【5月10日】運命の赤い糸

王生らてぃ

【5月10日】運命の赤い糸

 運命の赤い糸は、運命の相手どうしの、小指と小指を結んでいる。

 それは普通の人には見えなくて、たとえ見えたとしても、切ったり結びなおしたりすることはできない。

 それができるのは、天使さまが持っている特別なハサミだけだ。



「あなた、小指はどうしたの?」



 ほらこれだ。

 毎日、毎日、知らない人に会うたびにこれを聞かれるので、わたしもいい加減にうんざりしているのだ。わたしの両方の手、小指のない四本ずつの手を見た人は、まるで爬虫類や魚を見たような顔をする。



「事故で」

「まあ」

「気にしないでください。もう痛くもないので」



 ぜんぶうそだ。

 だけどこの指を見ると、みんな、人の触れられたくない話にこれ以上踏み込みたくないというように目をそらし、余計な詮索をしないでいてくれる。素晴らしいことだと思う。



「ただいま」



 帰っても誰もいない。

 ただ、誰もいない部屋がある。






     〇






 わたしの左手の小指は、わたしが自分で切り落とした。

 わたしは生まれつき、小指から伸びている運命の赤い糸っていうのが見えなくて、誰に繋がっているのか分からない赤い糸を切りたくて仕方なくて、でも見えないから切れなくて、ずっと毎日泣いていた。

 ところが頭がよくなってくると気が付くもので、糸を切れなくても、糸が結びついているもののほうを切り落としてしまえばいいのだと。それで、近くにあったハサミでじょっきり切り落としてしまった。

 痛かったし血がいっぱい出たけれど、それは、わたしの小指に結びついている赤い糸が液体になったものだと思えば少し気が晴れた。



 ところが、運命の赤い糸は、左手じゃなく右手のほうについているらしい。

 人間の手は上手くできているもので、四本の指だとハサミを握る手にうまく力が入らなかった。それにわたしは右利きだったから、うまく力が入らなくて、ただただ痛いだけの拷問に等しい時間が流れた。



「私が切ってあげましょうか?」



 エミリにであったのは、ちょうどそんな時だった。



「は?」

「あなたの指。私が切ってあげましょうか?」



 エミリはどこからともなく現れた。

 わたしの部屋の中に突然現れた。

 その右手の小指には、わたしにもはっきり見えるほど太く、赤くきらめく、赤い糸が結び付けられていて、窓から夜空へ向かってはっきり伸びていた。



「いや、あんた誰よ。どこから入ってきたの?」

「はい」



 エミリはぐいっと天に伸びた赤い糸を引っ張り、ぐるぐると手元で手繰り寄せた。

 するする衣擦れする音が心地よかった。

 やがて、手繰り寄せられたものは――



「な……」

「これ。アナタのでしょ」



 わたしの左手の小指だった。

 切り落として捨てたはずの小指。

 血がすっかり抜けているはずなのに、血色よく爪も綺麗なままだ。

 その断面から伸びている赤い糸が、エミリの右手の小指に結びついている。



「私、あなたの運命の赤い糸の相手だったのに、それが切り落とされてしまったから、運命の相手がいない人生を送らなければいけなくなってしまったの。まだ寿命もたっぷり残っているし、これから先、自殺するような予定もない。それなりに幸せな人生だったけれど、私はずっと孤独なの。人生の、心の、どこかでずっと孤独なの」



 彼女はわたしの手からハサミを強引に奪い取り、右手にしっかり握った。

 それから残った左手で、わたしの右手首を強引に握った。

 さっきハサミでごりごり削っていた小指の付け根から、血が思いっきり滲んだ。



「痛ッ」

「あなたの小指、ぜんぶ切ってあげる。わたしの苦しみを知りなさい」



 そうして小指を思い切り切られた。

 自分でやるよりずっと痛みも少なくすんだ。

 足の小指もばっちり切られた。

 痛くならないようにばつっと切ってもらえた。



「あんまり気持ちのいい切りっぷりなので、やっぱりあなたが運命の人なんだと思うようになってきました」

「わかる? やっぱりわかっちゃう?」

「あの、血のついたハサミ振り回さないで。壁紙がシミになっちゃうから」

「関係ないわ。もうあなたは私の運命の人でもなんでもないんだから」



 つん、とエミリはそっぽを向いた。



「でも、なんでわたしの運命の人が女の人なのよ」

「もう運命の人じゃないっての」

「でも、いつの間にか、あなたの名前がエミリだって知ってる。それって、運命の人が目の前に現れたからじゃないの? っていうか、どうやって入ってきたの?」

「ふん。知らない。もうあなたに用はないから。さようなら、元私の運命の人」



 エミリはぽいっと糸を窓の外に投げ捨てると、ラプンツェルのようにその糸を手繰って下に降り、夜の街に消えていった。






     〇






 それ以来、エミリには会ってない。

 わたしの人生には、運命の人なんてものは現れない。だけど、それは逆にせいせいする。人づきあいが気楽になった。誰もわたしも運命の人じゃない。誰もわたしを求めない。誰もわたしと結ばれない。

 常に人間と一定の距離が置ける。それは気楽ですばらしい人生だ。



 エミリは、一生孤独になるらしい。だけどわたしは少なくとも孤独ではない。仕事やプライベートの付き合いはいっぱいある。小指を失くしたおかげで、奇異の視線でよって来るうざったい野次馬や男どもは自動的に排除できる。

 だけどエミリにだけは会えない。

 エミリにもう一度会いたいと思うこともあるけれど、その時にあの人と結ぶ小指はもう残っていない。あの人を永遠に孤独にしてしまったことに対して、わたしは特に思うこともない。

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【5月10日】運命の赤い糸 王生らてぃ @lathi_ikurumi

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