渡水行

巡隴

秋になると朱麗月は新たに龍衛僕に任じた霍紅珠と二人で同じ馬に乗り隴の各地を巡った。飛との停戦が成り立ち、情勢が落ち着いたことから紅珠が自身の舎人であり正式な隴の官位を持つ人物であることを諸人に示す一方で彼女に隴国各地の風景を見て欲しいと思ったからである。北の方、華山の木々が赤く色づき始めれば麓の盧湖にそれを映し、宛ら豪奢な刺繍が為された牙門旗が立ち並ぶようであった。南の方、隴山は巍巍たる奇岩が立ち並び木々は疎、当に灰色の巨大な鬼たちが肩を寄せ合い立ち並んでいる様であり、岩の間を埋める草木はその髯の様でもあった。隴南の二郡に向かいて以て𢑆海を望めば、水は何ぞ漼漼たるや、澹澹たるや、澤澤たるや。遠くには蛮族の島邪が住むと言われる島々が竦峙し、木々が聚生しその岩肌を隠している。蕭や瑟を奏でるかのように秋風が吹けば、溢れんばかりの波が湧き起こり汀に打ち寄せる。麗月は風光明媚な隴の各地を紅珠と共に回りながら酒を飲んでは詩を詠みその声を彼女に聞かせ、旅館で振舞われる隴の料理たちを彼女に味合わせた。日月が過ぎゆくことは、色めく景色の中に映し出される、そんな麗月からの贈り物を紅珠は素直に楽しんだ。彼女たちが再び鍾陰に戻る頃には田畑を黄色く彩った穂は凡そ刈り取られ、空が澄み渡り、霜が疎らに地を覆うようになってからのことだった。

一方この間、荀令は他国の勢や外交を司る間府に連日の如く駆り出されていた。先日の宴で司馬司間が話題にあげようとした沙羅尼の動向について調べるためである。令は衛晃を討ち取ってからは董は蘭京郡に流されていた、韓の東端の郡で亞水という大河を越えればその先は東胡は亜世羅尉の地である、その亜世羅尉を更に東に進めば沙羅尼と呼ばれる国があるという。希代の武勇と学識を持った令がそのような地に流されていたのは理由がある、彼女の直言癖によるものである。紅王程会とその家臣たちが、幾人かの老いた姿の仙人が描かれた絵画を眺めながら神仙について議論をしていたところにふらりと現れた彼女は「汝王霍安は、老いた姿の仙人たちの宴会に誘われたがこう言って断った、不滅の真理を悟っておらぬようだ、と。これを受けて仙人たちは皆美少年の姿に戻ったため、これを饗したと。少容で美しい妾が神仙を論じるならばまだしも、死すべき者が安んぞこれを解さんや」と道教の研究で知られた皇族の故事を引いて厭味を言った。元より彼女の事を嫌っていた会は大いに怒り、「荀君がもし神仙であると言うのならば、それらしく秘境にいるのが似合っている」と彼女を蘭京郡の役人にした。これ以降令は三国の争いから離れた辺境に身を置くことになった訳だが、元々隠者気質であったためここで多くの文章を記すことになり、彼女のもとには多くの門下生が集ったという。当時、蘭京には東方の商人たちが多く訪れており優れた馬や絹、異国の果物、玻璃の器などが持ち込まれており、令はこうした異国の文化だけでなく、その文字、歴史についても詳細に書き残していた。間府が沙羅尼の侵攻の動向を議論するためには彼女の深い知識と貯め込んでいる書物がどうしても必要であったという訳である。

そろそろ麗月が帰ってくるであろう冬の始めの今日になっても令は間府に呼び出され、司馬一族や隴国間府が誇る英才たちに囲まれていた。この頃になると、希少だった東域に関する書物も多く書き写され、臣下の間に広く行き渡るようになっていたため、皆で議論ができるようになってきていた。「昨年からの情報や、近頃の情勢を鑑みますと、沙羅尼が亜世羅尉に侵攻しはじめたのは一昨年の春頃かそれの少し前くらいとなり、董にまで入り込み始めたのは今年の春ということになりますね」と司馬宮は言った。これに対して諸臣は、余りにも速すぎる、と口を揃えて半ば疑うように言った。「沙羅尼は妾たちが思うより大きい国なのではないのかしら。亜世羅尉はおよそ董と紅を合わせたかそれよりは少し小さいくらいの国で、その地は乾いているものの平坦。一方で沙羅尼は武帝の時代の徐、甘両将軍の遠征の記録を見れば同等の国土の様にも思えるけれど、韓への臣従の態度は孝武皇帝が崩れてから、いえ治世後半ごろには既に失われていて、それから東に領土を広げているようにも交易品の移り変わりを見ていると思えるわ」令が宮の言葉に対してそう言って一つの本を手にする、沙教と題された一冊であった、沙羅尼の民にとっての経書を訳した物である、徐青、甘去病両将軍に滅ぼされた文禰南国の名を取って文禰南子と呼ばれたり、その両将軍の遠征で討ち取られた沙教の開祖であり国王であった文覇魔の名を取って文覇魔子と表記されることも稀にある。徳教や道教とは大きく異なった思想を目にした諸臣は始めは驚いた、徳には統治の道具としての側面もあれど成立から一千年が経った今もなお多くの議論が行われる純粋な哲学としての面が大きい、道もそうである。しかし彼らには沙教は民を統制しその数を増やし侵略するためだけのものに思えた、韓の民には沙教は酷吏が鬼神を騙り民の一挙手一投足を縛り付けるためだけのものに見えた。「荀公、法ですら議論が別れ、法家が誹られることがあるのです、どうしてこのようなものに民が従うのでしょうか。沙教に彼らの強さの源があるとするのは暴論でしょう。例え沙羅尼の史書の隅々にこれに基づいた思想が表れていたとしても、それは史書を記すのが士大夫であるからのこと、それも戦に勝った側の。それよりは紅がまともな抗戦が出来ていなさそうな所を議論するべきでしょう」司馬嘉は令の方を見てそう言った。「妾としては帝への上奏に使えるのではないかと思ってな、紅王は何らかの理由で韓朝に対する救援の要請を行っていない、そのため韓朝による夷狄の討伐の号令が今もなお出されていない。妾は手遅れになる事を恐れている、間府の諸卿は沙教の書の内容を大げさに書いてでも韓朝を動かさせる必要があるわ」と令が嘉の言に応えてそう口にすると諸臣は頷いた。「紅は三国以前の韓の様に王族を公に置いているが、その様に言ってしまえばかつての韓に似ているがその公らの権力は強く、其々の郡で法に差異があるという、王の権力が弱く、それに伴う何らかの問題で沙羅尼の侵攻を防げていないようにも思う」と一人の臣が言うと紅と沙羅尼の戦において後者が優勢である理由と単独で隴が為せる事があるのかの議論に移り変わっていく。

この日、夜遅くまで行われた議論には確かな進展があり、間府では帝に対して夷狄討伐の連合軍結成を号令するよう上奏するための文章の執筆が始まり、また防戦の体制を整えていくことについて諸府の承諾を得るための原案が早速作り始められていた。見立てでは早ければ春に沙羅尼の軍勢が紅との国境である呉水に押し寄せてくる。早急に事を運ばなければ韓が異民族に蹂躙される未来が訪れる、そう思うとさすがの令も暗澹たる色を顔に浮かべてるのを禁じえないのであったが、邸に帰ると麗月が帰ってきていたためいつもの冷たい表情を取り戻し、湯浴みをして麗月と枕を共にした。麗月は令がこれまで見たことの無い様子であったその心の内を慮りそれについて問うたが令は何も答えず眠りについてしまった。

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