを見ると彼らは雄叫びを挙げた。しかし、これを見る人々は必ずしも明るい顔をしている訳ではなかった。涙を流し夫を見送る婦子が散見され、これを見た紅珠は思わず釣られて涙を流しそうになった。鳴り響く金鼓に合わせ、麗月は勇ましい声でこう歌い始めた。


四国有義士、興兵討群凶。

帯甲何喝喝、不厭為国殤。

征戦幾人回、鳴金鼓興行。

媆女勿霑衣、以歌送兵將。

胡虜長驅犯、萬民当死亡。

韓士合力斉、執戟弓至彊。

驅東萬餘里、不知時返郷。

邦桀勿殂斃、併肩返西方。

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