宴の後の夜、大いに酔って帰って来た朱麗月と荀令の二人はそのまま寝台に向かった。これを見た霍紅珠はその仲睦まじさに嫉妬の念を抱くが、二人になにも声を掛けなかった。翌日三人で朝食を取っていたところ、令が「妾は久方ぶりに紅龍と暮らしたい」と言い出した。これに対して麗月は「霍君の閨はもう出来ているが瓏華の部屋はない」と言ったため、内心、紅珠はこれを喜んだが、麗月は続けて「だから瓏華は孤の部屋で寝ることになるがいいか?瓏華は時には一人で夜を過ごしたいという思いが積もり孤の許を離れたと思っていたが……」と令の顔を見た。彼女は「そうなったらまた出ていく」と応えたため紅珠の面持ちは暗くなった、隴に来て麗月の邸で過ごす日々を重ねていくうちに彼女を思慕するようになっていたから。それに加え、紅珠が初めて令を見たその時から何かが彼女の心胆を寒からしめた。その日の夜、自分の部屋で寝入っていた紅珠は微かに聞こえる高い声に目を覚ました。その声に誘われるように歩みを進めそして麗月の寝室を遂に覗いてしまう―――彼女たちは肌を露わにして、熱に浮かれたように口を吸い合っていた。二人の黒々とした艶やかな髪から覗く雪の様に皓い肌には玉のような汗が浮かび、それを炎の揺らめきが艶めかしく照らしていた、その様は世に聞こえし汝紅を分かつ延江の二女神の交わりを思い出させた、或いは朝霞から太陽が昇るようでもあり、緑の波間から赤い芙蓉が姿を見せるかのようでもあった。その熱が醒めぬまま、麗月は令の膝にその頭を預けそして令の豊かな乳を吸いはじめた。令はその形のいい麗月の頭を片方の手で撫で、もう片方で太腿や陰部を撫で始めた。麗月の高く細い声は水霊の美しさを讃えた賦をたどたどしく歌う愛らしい少女のようであった、そして、令は恐らく麗月との交わりでしか見せない様な慈母のような優しい表情を浮かべていた。この天女の如き美貌を持つ二人の淫らな交わりはそれを目にした紅珠を悩ませた。韓では男子同士の情愛、そして女人同士の情愛はよく見られるものである。虞書、九国に分かれ覇を争う時代の前の王朝である虞の歴史書には美男破老という言葉が残されており、九国の時代では霍の国の謀臣陸彧は陶の国の王に美男子を送り、王を篭絡させ、賢臣に対する讒言をさせてこれを滅ぼした。隴の公子の岳回による法に基づく統治を説いた書では、寵臣に関する説話が幾つか現れる。韓の皇帝たちにも須らく寵愛した男子がおり、特に武帝は多くの美男子を寵愛し、これらは東の砂漠を駆け胡を討つ名将となったり忠臣として国を支えたが、哀帝は若い美男子を寵愛するあまりこれを高い位に付け、嗣子を遺さず崩じて国が乱れた。女人同士の情愛はこれらに比べれば記録に残っているものは少ないが、王や皇帝の夫人が美女を自らの付き人にして寵愛する例が良く見られ、夫人同士で相睦み合う事があった。例えば、賢女伝では臥起を共にする女人同士が支え合い苦難を乗り越えた記録などがある。また、皇帝の夫人とそれに仕える美しい宮女が愛し合い、聰慧な宮女が醜い権力争いの巻き起こる後宮において夫人に降りかかる災難を払うという内容の忠賢姫故事という小説が書かれるほどである。しかし、その情愛が抉れれば美女の取り合いや、愛が弛んだことに端を発し讒言の応酬となることも間々あり、男色と似たようなものであった。紅珠の母である陰氏も愛幸した宮女が幾人かいた、国が乱れる原因となった費氏も元は陰氏が寵愛した宮女だった、そのためこうした風習を知らない訳ではない、だからこそ彼女は二人の情交に蠱惑されずにはいられなかった。それと同時に、彼女の思慕する麗月が令と仲睦まじい様を見て憂悶するのだった。

それから数日の間、麗月はどこか暗い面持ちの紅珠を多少気遣う素振りを見せたもの、これに対して紅珠は口を開こうとしなかった。戦勝の宴から一週間ほど経ったこの日の朝もそうであり、どこか憂鬱な紅珠を心配しつつも麗月は家を出た。この日、彼女は衛信と会って話をしようと考えていたからだ、いずれ、彼を含め捕虜は条件を付けて飛に返還することになる訳でその時のために少しでも隴に対する親近感を与えておく必要があった。隴の国では罪人には労役が与えられる、これは捕虜も同じである。飛の捕虜は各地に分けて送られて、道の整備や城壁の補修、そして堤の整備などに当たっていた。信は隴の都鍾陰の近郊で道の整備にあたっていたため麗月はこれを訪れた。監督をしていたものの許可をとり、信を少し離れた木陰に連れ出した、城の郊外の田畑の穀物は青々とした中に少しずつ黄金色を交えて来ており月日の流れを感じさせた。麗月は「衛将軍、役務に励んでおるか?」と話しかけると「ええ、宛ら太史仁になった気分です」と答えた。太史仁は瑜の武王の親族かつ股肱で、最も高位の軍人であり続けた人物である。その武功は族弟の太史洪や周忠、そして五将軍に比べると些か地味であるが、忠義を尽くし清廉であった人柄から多くの者に慕われ、方面を都督する将の将たる者として大いに武王に信頼されていた。彼は平時には財貨を惜しみなく貧民に与え、民の治水工事に自ら参加し土を運んでいたと記されており、信はこれを引いてそう言ったのである。「民は飢える事なく田畑で働き、街には活気がある。民は明るい顔で談笑し合っていて、凡そ厳格な法に基づいた統治が行われている国とは思えません」と、彼は遠くに見える鍾陰の城壁に目を遣りながらそう言った。「例えば嘗て孤の友であった田伯直と言う者がいた、紅から汝州を堅く守った田正の事だ。彼は法を厳格に守り名声が高い者でも罪状が確かならこれを罰したため、名士からは悪く言われることもあったが、民からは敬愛され転属の際に彼を追う民が大勢現れて問題になった事もあったな」と麗月は返答した。信は「史書に依れば、開墾や治水が的確で担当した郡を富ませたという面が大きいでしょう」と言い、続けて「厳罰を用いて民を治める事は難しいでしょう、実際にかの涼では道端に灰を捨てると死刑となるとしており、酷吏がこのような軽い罪に対して重い罰が与えられている場合であっても厳格にこれを取り締まった為、民心が離れ、虞に王朝を奪われる事になりました。火は恐ろしく人はこれを避けるため焼け死ぬ者は少ないが、溺れ死ぬものは多い。自然においてはそれは否定しませんが、法が火であるとは思いません」と述べた。また「九国の飛も、宰相諸葛越が軽罪にも重罰を与える法を定めこれを厳守したため、刺客が現れた際、殿上に臣下が寸尺を持って上ることが出来ず飛王は傷を負いました」とも言った。これに対して麗月は「然り、ただそれは些か古い解釈であろう。必罰を澱ませるのは国君の寵愛と権威の凋落のみにあらず。罪に見合わぬ罰で剣が固くなり鞘から抜けぬ事、そして疎で古き法を改めぬ事で法の権威を失墜させる事である」と信の顔を見て、さらにこう続ける、曰く「天地の性として、法とは人の営みを内に宿した人であり、年を重ねて大成するものである。古の法は少なきものであり、時を経て士となる。韓を簒奪した董孟は枝葉まで仔細に記された法を広く布したが、民は混乱しこれを理解できぬまま酷吏に罰される事になり国はすぐに乱れ、僅か十五年で光武帝が韓を再興することになった。この失敗は何によるものか、徳教や道から考えれば理に反した、法の成長を助長しただけで、幼帝に後見をつけなかったようなものであったからであるとするだろう。然れば、隴は何故栄えているのか?」と。信は直ぐに麗月の言わんとするところを掴み「隴は朱公が公となる前から州牧霍承が学問を奨励していました、これを朱公は民にまで広げたからでしょう。しかし、一代で為せる事業ではないのでしょう、つまり少しずつ民と法を育てていると」と言った。「法を年に一度改めれば、そのたびに文字を書き写せる者が多く必要となり、才子を育むための土壌が要る。隴は狭いからこそ、統治が行き渡り、法の支配が成り立っているという面があるわけだ、小鮮を多く烹る必要はないのだから」と麗月は言い、それから続けて「衛将軍は飛国の宝よのう、将軍だからといって兵家以外の学問を疎かにしていない、将軍には阿信の時代が無かったのかのようだ」と笑った。三国の紅には杜亮という名将がいた、彼はもともと寒門の出で学を修めておらず武勇のみで成り上がった将であったが、程会に諭され学問に励み知勇兼備の将となり、都督となってからは衛晃を討つなど大功があった人物である。もともと彼を蔑んでいた名士たちが努力の末に多くの学問を修めた彼と問答した際にその叡智に溢れた言説を「阿亮に非ずや!」と驚き讃えたという。その故事を引いたその賞賛を信は素直に喜べず、才識と武勇だけでなく、度量もあるようにも映る麗月が史書でその人格に疑問を持たれるのも無理はないと得心した。「それにしても何故、公孫丞相は霍君をあれほどまで恐れるのだ?王の乱で逃れた公主が桓王や文王になるとは思えぬだろう」と麗月は複雑な表情を浮かべている信に、太子の地位を巡り自らに危機が及んだため亡命したが後に帰国し王となった九国の時代の二人の名を挙げて問うた。「朱公の仰ることは良くわかります、ただ民の声に耳を貸さず戸を閉めきっていたことを良く思わない者もまた多いのです」と信は言う、その声は暗に遠征が不本意であると言っているようでもあった。「費氏との事を思えば、讒言を受けて戸を固く閉じ引きこもった霍の管備のようでもあるな。霍君には迅速に事態を察知する聡明さがあれど、災いを免れる英知が幼さゆえに備わっていなかった、その愚直さが愛らしくもあり、時に恵まれぬことを思えば哀しくもある」と麗月は俯いた。その後も二人は暫く談笑を続けた後、麗月は此処を去った。

それから二週間ほどたった後に朝廷から詔勅が届いた、曰く「公孫封を飛公とする。またこの干戈を速やかに収めるように」と。隴飛両国はこれを受け容れ、また衛信と捕虜は銅、鉄そして矢と引き換えに飛へと送還された、糧秣を要求しなかったのは麗月の優しさでもなく甘さでもなく、飛国が早々に乱を治めて平穏を取り戻し戦の事を忘れるようにという計らいであった。また麗月はこれと共に公孫公に衛信の武を褒める親書を送った、彼女は自身の手紙に含まれる毒気の危うさを理解していない訳ではないので臣下に何度も手直しをさせながらそれを認めた。二国の戦が終わると、麗月は紅珠に龍衛僕という隴公の御者としての官位を与えた。紅珠はこれを喜んだ、形式上光禄勲である荀令を車に乗せなければならない事もあるが、彼女は出不精であり邸の外にはあまり出たがらなかった。そのため麗月が出かける際に同じ馬に二人で乗ることが彼女の仕事となる訳だから、背に麗月があるうちは令の事を忘れられるため彼女はこの職務に喜んで励んだ。また官位に就いたからには正式に黒龍衛に混じり鍛錬に励むようになり、学問にも勤しむようになった。何週経っても出て行かず、来た時と変わらず麗月と臥起を共にする令の事を想えば苦しくなる事もあるが、そのような重たい念が心の内にある生にも次第に慣れていくのであった。

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