神話上の借金の話

「それってマジなの?」

「マジもマジだぞ。妙なお嬢ちゃん」


 大国が貧茫大陸のほぼ全土を支配してから150年ほどになる。『弥栄の国』と呼ばれ、その閉鎖主義と模倣しようのない異様な神秘から全世界の尊敬と羨望と嫉妬を集めていたソラニメを滅ぼした蛮族は、それまでと同じように自分たちの支配する国をただ『我らの国』とだけ呼んだ。ソラニメ崩壊には内部からの手引きがあったとするのが定説であるが、真実は明らかではない。ともかく、情念しか持たない蛮族たちの目にはどこまで行っても彼ら自身しか映らず、内省と洞察はなく、それゆえにソラニメの神秘もその根源までは知ることができないまま、ただその顕れとしての奇蹟のような結果だけを追い求め、全てを破壊し尽くしてしまった。それからしばらくして、彼らの国はただ『大国』とだけ呼ばれるようになった。彼らの言葉ではズメトリという。


 横に長い貧茫大陸の東側に位置するのが首都ズメトリヤである。ちょうど中央に、大国全土、いやそれ以外の国々でも話題になっている、あの流出中心が数年前から前触れもなく存在していた。それ以来各地で目撃される神秘現象の件数は指数グラフを描いていたが、同じ貧茫大陸であっても大国の領土の外では一切そのようなことは起こらなかったので、「あれはソラニメの民の永いときをかけた復讐なのではないか」と噂することもあった。


 事実、流出中心が発生してから確認される神秘現象は、どれもソラニメ文化に由来する神話に基づいたものばかりであった。


「ソラニメの英雄にして悪漢聖人、聖ゴオルギーがちょうど昨日、そこを豚馬車で行ってたよ。ああ、妙にやつれた姉ちゃんも載せてたなあ。なんだったんだありゃ」

「あれは僕が見るに事務屋だね。それも公務員だ」

「おお。なんでだ?」

「僕はあらゆる局の制式服を知っているのだよ……そして」


 サイズの小さすぎるフード付きローブを着た小男がミョウに言った。


「その制服が"あの"学院のものだとも……」


 小男の鋭い瞳と細い唇にはいずれも歪んだ笑みが浮かんでいた。


「だーからどっかで着替え買おうって言ったじゃん」

「じゃあ何、どこでこれより質がいい生地買えると思うの? 知ってるわけ? モノが違うでしょ全然。それよりも」


 ミョウの小言にパタは冷たく返すと、二人組の男に視線を戻した。


「そのゴオルギーの話について。詳しく教えてくれない?」


 汚れた服を着た彼女のそばでは聖ゴオルギーの顔をした小さな竜が、口からチロチロと炎を吐きながら羽ばたいていた。ミョウのそばにもまた別の竜がおり、縦三連の瞳からは時折酸の涙を垂らして、床を溶かしていた。

 学院のあったズメトリヤと流出中心のちょうど中間地点のここズメトリカス(『我らの二番目の街』を意味する)はズメトリヤに次ぐ大都市であり、あの取締局を代表とする官庁街や学術研究機関が立ち並ぶズメトリヤよりも幾分砕けた文化が発展していた。

 ズメトリカスのこの酒場で、ズメトリヤの魔術学院から脱走してきたミョウとパタは、泥まみれの雪原に落ちた新鮮な苺のごとく目立っていた。ただ、その二粒の苺の足元には、ひとつまみしようとして痛い目にあった被害者が二人ほど転がってもいた。


 わざわざ雪原に出ようとするような苺は、ただの苺ではないということであった。


              ◆


「おれの名前はザカイ。そんでこいつはイカザだ」

「よろしく。学院のお嬢ちゃん……」


 二人組の男は立ち飲み机を挟んで挨拶した。ザカイと名乗ったほうは背が高く、イカザと紹介されたほうは背が低かったが、どちらもサイズの小さすぎるフード付きローブを羽織っていた。


「名前、どっちが逆なの?」


 ミョウが乾燥させすぎた干し芋に顔中のシワを集めながら素朴な疑問を寄せた。


「その話はよしたほうがいいな」


 ザカイが同じような渋い顔をしつつ、とうもろこしの蒸留酒を含んだ口の端から唸るように言葉を漏らした。


「どっちが逆とか、どっちが元とかそういうのはよしたほうがいいよ、うん」


 イカザも同様に酒臭い言葉を漏らした。


「ということはあんたたちは徴税聖人のザカイとイカザなわけだ。そりゃゴオルギー様に用事あるよねえ」


 パタは頷きながら、ザカイやイカザと同じ強い酒を飲んでいた。ミョウが目を丸くしてそれを見つめる。顔色を全く替えず、軽く杯を上げてパタがミョウに頷くのを見て、ミョウは瞬きしながら飲んでいる山羊の乳に砂糖を追加して言った。


「見かけによらないよね……」

「学院じゃ飲めなかったから」


 パタは空になった杯に酒をたっぷりと注いでいた。


「入る前は、そりゃあさあ、色々……」

「まあ人間色々あるよな」


 わかったような顔をしてザカイが頷く。そこにイカザが突っ込んだ。


「僕らがもはや"人間"かどうかは怪しいところだけどね。しかしともかく、人間の頃に残っていた因果がこのように神話の前触れとして復活してもまだ有効だというのは、お嬢ちゃんたちにもわかってもらえるだろう」

「なにこれ。どういうこと?」


 ミョウが口の周りの乳を拭いながらパタに聞いた。


「聖ゴオルギー様はさあ、一回も税金払わなかったんだよ」

「そうなのだよ。あれだけの子を産ませたのだから、正確に徴収できていれば今頃まだ『弥栄の国』も健在だったのではないかと、そのような試算もある」

「出生税だけじゃないよ、いろいろ商売もやってたからね……酒税とか……」

「入湯税もな」

「そう。それが一番デカいよ」

「あれ、あの人サウナやってたの? あたしサウナ好きだなあ。サウナいいよね」

「あー」


 のんきに言うミョウにザカイが天井を向いて言った。


「そういうお風呂じゃないんだ。そういうのじゃない。全然違うんだ。特殊入湯税だなんだ」


 強調するようにイカザが付け足した。


「特殊なんだよ。特殊なんだ。特殊なやつ」

「ええ? 何……あー。ああ。ああ。はい」


 しばらく考えていたミョウはそう呟くと、黙って山羊の乳を追加した。


「まあとにかくお嬢ちゃんたちは大したもんだよ」


 ザカイは話題を切り替えるようにして言った。


「おれたちも復活してから少しばかり見て回ったが、ソラニメの神秘を思い起こさせるようなのはお嬢ちゃんたちの竜ぐらいのもんだ。見事なもんだよ。学院の標準ではないだろ、その技法は」

「この子がね」


 パタはミョウの頭の心霊手術跡を指差した。


「これしてから、あたしたちの勉強もだいぶ捗ったの。あたしもやろうかなあとは思うんだけど」

「これオススメしないなー。ほんとあれ、人変わっちゃうよ。アハハハハ」

「その度にいつもこう言われるわけ。ならいいかなって」


 イカザは訝しげにその手術跡を見つめていた。


「そこからも神秘の香りがする。感じたことがない種類だ。人の身に神秘をまとわせるとは、僕としては……」

「そりゃあ今の時代の奴らが決めることだろう。もう死んだはずのおれたちが言うことじゃないな」

「その『蘇り』っていうのは実際どんな感じだったの? 神様とかいた?」


 好奇心に目を輝かせたミョウがザカイらに問いかける。ザカイは杯に入った酒を飲み干すと、一言で答えを告げた。


「泥から這い上がってきた」

「泥?」

「気づいたら泥の中にいた。そこではずっと小雨が降っていた。嫌な感じのする小雨だ。あたりにはまだ意識が戻っていないやつらもいた」

「そう。僕とザカイは揃って目を覚ました」

「これがおれたちの逸話に由来するものかはわからんが、きっとそうなんだろう。ひどい匂いのする泥だった。ひどく臭いんだ」

「死臭だ」

「いや死臭がさらに死んだような臭いだ」

「いや死臭がさらに死んだような臭いがさらに死んだような……」

「やめろ。とにかく死だ。死の臭いだよ。必死でもがいてそこから抜け出して……」

「税の未納者を見つけ出して……」

「泥まみれのまま徴税して……」

「ズメトリヤ(忌々しい名前だ!)の徴税局へ報告して報酬を貰って……」

「風呂に入り……」

「当世風の服に着替え……」


 二人は杯を掲げた。


「今に至る。以上だ」

「迫真の冒険じゃん」


 それを聞いてミョウはケタケタと笑っていた。


「徴税人てのがイマイチカッコつかないけど!」

「その未納者ってのはどう見つけたの?」

 

 パタは四杯目を平気な顔で飲みながら二人に聞いた。


「まあわかるのさ。おれたちにはわかる。おれたちのことは、そういう生きる神秘だと思ってもらえばいい」

「僕らが探し出せない未納者はいないよ。徴税局の守護聖人だからね」

「ていうことはゴオルギー様も……」


 稀代の大未納者に様付けしたことで一変した二人の形相を見て、パタは訂正した。


「許しがたい未納者ゴオルギーも……」

「探せるね」

「探せるとも。というか探しに行くんだ、これから」


 パタは立ち呑み机に頭を伏して二人に叫んだ。

 

「お願いします! 聖ゴオルギーに会いたいの! 連れてって!」


 頼み込むパタをミョウは慌てて揺さぶった。


「マジで!? 話聞く限りクソ野郎っぽいけどそこまでファンだったの!?」


 パタは険しい顔で黙って右の胸元を開けた。そこにはゴオルギーの顔を象った刺青があった。ミョウは心底おののいて引き下がった。そこまでだったとは。ここのことろだんだん親友と思っていたはずの人間の知らぬ一面が見えてくるので恐ろしくなってきていた。


「いいんじゃないか? ただまあなんというか、奴に会うことになるんだから……」

「その……」

「なあ?」

「最終的なお嬢ちゃんたちの貞操は保証できないよね、うん」

「望むところです」

「望むところなんだ」


 意気込むパタにミョウは唖然として呟いた。


「うーむ、僕が見るところ、そっちのお嬢ちゃんは乗り気じゃないみたいだね」

「だってどう考えてもヤバい奴じゃないですか。だいたいなんですか、悪漢聖人て」

「カッコいいでしょ!」

「奴が向かっているのが流出中心の方面だとしても、行く気にならない?」


 ミョウの耳がピクりと動いた。


「神秘のすべて、明かしたくない? 学院から出てきたの、それでしょ?」


 イカザが追い込む。


「……中心まで行けたら、竜どころじゃないかもよ」


 ミョウは黙って拳を上に真っ直ぐあげ、親指と人差し指をピンと突き出した。それは大国文化で同意のサインだった。


「で、おれたちはお嬢ちゃんたちを連れて行くことになったわけだけど……お返しにお嬢ちゃんたちは何してくれるんだい?」


 尋ねるザカイに、パタとミョウは顔を見合わせてから、同時に言った。


「まずあの、その服を……どうにかします」

「これ?」


 ザカイはまとった小さすぎるローブを摘んで言った。


「店員は最新だって……」

「全然」

「まったく」

「ええ?」


 ザカイとイカザは顔を見合わせた。イカザが言う。


「だから僕はおかしいって……」

「いやお前も乗り気で……」

「いやザカイだって何着も試着を……」

「いったいこれはどういう……いや待て。待てよ」


 ザカイが額に掌をあてて集中し、そして目を見開いた。


「あいつ。あの店員! 未納者だ」

「ということは!」

「おれたちが徴税聖人ザカイとイカザだとわかったうえで……」

「まだ復活したてでまどろむおれたちをからかって……」

「不似合いな服を着せて……」

「そして今に至る」


 四人は顔を見合わせ、ひとまずの目標を決めた。この報酬で今夜の宿と、今後の足代を確保することとなった。


                 ◆


 一方。流出中心のほど近く、テレペンの地。このあたりにはまだソラニメ由来の地名が残っている地域があり、テレペンは『泥炭』という意味である。一面に薄曇りの空と、墨色の沼沢地が広がっていた。

 まばらな枯れ木の間に一件の粗末なあずま屋が建っていた。その中には一脚の机と、それを挟んで向かい合う二脚の椅子だけがあった。

 椅子に座っていたのは聖ゴオルギーであり、もう一方の椅子に座っていたのは心霊手術の権威のピュービル博士であった。

 風が一つ吹いた。そして会談が始まった。

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