止蛟石
止蛟石、道教において蛟が蜷局を巻いて寝ていたらそのまま岩になったとされる奇岩。その北の森には隴山兵の一軍の内二部二千人が、そして南の森には魯将軍の精鋭弩兵と歩兵が其々一部ずつ伏せることになった。止蛟石の水に面する急斜面から半里ほどの所には黒龍衛のみが屯する陣があり、その左右には厚い甲を着込み盾と錘を手にした歩兵、そして弩兵のそれぞれ一部ずつが伏した。小国である隴の戸数は鍾陰郡十五万、鍾陽郡九万、呉章郡六万と少なく、最大で動員できる兵数は十五から二十軍、つまり多くても十万程度であり、その中の五軍程度が兵である事のみを生業としている。朱麗月を含め隴の将たちは不死軍しか精鋭兵がいないと沙軍の陣営を見ながら言っていたが、実のところ隴軍もさほど変わらないのである。麗月と令が黒龍衛を連れて呉水の陣に着いて一日が経ったこの日も、二人で止蛟石の崖の上から対岸に群がる沙軍の陣営を眺めていた。「しかし、紅の王族たちの間で何があったのだろうか。現王の悪い噂は寡聞にして知らぬ、太子であった蘭京公時代は不服従民族の平定を自ら兵を率いて行っていた武辺者という話しか聞かなかったが……」と麗月が言うと令は「自ら戦場に出る必要もないのに、命を失う事もあるというのに王族であるという理由から剣を手にする、そういう剛毅で誇り高い人間というのは裏を返せば高慢とも言えるのよ、妾たちも他人の事を言えないけれどね」と彼女の顔を見て静かに呟いたあと「妾が間府に於いて東域について議論をしておるときに、役人たちから聞いたが、現王の弟の湖安公、正妻の子でありながら太子となることができなかった現蘭京公に不穏な動きがあったらしいわ、……今となって見れば沙国と通じているかのような動きが」と麗月の問いに答えた。「いつの世も骨肉の争いというのは絶えぬな。もとより肉親同士でいがみ合う事もある。骨肉の親が息子たちの間の不幸や災いを願わず、兄弟の仲が睦まじかろうが、周りの利害に巻き込まれ流されて憎しみあうようにもなる。まぁこの類の話は孤には関係のない話であるが……」「いや、紅龍や妾に讒言をしてお互いの中を裂こうとするものがいるかもしれないわ。妾たちには地位がある」「孤と瓏華が肉親であればそうする価値はもしかすればどこかにあるやもしれぬが……、まぁ陣中で仲が悪ければ敵からすれば得をするかもしれぬな、ああそういえば兵の配置はあれでよかったのか?」取り留めもない話をしていた二人であったが、麗月はふとあることに気づいて令にそれを尋ねた。「何か問題があったかしら?」と令が言うのに対して「孤には龐将軍と魯将軍の仲が良くないように見えるのだが……」と麗月は返した。彼女はもとは人の顔色を気にしない性質を持っていたが隴公となってからは言動から人の考えを算するようになった。瑜の臣であった時には軍議においては作戦を献策する側であったが、隴国の形が出来てからは多くの臣の言を聞いてそのうちの優れた物を選ぶかいくつかを組み合わせて最後に自らの手で形を整えて実行に移すようになった。そのため昨日の軍議に於いても、専ら臣たちの献策に耳を傾けそれらから描かれる作戦の形を思い浮かべながら、それぞれの表情をうかがっていた。そこで璿が話している間、琳が顔をしかめているのを目にしたため麗月はこれを憂いているのである。兵を率いる力、そして個の武勇を考えれば二人の人選は誤りではない、麗月は素直にそう思った。一方で、璿が半数が上陸し終えたあたりで上陸中の敵兵に矢を浴びせてその勢いを削ぎ、琳が隴山兵を率いて本陣を強襲せんと長蛇のように這いよるその横腹を食い破る、その後は戻る兵を隴山兵で食い止め、渡河中の敵に璿の弩兵で矢を浴びせかける。複雑な連携が必要となるこの作戦に於いてそれぞれの部を将いるもの同士が不仲であるという事は悪い影響を与えるのではないかと案じているのだ。ただ令は「龐将軍は司馬伯台の友であると聞いた、今回の作戦は魯将軍はただ司馬伯台の考えを明らかにするために代弁しただけであって実質的には司馬伯台の作戦という事になる。龐将軍は魯将軍の足を引っ張り友の顔に泥を塗るようなことはしないでしょうね。大体、龐将軍は先の隋津の戦いに於いて行軍中は妾に対してぎこちないところがあったがよく働いてくれたわ、高慢なところがあるらしいけれど、そういった私情を戦場に持ち込まぬ理想的な将に見えたわ」と麗月の心配に対して答えた。
丁度その頃、止蛟石の北の森に伏していた隴山兵たちは魯将軍の揶揄で盛り上がっていた。隴山兵は隴国の山岳地帯で狩人や樵夫として暮らしている者たちから集められた兵であり、その急峻な山を歩き周り空気の薄い高山でも息を切らさず踏破する、鍛えられた心肺と壮健な肉体を持つ精鋭兵である。その反面、荒くれ者が多く彼らは琳の事は慕ったが璿のような如何にもな名士を好まなかったため彼を見たことがある兵たちがこぞって悪口を言い合っていたのだ、曰く、美女のなり損ない、帝に寵愛される宦官、貴族の弓遊び、だとか。琳も彼に対してやはり同じような事を思ってはいたものの、口を噤みそれを黙って聞いているだけで同調しなかった。何せ、隋津に於いて共に奇襲を行った令の事を思い出すと、彼に対して悪口を言う気にはならなかったから。令も戦場にいるというのに化粧をし香を炊いた豪奢な衣服を纏い、金の鎖や翡翠、真珠でその身を飾っていたが敵と相対すれば鬼神の如き武でそれを打ち砕いていったからだ。「もし、沙軍が三方面に分かれて進軍し崖を登る部隊と周り込む部隊に別れたら宦官もどきが守る南が危ないですな」と一人の兵が嘲ると周りもそれに乗りかかり大いに笑った、これを見た琳はさすがにこれを快くは思わず「共に戦う将を信頼せねば戦に勝つことはできぬ、琳も魯将軍の事を快くは思わぬが彼もまた隴の将としてその才が認められている者であるのだ」と彼らを叱りつけた。自分たちを率いる将もまた魯将軍を不快に思っているがそれを堪えて戦に臨むと言うのであれば、彼らも誹謗の矛を収めるよりなかった。
新月の夜、夜番をしていた隴山兵の一人が沙軍の上陸を目にし、静かに皆を起こして回った。木々に紛れ込んだ兵たちの間に緊張が走り、斧戟を握る手に力が籠ったが、息を落ち着けて、心を静かにしただ沙軍に伏兵を気取られるぬように奇襲の合図を待った。沙軍の将は董や紅だけでなく亞南も含めた支配地域が未だ落ち着かず、遠征を成功させるためには兎に角、速く攻めることが重要であると考えていた。三国が鼎立してより八十年、韓に於いて戦といえば不服従民族の反乱くらいしかなく、兵の数も少なくなり、彼らは国同士の戦を忘れかけていると判断した。彼らが反攻の意思を固めその準備が整う前に隴からの北上、渡江して汝からの西進を合わせて都を脅かしこれを陥落させれば遠征が終わる、そのためにはいち早く呉水の防衛線を抜く必要があった。しかし彼らの陣営は強固であり、隙と言えば、公が僅かな近衛だけを連れて崖の上に陣を張っているということ。新月の闇夜に乗じて崖をよじ登り公を討てば隴の防衛は瓦解する、そう考えていた。沙国は武帝の支配下から逃れて以降少しずつ、しかし着実に勢力を伸ばし、四百年かけて韓を越える巨大な版図を誇る様になった。不死軍はその過程で服従させた地域の精鋭を集めた軍であり、闇夜の中において、上流から船を流し浮橋を架け渡水し、それから急斜面をよじ登り、軍の先鋒が炬に照らされた本陣を視界に捉えるまでを驚くべき速さでやり遂げた。先鋒の者たちが曲刀や矛を振り被り陣を襲わんとしたその瞬間、彼らを霹靂が襲う。先鋒に続いていた不死軍の兵が目にしたもの、飛散する四肢や腸、そして血飛沫の先に小さな体躯でありながらその丈よりも大きい得物を手にする二人だった、神獣の刺繍が施された衣に、金の装飾品や宝玉でその細い身体を飾る二人に彼らは思わず足を止めた。次の瞬間、鐘の音が鳴り響いた、それと共に彼らに降り注いだのは切れた堤から溢れるかのような濁流の如き流矢であった、それと共に右方からの突撃と前方からの反攻が怒涛の如く彼らに襲い掛かった。
この鐘の音を聞いた璿とその弩兵たちがすぐさま上陸を終えたばかりの後続や急斜面を登坂している最中の部隊に矢を浴びせかけた。隴の中でも一際重く張られた弩から放たれる重い矢は東域の優れた甲を易々と貫く、それが豪雨の様に不死軍に降り注いだ。その中で璿は傍らに樽を置きそこから矢を拾ってはすぐに番えて放った、弩兵が二度目の矢を放つ前に彼は五本の矢を放っており、その弦の音が鳴り響けば必ず沙国の兵が斃れた。琳は巨大な斬馬刀を天に掲げ「魯将軍に我ら隴山兵の力を見せつけてやれ!」と側面からの奇襲を仕掛けた。しかしこの挟撃に居合わせた沙軍の尉は冷静で、周りの者に号令し隴山兵に向けて突撃をはじめこれを撃ち抜かんとした。弩兵たちの射線に友軍が入ってしまえばその射撃の勢いは大きく削がれる、また森の中に潜んでいたのは寡兵であると考えこれを抜くことに活路を見出したのだ。琳は彼らの斬撃を冷静に捌き、斬馬刀を振るえば夷狄の首がいくつも宙を舞った。しかし、周りの隴山兵は苦戦していた、特に鉈の刃を穂にしたかのような矛の軌道をうまく読めず、捌き損ねた兵の肩にそれが当たってしまえば血を激しく噴出しながら倒れて行くのだ。隴山兵は軽装の兵であるため、韓のどの刀よりも鋭い沙国の矛に次々と屠られていく。「これはまずいな……」と琳は奮戦していたが周りの兵が劣勢になればその斬馬刀が二倍にも三倍にも重く感じた。次第に隴山兵は押されて後退りしていく、相手の勢いを恐れて一歩でも引けば士気が大きく下がり兵たちの手脚は鎖をつけられたように重くなる。恐慌、それは兵たちに伝染していく、そして将にも。手足が重くなれば刀捌きも精彩を欠く、ついに琳は目の前の敵兵の振り被った一撃を何とか防いだものの勢いを殺し切れずよろめいてしまう、再度振り被られた矛を見た彼は死を覚悟した。しかしその瞬間、目の前の敵兵は身体を三つに切り裂かれた。「龐将軍、大丈夫ですか?」と声をかけてきたのは璿であった、彼の率いる弩兵は厚い甲を纏っているうえに盾と小ぶりな錘を帯びている。沙軍の意図を看破した彼はすぐさま敢死隊を選抜し、自らそれを率いて隴山兵を抜かんと突撃する敵軍の後方に急襲を掛けたのだ。「魯将軍、救援、痛み入る!」と琳が彼に感謝すると「手勢が後方から襲撃を掛けています、隴山兵を前進させて夷狄どもを圧し潰してしまいましょう」と璿はそう言って飛び去って行く。沙軍の中を花弁が舞うように優雅に飛び跳ねてすり抜けながらも時折、手にした双剣で甲の隙間を突いて敵兵を絶命させていく、璿の剣舞の如き華麗な戦いを見た隴山兵はみな歓声をあげ士気を取り戻し喊声を挙げて前進を始めた。後方から圧迫した魯将軍の弩兵は沙軍との相性が良かった、盾を構えて懐に入りその長物を身体で無理やり封じ込み、短い錘で四肢や頭を叩き打ち倒していく。前進を再開した隴山兵も奮戦すれば沙軍の士気は完全に崩れ、武器を投げ捨てて呉水を泳いで帰ろうとし始めて行った。しかし、彼らは対岸にたどり着くことは叶わない、一人の兵の背に璿が放った矢が深々と刺さる、それと共に流矢が彼らを襲った。逃げようとしていた兵たちはその様を見ると、川を渡る事を諦めて隴軍に降った。止蛟石の上で包囲を受けていた兵たちはその苛烈な攻撃を前に早々と将を失っていたため、朝が来る前に全て死ぬか降るかしていた。
夜が明けると、得物と甲を奪われて縛られた捕虜たちが川岸に並べられ、その前に諸将や兵が集っていた。隴国の法では糧秣に憂いがある場合は降虜を坑しても将を罰さないとしてあるが、現状では数千の降虜であれば受け入れるくらいの余裕はある。しかしながら言葉も風習も異なるとなれば工事、開墾そして治水に用いるにしても損の方が大きい。ともすれば結局のところ解放するしかない、そのため弩兵が川岸に並び隴の側へ戻らぬように威嚇する中で彼らを対岸の陣に帰らせた。刀や矛、甲、そして矢を得ることが出来た事は大きいが隴の兵も消耗した、防戦というものは全くもって割に合わない、沙国の侵攻を一度は防ぐことが出来たものの先の事を想えば麗月はこれを憂うしかなかった。翌日になると、沙軍は呉水東岸から陣を撤収して帰り始めたので、麗月をはじめとして多くの将兵が帰路についた。その途上で琳は馬を走らせて璿に改めて礼を言いに行った。璿は「一軍の将として当然の事をしたまでです」と遜るだけでありそんな彼を琳は心の内で強く尊んだ。
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