【短篇】王女に無能だと蔑まれた召使いは、実は最強の万能召使い ~わがままな王女は見限って、優しい第二王女と旅をします

波瀾 紡

短編:王女に無能だと蔑まれた召使いは、実は最強の万能召使い

「アストラーっ! アストラはどこーっ!?」


 ローズ王女が外出先から居城に帰って来られた。

 召使いである俺の名前を呼んでいる。

 すぐに王女の元に走った。


「王女様。アストラはここに」


「何をぐずぐずしてるの? 私が帰ってきたら、ちゃんとお出迎えをしなきゃだめでしょっ!」


「はい、申し訳ございません」


 わが国の絶対権力者、フラワー王家。

 その王女であり、王位継承第一順位のローズ・フラワー王女の言うことは絶対である。


 しかしそうは言われても、俺には王女から仰せつかった仕事が山ほどある。

 掃除、料理、裁縫など家事全般。

 ローズ王女の好みの料理を作るために、動物の狩りと植物の採取。


 あげくの果てには王女の誘拐や暗殺を狙う不届き者を警戒し、未然に捕らえ、撃退するボディーガード仕事まで。

 ただしこれは隠密行動なので、王宮の誰も知らないことだが。


 王女が気づいていること、気づいていないことを含め、俺には膨大な量の仕事がある。

 俺以外にも暇そうな召使いが山ほどいるのだから、その者にも頼めばいいのに。


 事実、今も王女のご帰城を何人もの召使いが出迎え、周りで俺と王女のやり取りを見ている。


「私が外から帰ってきたら、まずは何をするの!?」


 ローズ王女はそう言いながら、煌びやかな彫刻に彩られた椅子に腰をかけ、両手両足を俺の方に伸ばした。


「はい、王女様」


 俺は適度な温度のお湯で湿らせた布を取り出し、王女の両手、そして靴を脱いだ足先までを清めて差し上げる。


 熱すぎず、冷たすぎず。

 この布は、王女が最も好む温度に調整してあるのだ。


「あふ……」


 王女は気持ち良さそうに恍惚の表情を浮かべ、俺が王女の手足を拭くのに任せている。


「終わりました、王女様」


「えっ……? もう……終わり?」


「はい、王女様」


 王女は惚けたような顔をしていたが、急にきゅっと表情を引き締めて立ち上がった。


「アストラ。醜くて無能なあなただけど、私はそんなあなたを見限りもせずに、飼い続けてあげているのよ。それはわかってるわね?」


 ローズ王女は、いつも俺のことを醜くて無能だとさげすむ。

 確かに王女はとても整った顔をしていてかなりの美人だ。


 しかし唇を歪めて人を見下すような目つきは、どうしても美しいとは言い難い。

 本当の美しさとは、見た目が整っていることだけではないはずだ。


 ──なんて俺は思っているけど、自分がイケメンでないことは確かなので、言い返すことなんかできない。


「はい、王女様。重々承知しております」


「わかってるなら、次はもっと早く私の前に現われることね」


 俺はいつも多忙だが。

 だけど王女に呼ばれれば、いつも1分以内には目の前に姿を現している。

 それでもご不満と仰るのか──この我がまま王女様は。


「はい、申し訳ございません。次からは気をつけます」


 俺が腰を折って王女に詫びをすると、周りにいた他の召使達が口々に俺に言葉を飛ばしてきた。


「そうだぞアストラ! 醜くて無能なお前が、慈悲深い王女様のおかげで王宮にいられるんだ。もっと感謝して働け!」


「お前みたいなブ男は、ホントなら王女様に接見することすら許されないんだ! ああ、なんとローズ王女はお優しいんだ!」


 いちいち醜いだとかブ男だとか言わないでほしい。

 その度にへこむじゃないか。


 王女の両親、つまり国王と王妃も、超イケメンと美女のカップルだ。

 そのせいなのか、この国では見た目の美醜がとても重視される。


 もちろんそれがすべてではないにしても、この国では美醜により人の評価が大きく変わることは確かだ。


 事実、国王や王妃、王女の回りはイケメンと美女だけで固められている。

 イケメンではない俺が、本来ならば王女様に接見すら許されないというのも、決して大げさな話ではないのだ。


 だからイケメンでもない俺が、なぜ王女直轄の召使いでいるのか、それは俺も不思議に思ってはいる。


 ただ……俺自身はイケメンではないことは確かだが、そんなに醜いとも思っていない。

 けれどローズ王女は、昔から俺のことを醜いと言って、いつも蔑んでこられた。


 王女はそれを周りの者達にも言いふらし、他のみんなにも『醜い無能なアストラ』と呼ぶように強要しているのだ。


 俺は周りの者達の中傷は聞こえないふりをして、その場を立ち去った。






「失礼します、マトリカ様。お食事をお持ちしました」


 ローズ王女の妹、マトリカの部屋に夕食を運ぶと、彼女はみすぼらしいベッドに身体を横たえていた。

 

 マトリカは「よいしょ」とかわいい声を出して起き上がる。

 彼女はローズ王女の腹違いの妹。


 幼い頃は結構可愛かったし、土台はかなりの美人のような気がするが、やせこけていてみる影もない。

 美しかった銀色の髪も、今は輝きを失いボサボサだ。

 その姿を、ローズ王女はいつもブサイクな女と蔑んで呼ぶのだ。


「マトリカ様。お体の具合はいかがですか?」


「ありがとうアストラ。いつもどおりですよ」


 マトリカは王の娘であるにも関わらず、王宮の中でもローズ王女とは明らかに差別的に扱われてきた。


 王の実子である以上、第二王女のはずだが、世間にはそういう公表はされていない。


 彼女があてがわれた部屋は、光が差し込まない地下の、みすぼらしい部屋。

 普段はほとんど表に出してもらえず、部屋にこもるようにさせられている。


 食事も質素で栄養価の低いものを、メニュー素材として指定されている。


 はっきりと公言はされていないが、マトリカの母はどうやら娼婦らしいという噂を耳にしたことがある。

 実母は既に亡くなっていて、ローズ王女の母である王妃は、マトリカを城から追い出すように国王に迫ったという。


 しかし追い出すには忍びないと思った王はマトリカを城に置くことにした。

 王妃はそれを認める交換条件として、マトリカには粗末な待遇をするように求めたらしい。


 まああくまで、王宮の者たちが口にする噂話ではあるが。


「少しでも栄養が付くように、栄養価の高い食材を工夫してみました」


 マトリカの食事は王から素材や量を指定されている。

 だから大したことはできないが、少しでもと思いながら工夫している。


 しかしなかなかマトリカは健康にならない。

 光が当たらない部屋で一日のほとんどを過ごしていることもあるのだろう。


「美味しい……」


 スープを口にしたマトリカは、噛み締めるように言った。


「アストラはホントに料理が上手ですね」


「いえいえマトリカ様。僕の料理なんて、いつもローズ王女には下手くそだと、けちょんけちょんに言われてます」


 俺が苦笑いを向けると、マトリカはふふっと笑みをこぼした。


「ローズはきっと味がわからないのでしょうね。アストラは料理だけでなくて、掃除も裁縫も早くて上手だし、ホントに優秀な召使いさんだわ」


 あれもこれも、ローズ王女には下手くその能無しだと言われてる。

 俺を気遣ってくれるマトリカは、なんて優しいんだろう。


「それに……」


「それに?」


「アストラって可愛い顔をしてるし、見てると癒されます」


「えっ……?」


 みんなから醜いと言われてる見た目を褒められるのは、さすがに照れる。


「あら、ごめんなさい。私ったら……恥ずかしい」


 マトリカは頬を赤らめて、もじもじしてる。

 そんな姿を見てると、俺も恥ずかしくて仕方がない。


「あ、あ、あ……また何かあったら、いつでも声をかけてくださいね!」


「あっ、ちょっと待ってくださいアストラ」


 慌てて部屋を出ようとした俺を、マトリカが呼び止める。


「アストラのおかげで、私は毎日生きていけるって思ってます。だからコレ。感謝の気持ち……」


 マトリカは布で編んだ手首飾りを、俺の手首に巻いてくれた。

 痩せた白いマトリカの手が印象的だ。

 俺の安全と幸福を祈って作ってくれた御守りらしい。


「私の名前によく似た、マトリカリアって花を織り込んであるのです」


 マトリカリアという花は小さくて、花束を作るときも決して主役にはならない。

 脇役の花ってことで、マトリカはまるで自分のようだと言いながら微笑んだ。


 俺はなんと返したらいいかわからなくて、笑顔だけ返してマトリカの部屋を出た。





 ──翌日。


「アストラーっ! アストラはどこーっ!? すぐに来なさいっ!!」


 ローズ王女が俺の名前を呼んでいる。

 すぐに王女の元に走った。


 ローズ王女は広間にいた。

 大勢の召使いや、なぜか数人の衛兵までいる。


 そしてローズ王女の目の前には、ガタイのでかい鎧姿の二人の衛兵に、両脇をつかまれたマトリカがいた。

 ローズ王女はマトリカを、汚いものを見るような目で睨んでいる。


「マトリカ様っ! どうされたのですか!?」


 マトリカは助けを請うような、泣きそうな顔で俺を見た。

 いったい何が起きたのか?

 まったく訳がわからない。


「マトリカは、私の召使いを誘惑しようとした罪で、厳罰に処することにしました」


「えっ……?」


「アストラ。あなたのあるじは誰?」


「それは……もちろんローズ王女様でございます」


「そうよね。あなたは私の召使い。その、王女の召使いであるアストラを、このマトリカは誘惑しようとした。王女の従者を横から奪おうとするなんて、厳罰に値する罪よね?」


 顔を歪めてマトリカを睨むローズに、マトリカは顔をふるふると振った。


「待ってくださいローズお姉さま……」


「マトリカっ!! あなたみたいなブサイクな女に、お姉さまと呼ばれる筋合いはないわっ!! あなたはいったいどこまで勘違いをしているの!? だから平気で私の召使いに手を出すのねっ!?」


「あ、いえ、ローズ様。私はアストラを誘惑なんて、していません」


「そうです、ローズ様。僕はマトリカ様に、誘惑なんてされていません」


 ローズ王女は、いったい何を勘違いしているんだよ?


「とぼけるのはやめさない、マトリカっ! あなたはアストラに手首飾りを贈って、誘惑したでしょっ!」


 ──あ。


 ローズ王女は俺の手首を指差している。


「あ、あれは……誘惑なんかじゃありません。アストラの幸運を祈ったもので……」


「白々しい言い訳はよしなさいマトリカ。マトリカリアの花言葉は、『集う喜び』『忍耐』……そして『恋路』『深い愛情』。あなたが王女である私の従者を、誘惑しようとしたことは明白だわっ! やはりマトリカは厳罰に処します!!」


 なんて無茶な!

 たかが手首飾りをひとつプレゼントしただけで、厳罰だなんて!!

 狂ってる!!


「ちょっと待ってください、王女様! それは勘違いです! マトリカ様は、誘惑なんてしていません!!」


「言い訳は無用よアストラ。マトリカの部屋で、マトリカがあなたに手首飾りを渡すのを見ていた者がいるの。その者は、マトリカがあなたを誘惑していたと、はっきりと証言してるのよ」


 はぁっ!?

 そんな事実はない!


「誰だっ、そんなことを言ったのは!? 事実と違うことを言うなっ!」


 俺は思わず興奮して、周りの者を見回しながら叫んだ。

 そうすると誰彼なく、ひそひそと話す声が聞こえる。


「おいおい、無能で醜いアストラが、あんな偉そうに言ってるぞ」


「なんだアイツ。ローズ様に飼い続けてもらってるからって、勘違いしてるんじゃないのか?」


「あんな無能で醜いやつ、早くクビになればいいのに」


 ──そうか。そうなのか。


 今まで気がつかなかった俺がバカだった。

 周りの人たちは、俺をそんなふうに見ていたんだ。


 ローズ王女が言うから、それに従って俺に無能だの醜いだのと言っているのかと思っていた。

 しかしコイツらは、実際に俺のことをそう思ってたんだな。


 それどころか、いつまでもクビにならない俺を見て、逆に苦々しく思っていたということか。


 確かにコイツらもみんな、イケメンと美女ばっかりだ。

 だからと言って、同じ召使いや従者仲間から、そんなことを言われる筋合いはない。


 ローズ王女の仕事は、俺が一番なんでもかんでも背負ってやってきたという自負はあるんだ。


「わかりました。結構です、ローズ王女。僕をクビにしてください。その代わりマトリカ様に罰を与えるのは許してください」


「あらアストラ。召使い風情のあなたが、何を勘違いしてるのかしら? 罰を与えるかどうかを決めるのは私よ。それにあなたをクビになんかしない。あなたは一生、この私に奉仕し続けるのよ! いいわね!」


 ローズ王女はニヤニヤと笑いながらそう言った。


 ──なんなんだ?


 無能だ、醜いだと、そんなに俺が気に入らないなら、さっさとクビにすればいいのに。

 そうすれば周りのヤツらも納得するのに。


「お待ちくださいませ、王女様っ!」


「いいえ、待ちませんわアストラ。ほらっ、衛兵たち! 早くマトリカを留置場に連れて行きなさい!」


「はいっ、かしこまりました王女様!!」


 衛兵達がマトリカの腕を引いて、部屋から出ようとしている。

 まずい!


「身体の弱いマトリカ様が留置場なんかに入ったら、死んでしまうかもしれません! おやめくださいローズ様っっ!」


「ふぅーん……マトリカが死んだところで、私は何も困らないけど? ふふふ」


 ローズ王女は冷たく笑った。

 確かに美しい顔だが。

 まるで氷で作られた人形のように冷たい。


 王女には何を言っても無駄だ。

 そしてこのままだと、あの優しいマトリカが死んでしまうかもしれない。


 俺の中で──何かがプチっと切れたような音がした。




「くっそぉぉぉぉーっっ! させるかぁぁぁぁぁっ!」


 俺はマトリカに向かって、猛然と駆け出していた。

 マトリカを拘束しているガタイのでかい衛兵二人が、俺の方を冷静な目で見る。


 ──召使いごときが、かかってきて何をするつもりだ?

 そんな見下した目だ。


「アストラ……バカなことはやめなさいっ! 衛兵! アストラを捕まえるのよっっ!」


「「ははぁっ、王女様っ!」」


 鎧姿の衛兵は、一人がマトリカを捕まえたまま、もう一人が手にした剣を俺に向けて振りかぶった。


 ──そんな遅い動きで、俺を倒せはしない。


 俺は今まで、あらゆる敵からローズ王女を守るために、常に鍛えてきた。

 そして実際にこの城に攻め込んできた刺客、盗賊、魔物。

 そのすべてから王女を守ってきたのだ。


 俺は衛兵が剣を振り下ろすよりも早く、彼の喉に肘打ちをかました。

 鎧を被った相手を効率よく気絶させるのは、これが一番だ。


 衛兵は「がふっ……」と息を吐いて、そのままぶっ倒れる。

 マトリカ様の腕をつかんでいる衛兵は、その様子を目を丸くして見ている。


 俺はソイツも素早く喉に手刀を入れた。

 一撃で衛兵は倒れる。


 そして俺はマトリカの手首をつかんだ。


「逃げましょう、マトリカ様」


「は……はい」


 マトリカは驚いた顔をしたまま、でも確かにこくんとうなずいた。

 俺とマトリカは広間の扉から飛び出て、廊下を走り続ける。


「皆のものっ!! 追えっ!! 追うのよぉぉぉぉーっっっ!」


 後ろの方でローズ王女の金切り声が聞こえる。

 俺のかつてのあるじ

 でももう何の未練もない。


 廊下を走っていると、すぐにマトリカは息が切れて、苦しそうにしだした。

 身体が弱いマトリカに無理をさせるわけにはいかない。


「マトリカ様、失礼いたします」


「ひぇっ……あ、ちょっと、アストラ?」


 俺はマトリカを、いわゆるお姫様抱っこにして、走り出した。

 マトリカ様の身体は、がりがりに痩せて軽い。

 これくらいなら、まったく問題はない。


 マトリカも恥ずかしそうではあるが、俺に身を委ねてくれている。

 俺は廊下から城の外に出て、そのまま疾走し続けた。




<王女側視点>

◆◇◆◇◆


「ローズ王女様! ご報告いたします。マトリカ様とアストラを取り逃がしてしまいました! 申し訳ございません!」


 新たに駆けつけた衛兵が、王女の前にひざまづいて報告をした。

 ローズ王女は苦虫を噛み潰したような顔で、冷酷な声を上げる。


「ほんっとにあなた達は能無しねっ! もっと兵を多く出して、町中をしらみつぶしに探しなさい! マトリカは身体が弱い。そう遠くまで逃げられないはずよ」


 衛兵達が「ははぁっ」と答えて部屋を出るのを眺めた召使いたちが、ローズ王女に語りかける。


「王女様。アストラなど、もう探さなくとも良いではないですか」


「そうですよ王女様。あんな醜くて無能な男、必要ありません」


「そうですそうです! 私たちイケメンの召使いが、今後は王女様の一番お近くでお世話を……」


「うるさい、おまえ達っ!! じゃあ今から、昼食の肉をお前たちが狩って来なさい! 大イノシシが食べたいわっ! お昼に間に合わせるには30分以内にね!」


「えっ? 大イノシシですか……召使いの我々では、とても無理でございます。じゃあ剣士を呼んで、狩らせましょう……」


「今から剣士を呼び寄せて、30分以内で狩れるのかしら?」


「あ、いえ……不可能でございます」


「ふんっ! 偉そうなことを言うんじゃないわよ! お前たちは言われたとおり、ブサイク女とアストラを探しなさいっ!」


「ははっ! 仰せのままに……」


 ローズ王女は「アストラなら大イノシシくらいすぐに狩ってくるのに……」とぶつぶつと呟きながら、召使い達が慌しく広間から出て行く姿を苦々しげに眺めていた。





<アストラ視点>

◆◇◆◇◆


 城から逃げ出したものの、さて、どこに行くか?

 身体が弱いマトリカを伴っては、王都の外に出るわけにもいかない。


 魔物にも遭遇するだろうし、長旅に耐え切れる気がしない。

 かと言って、この王都では、至る所に王の情報網が張り巡らされている。


 迂闊に宿にでも泊まろうものなら、すぐにローズ王女に居所をつかまれてしまう。


「うーむ……やはり、あそこしかないか」


「アストラ? あそことはどこですか?」


 マトリカは俺の横で、見上げるようにして小首を傾げる。


「ああ、えっと……フォルバック街というところなのですが……」


「フォルバック街……ですか?」


「ええ。いわゆるスラム街です。あそこなら王都の者もおいそれとは入って来れない。憲兵が聞き込み調査をしても、まともに答えるやつなんかいない。だからとりあえずあそこに行って、マトリカ様の体力が回復するまで数日過ごしたいのです」


「ええ、わかりました。そうしましょう、アストラ」


 マトリカはまったく臆するふうもない。

 もしかしたらスラム街という言葉も知らないのかもしれない。

 王宮に長年閉じこもっていた、お嬢様だからなぁ。


「あのうマトリカ様。スラム街というのはですね……」


「アストラ。それくらい知っていますよ。治安の悪い場所で、盗賊やギャングの巣もあるのですよね?」


 ──えっ?


 驚きだ。マトリカはちゃんとわかっている。

 それでいて、怖くないのだろうか?


「怖くないのですか、マトリカ様?」


「ええ、もちろん怖いですよ。それでなくとも、知らない体験をするというのは、怖いものです」


「じゃあなぜ、そんなにあっけらかんとなさっているのですか?」


「アストラが一緒だからですよ。それにアストラが提案したことだからです。アストラが居れば、私は安心していて……いいのですよね?」


「あ、はい! も、もちろんですとも! 僕が必ずマトリカ様をお守りします!!」


「ホントにごめんなさいね、アストラ。すべて頼りっきりで……ありがとう」


「あ、いえ。大丈夫です」


 今までローズ王女も、ずっと俺に頼りっきりだった。

 俺はそれも自分の使命だと思って、精一杯尽くしてきた。


 だけど王女に尽くすことで、正直言って喜びを感じたことはない。

 だけど今、マトリカに尽くすことに、なぜか俺はもの凄く喜びを感じる。


 この優しくて、はかなげな人を守りたい。

 この人が自由を手に入れることに、力になりたい。


 マトリカの優しい微笑を見て、俺は心からそう思った。




◆◇◆◇◆


 俺とマトリカは、フォルバック街に足を踏み入れた。

 ごみが散乱した裏通り。荒れたレンガの道路。

 酸いにおいが、つんと鼻を突く。


 その通りの両端には、酔っているのか死んでいるのか。

 うつむいてうずくまった人が何人もいる。


 そこを歩く、召使い姿の男と、白いワンピースの女。

 誰がどう見たってよそ者だし、目立って仕方がない。


 早く、身を寄せることができる場所を探さなければ危険だ。


 一つだけ、行くあてがある。

 幼い頃の知り合いが、この町で酒場を経営していると聞いたことがある。


 俺は孤児で、幼い頃に縁があって王宮で執事をしているおじいさんの養子になった。

 そのおかげで子供の頃から王宮で育ち、やがて召使いとして登用されたのだが。


 孤児院時代に一緒にいた男が、ここで酒場を経営しているというのだ。

 町に買い物に出たときに偶然何度か出会い、そんな会話を交わした。

 確か、このメインの通りをずっと進んだところの突き当たりに店があると言っていた。


 俺はマトリカの手を引いて、通りを真っ直ぐに歩いて進んだ。





「なぁ兄ちゃん」


 案の定、ガラの悪いヤツらに声をかけられた。

 傷だらけのスキンヘッドで大柄なヤツがリーダーっぽい。

 他に、いやらしいニヤニヤ笑顔を浮かべた男が二人。合計3人か。


「すみません。急いでるんで……」


「そうかよ。別にいいぜ。お前の服や荷物、身包みぐるみ置いて行くならな。それともちろん、その女も置いていけ」


「いや、それはできません。このまま失礼します」


「はぁぁっ!? なめとんのか、お前? じゃあ力ずくで奪ってやる」


 三人とも、ジャックナイフを取り出した。


 ──うーん……

 話し合いで解決してくれそうにないな。

 あんまり目立つことはしたくないけど仕方がない。


「あの……力ずくで相手を脅すとか、暴力振るうとか、よくないと思いませんか?」


「けっ!! てめぇ、バカかっ!? 弱いヤツは泣きを見る。ここではそれが流儀なんだよっ!」


「なるほどなるほど。それを聞いて安心しました。ここでは強いものが、弱い者を蹂躙してもいいんですね?」


「はぁっ? 何を偉そうに。お前、自分の立場がわかっ……ぷぎゃっ!」


 スキンヘッドの大男が言い終わらないうちに、顔面にストレートパンチを打ち込んだ。

 大男は仰向けにぶっ倒れる。


 その流れで横にいた二人の腹に、連続でキックを見舞う。

 二人ははるか後方へ、吹っ飛んで倒れた。


 三人とも、うめき声を上げて、立ち上がれない。


「さあ、行きましょう、マトリカ様」


「は、はい。でも、ホントにごめんなさいねアストラ。私のせいで、こんな苦労をかけて……」


「いえいえ。私はマトリカ様に感謝しております。マトリカ様のおかげで、目が覚めました。王宮は、やはり私が居るべき場所ではなかったのです」


「そうですか……アストラは優しいですね。私に気を遣わせないように、そのように言ってくれるなんて」


 ──いやいや。

 本当に優しいのは、マトリカ様、あなたですよ。


 そう言いたかったけど、なんだか恥ずかしかった。

 だから俺は黙ったまま、マトリカの手を引いて、通りを真っ直ぐ歩きだした。





 通りを突き当りまで来ると、聞いていたとおりに酒場があった。

 木製の扉を押して、中に入る。


 昼間だというのに、大勢の客が酒を酌み交わしていた。


 カウンターの向こうに立つ、髭面の男が視線を寄越した。


「おおっ、アストラ! 久しぶりじゃないか!」


「久しぶりだな、ジャック」


「どうした? お嬢さん連れで、こんな所に来るなんて……」


「ああ、詳しい事情は言えない。だけどしばらく、ここに置いてもらえないか?」


「ああ、いいぜ」


 ジャックは、ここは事情なんか言えない者だらけだと言った。

 そしてしばらく、寝泊りさせてくれると快諾してくれた。


「その代わり、二人とも店を手伝ってくれ。アストラは召使いをしてたんだから、料理はお手の物だろ?」


「ああ、問題ない」


「お嬢ちゃんはウエイトレスな」


「はい、喜んで」


 マトリカは笑顔で即答した。

 曲がりなりにも王家の次女に、ウエイトレスをさせる?


 それはマズいだろと思うが、ジャックにマトリカの素性は言えない。


「ほ、ホントにいいのですか、マトリカ様……」


 俺が小声で尋ねると、マトリカは笑顔を浮かべ、小声で答える。


「もちろんです。私のためにこうしているのです。なんでもやりますよ。それにアストラ……」


「えっ?」


「ここではマトリカと、呼び捨てにしてください。様付けで呼んだら、いったいどこの誰かと思われるでしょ?」


 そりゃそうだ。

 そりゃそうなんだが……


 第二王女様を呼び捨てにするなんて、畏れ多すぎて、ハードル高いっ!


「ほらアストラ、練習よ。言ってみて。マ・ト・リ・カ」


「ま、ま、マト……リカ……」


「はい、よくできました」


 マトリカは肩をすくめて、クスッと笑った。

 彼女の方が2つ年下なのに、なんだか俺が子供扱いされてるみたいだ。





「さあ、この部屋だ」


 ジャックは酒場の二階にある部屋に案内してくれた。

 その部屋には、大きなベッドが一つだけ置いてある。


「あの、ジャック。もうひと部屋あるよな?」


「いいや。宿屋じゃねえんだぜ。空き部屋はここ一つしか無ぇよ」


「じゃ、じゃあベッドは? もう一つないか?」


「無ぇよ! 贅沢言うなよアストラ!」


 ──いや、贅沢と言うか。


 第二王女様と一つのベッドで寝る?

 いやいや、あり得ないでしょ。


「まあまあ、いいじゃないですかアストラ。無理は言うものではないですよ」


「おいおい、アストラ。もう嫁の尻に敷かれてるのか?」


「いや、ジャック。この人は嫁さんでもなければ彼女でもない」


「え? ……そうなのか?」


「そうだ」


 ジャックはきょとんとしている。

 マトリカは何も言わずに、静かに微笑んでいるだけ。


「なるほど。じゃあ一つベッドってわけにゃあいかんな。でもスマンな。他にベッドも部屋もないのはホントだ。そこのソファで一人は寝てくれ」


 部屋の隅に小さなソファがある。

 仕方ないな。

 あそこに俺が寝るしかないか。


 ジャックは他にも、娘さんの服やら自分の服を、マトリカと俺のために用意してくれた。

 ホントに至れり尽くせりとはこのことだ。

 ジャックの優しさに、俺は大きく頭を下げてお礼を言った。



 ジャックの好意に応えるためにも、俺とマトリカはすぐに酒場に下りていって、手伝いを始めた。


 俺はさておき、マトリカにはしばらく休憩していてくださいと申し上げたのだが……

 第二王女は「私だけ休むなんて許されません」と、一緒に酒場へと付いてきた。


 身体が弱いのに、この責任感。

 ホントにローズ王女に、マトリカの爪の垢を煎じて飲ませたい。



「おおっ、さすがだなアストラ! 助かるよ!」


 俺は料理の手伝いに、配膳に、精力的に動き回った。

 大量の料理を同時に運ぶと、ジャックもお客も、目を丸くして驚いている。


 しかし不慣れなマトリカは、さすがにそんなわけにはいかない。

 注文を取り間違えたり、あたふたした姿を見せたり……


 しかしその優しく、儚げな雰囲気が良かったのだろうか。

 荒い気性の客も多い中で、特にトラブルになることもなく、マトリカもウエイトレスの仕事を全うしている。




 ──そんな生活が、2週間ほど続いた。


 マトリカも仕事にすっかり慣れ、ミスもなく、テキパキとウエイトレスをこなすようになった。


 しかしその変化よりも、驚くべきことには──

 毎日しっかりと食事を摂り、精力的に仕事をこなすことで、マトリカはみるみるうちに健康を取り戻していった。


 肌は艶々とし。

 銀色の髪はさらさらと、美しい輝きを放ち。


 そして何より──

 血色が良くなり、ふっくらと健康的になったその顔は、とてつもなく美しい。


 ジャックの酒場には、日に日に、マトリカ見たさに訪れる客が増えていく。


 初めてマトリカを見た客は、呆然とした表情で呟いた。


「天使様が……舞い降りてこられたよ……」


 それほど、確かにマトリカは美しい。

 ローズ王女もかなり美しいが、マトリカの前ではきっとそれも色あせる。


 まさに、花の女王の『ローズ』よりも、脇役の花『マトリカリア』の方が、美しい輝きを放つ。

 そんな日が、とうとうやってきたのだ。





「世話になったな、ジャック」


 俺とマトリカは、ここに来た時の服装を着て、店の中でジャックと向かい合っていた。


「おいアストラ。ホントにもう、行ってしまうのか?」


「ああ。マトリカも、もうすっかり元気になった。これなら長旅にも耐えられる」


 俺とマトリカは話し合って、この街を出ることに決めた。

 それをジャックに伝えると、彼は大層寂しそうな顔をした。


「まあ、ここはスラム街だ。若くて綺麗なお嬢ちゃんが、ずっと暮らしていくような場所じゃねえ。しかたねぇな」


「ああ。そうだな」


 俺はあえて多くを語らない。

 このスラム街に居ては、マトリカは自由な日常を過ごせない。

 ずっと俺が近くにいないと、危険だからだ。


 だから俺たちは王都を出て、王宮の目が届かない、できるだけ遠くの町に行く。

 マトリカの本当の自由を手に入れるために。


「じゃあ行くよ」


「ああ元気でな、アストラ」


「本当にお世話になりました、ジャックさん。ありがとうございます」


「ああ、マトリカも元気でな。たまには遊びに来いよ」


「ええ、もちろん……」


 マトリカは社交辞令でそう答えたが、王都にはもう二度と戻ってくることはないだろう。

 ローズ王女のお膝元に足を踏み入れるのは、マトリカにとっては危険すぎる。


 俺とマトリカが酒場から出ようとした、その時。

 突然店の扉を開けて、鋭い眼光の男が入ってきた。


 背はそんなに高くはないが、体中から溢れる殺気は相当なものだ。

 誰だ?


「あっ……グリッグさん。どうされました?」


 ジャックがグリッグと呼んだその男は、俺とマトリカに鋭い視線を向ける。

 ジャックは、あれはこの町一番のギャングのボスだと教えてくれた。

 黒魔法の使い手で、かなり強いらしい。


「お前らか。俺様の大事な子分を傷つけたのは? やっと見つけたぜ」


 ──ん? なんの話だ。


「えっと……あ、あれか? スキンヘッドの男と二人組のチンピラ?」


「やっぱりお前かぁぁぁぁぁっ! ぶっ殺してやるっっっ!」


「ちょいちょいちょいっ! グリッグさん! やめてくれよ! 店の中だぜーっ!」


「そんなこと、知るかっ! こいつをぶっ殺すっ!!」


 グリッグは身体中に力を入れ、何やらブツブツと呪文を唱えている。

 ヤバいな……攻撃魔法か。


 どういう系の魔法で来るのかわからないが、ここは店の中だ。

 跳ね返したとしても、他の客や店に損害を与える。


「すまん、ジャック!」


 俺はそう言って、外に面した壁の窓に頭から飛び込んだ。

 ガラスが割れて飛び散る。


 店のガラスを割るのは申し訳ないが、魔法で店内がぼろぼろになるよりかはマシだろう。


 窓から外の道路に飛び出た俺は、店の出入り口に目をやる。

 案の定、ギャングのボスは扉から飛び出してきた。


「あの……グリッグさんとやら。話し合いをしませんか?」


 しかしグリッグは何も答えず、また魔法の呪文を唱えている。


「あの……あなたの考えも、強者は弱者を蹂躙していい……ですか?」


 相変わらずグリッグは何も答えないが、俺の目を見てニヤリと口角を上げた。

 どうやら、イエスということらしい。


「わかりました」


 俺はそう答えて、身構える。


「はぁっっっ!」


 グリッグは突然叫んで、両手を俺の方に突き出した。

 手のひらから激しい炎の柱が飛び出す。

 しかもかなり勢いが強い。

 上級クラスの火炎魔法か!


 俺は両手を前に出して、防御シールド魔法を発動した。

 グリッグの火炎はかなり激しいが、それを苦もなく跳ね返す。


 グリッグは驚いた表情を浮かべている。


 こんな召使いの格好をした男が、まさかそんな強力なシールド魔法を使えるなんて。


 その表情は、そう言ってるようだった。


「さあ、グリッグさん。こっちから攻撃してもよろしいですかな?」


 目には目を、歯には歯を。

 火炎魔法には火炎魔法を、だ。


 俺は無詠唱で魔法を発動できるが、何をしようとしているのかを相手に伝えるために、あえて最上級火炎魔法の名称を口にする。


「エクストラ・ファイアーっ!!」


 俺の手のひらに、巨大な炎の塊が出現する。

 それを見たグリッグは、慌てた顔になって両手を振ってきた。


「ちょっ、ちょっ、ちょい待てっ!! わかった! わかったから!」


「何が……わかったんですか? グリッグさん?」


「いや、お前には手を出さないから!」


「ホントですか?」


「あ、ああ、ホントだ! そんな凄い魔法を見せられたら、手を出す気はなくなるだろっ!」


 グリッグの真剣な表情を見て、嘘はないと感じた。


 それにコイツはこの街のギャングのボスだ。

 コイツを痛めつけて、もしもギャング団に逆恨みされたら……


 これからもこの街で暮らす、ジャックにもとばっちりが行くかもしれない。

 だからコイツをとことんまで追い詰めるべきではない。


 俺はそう考えて手を下ろし、魔法の発動は取りやめた。


「グリッグさん。僕たちは、今からこの街を出ます。だから安心してください。もうあなたの子分たちに関わることはありません」


「あ、ああ……そうか。お前さん……いったい何者だ?」


「僕ですか? 僕は無能でブ男の……しがない召使いですよ」


 グリッグはきょとんとしている。

 まあいいや。

 俺の言ってることは、よくわからなくて当たり前だろう。


「そうか。あんたが相手なら、アイツらがコテンパンにやられるハズだ。そりゃ、アンタみたいな人にケンカを売ったアイツらが悪い。あはは」


 店の扉から、ジャックとマトリカが慌てて飛び出してきた。

 二人は和やかに笑ってるグリッグを見て、きょとんとしている。


「アストラ……無事だったのですね」


「あ、はい。彼はわかってくれました」


「そうですか。それは良かったです」


 マトリカは穏やかな笑顔を浮かべる。

 彼女を心配させたくないから、俺もホッとした。


「じゃあジャック。改めて……世話になったな。そろそろ出発するよ」


「ああアストラ。気をつけてな。どこに行く予定だ?」


「決めてないが……遠くの町だ」


「そうか。じゃあまた。マトリカもな。また会える日を楽しみにしてる」


「はい、ジャックさんもお元気で」


 俺とマトリカは歩き出した。

 マトリカは何度も振り返って、ジャックにいつまでも手を振っている。


 ホントに心優しいお方だ。


 これから俺たちは、王宮の目が届かない、どこか遠くの町を目指して旅をする。

 そしてマトリカの自由を手に入れるんだ。


 そういう場所を見つけたら、俺はどうするのか?


 マトリカと一緒にその町で暮らすのか?

 それともマトリカを一人置いて、またどこかに旅をするか?


 それはまあ、その時になったら、また考えればいいさ。


 いずれにしても、この王都に戻ってくることは、もう二度とないだろう。


 俺はそう思いながら、町並みを見渡した。

 マトリカも同じように周りを見回している。


 彼女も、同じことを思っているのだろうか。


 しかしまあ、いずれにしても。

 王宮でのマトリカの辛い生活に比べたら、自由で穏やかな日々になるはずだ。


 そう考えて、俺はまだ見ぬ俺たちの行き先の、青い空を見上げた。


== 完 ==

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【短篇】王女に無能だと蔑まれた召使いは、実は最強の万能召使い ~わがままな王女は見限って、優しい第二王女と旅をします 波瀾 紡 @Ryu---

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