第7話 拒絶

 ユキヒロが出ていったドアを眺めながら、私はどこへともなく呼びかけた。

「タイニー。出てきたら?」

「ありゃ、ばれてたのか?」

 どこからともなく声がすると、ふわっと室内で風が渦を巻き、その中心からタイニーが姿を現した。

「どうせあんたがあいつを煽ったんでしょ?」

「べっつにー、俺は事実を伝えただけだぜ?」

 ふざけた口調で答えるタイニー。見た目に騙されがちだが、こいつは私よりもずっと長生きで、その時間のほとんどを悪ふざけと悪だくみに費やしてきたやつだ。世間知らずな人間一人手玉に取ることくらい造作もないはずだ。

「ロキアは呪いを解くのに反対なのか?」

「反対なわけないでしょ」

 そう、反対なわけがない。巫女様が外の世界にあこがれているのなんて、ぽっと出のあいつに言われるまでもなく解っている。ただ、解っているだけに、そんなことを軽々しく自分の口から言うことなんてできなかった。

「ユキヒロの言ってたことって本当なの? 何でも願いが叶えられるって」

「たぶん本当じゃないか? それか全力で勘違いしてるかどっちかだな」

「後者だったら本気でぶん殴ってやるわ」

 憮然と鼻を鳴らす私を見て、タイニーはクククと楽しそうに笑う。

 ああ、イライラする。この妖精にも、あの男にも。

 皮肉にも、この中で巫女様のことを最も知らないが故に、ユキヒロだけが巫女様を囲う檻の中に土足で入っていける。あいつにだけできて、私にできないことがある。それがたまらなくイラついて仕方なかった。

「ま、とりあえず成り行きを見てみようぜ。そもそも、もうサクラがこの森にいる必要なんてもうないんだ。うまくいこうがいくまいがなーんも問題ないんだから。呪いさえ解けちまえば、あとはサクラの気持ち次第だろ」

「そうね」

 これ以上話すことはなかった。私にできることは見守ることだけだ。無責任な気もするが、そもそも巫女様を支えるのが私の役割であり、巫女様の意思に従うのが私の使命だ。それ以上私にできる事なんて何もないのだから。





 森の奥へと続く一本道、その奥には古ぼけた石碑と、それを囲むように立つ8本の石柱からなる遺跡がある。私は石碑の前に立ち、じっと何も書かれていない碑文を見つめていた。

 石碑の見回り。長い年月をかけて続けてきたそれは、今ではいくつかある私の習慣の一つだった。

「サクラ!」

 突然の声にびくりと肩が震える。振り向くと、ここ最近でずいぶんと見慣れた、黒髪で、切れ長なのにどこか愛嬌のある瞳の男の子の姿があった。

「ユキヒロ。ここに来るなんて珍しいですね。どうしたんですか?」

「サクラと話したいことがあって」

「話ですか?」

 何かと思い、きょとんとしているとユキヒロは私の前に立ち、真剣な瞳で見つめてきた。

「サクラは、もし外に出られるとしたらどうしたい?」

 ……ああ、またその話か。内心少しだけうんざりした気持ちになる。それでも、そんな表情はなるべく顔に出さないようにユキヒロと向き合った。

「突然どうしたんですか?」

「もしかしたら、サクラの呪いが解けるかもしれないんだ」

 ノロイガトケル? 心が一瞬で冷えていく気がした。この人は一体何を言っているのだろう。

「……えっと、言っている意味がよくわからないのですが」

「信じられないかもしれないけど、この世界に来る前に、一つだけ願いを叶えられる祝福をもらったんだ。それを使えば、サクラの呪いだって解けるかもしれない」

 私はユキヒロの口から出る音を聞いていた。一言一言が耳の中に入っていくたびに、胸の奥にキリキリと締め付けられるような痛みが走る。

「だから、もしサクラさえよければ」

「ユキヒロ」

 私は耐えられなくなってユキヒロの言葉を遮った。自分でもぞっとするくらい冷めた声だった。

「サクラ?」

私の様子がおかしいことを感じ取ったのか、ユキヒロが恐る恐る私の名を呼ぶ。

 だけど、そんなことは一切無視して、私は石碑の上に手を置いて話を切り出した。

「この石碑、なんだかわかりますか?」

「……ごめん。解らない」

「……かつて、この周りにある8本の石柱に、それぞれ1体の“厄災の獣”が封印されていました。そしてこの中心にある石碑が封印の中心であり、私をこの地に縛り付ける呪いそのものです」

「だったら、それさえどうにかすれば!」

「……ちょっと、下がっててもらえますか?」

 ユキヒロが何か言い終わる前に私は魔法を展開した。私の周囲から花びらが生まれると、ユキヒロは慌てて私から距離をとる。

「おい! サクラ! 一体何を!」

「いいから、そこで見ていてください」

私が頭上に手を掲げると、周囲を待っていた花びらは上空に集まりだし、巨大な薄桃色の球体となる。


そして、それを一気に石碑に叩きつけた。


「……」

 背後でユキヒロが絶句している。

 すべてを消し去る薄桃色の奔流を受けてなお、石碑はまるで何事もなかったかのようにそこにたたずんでいた。

「……厄災が倒された後、私も同じことを考えました。これで呪いが解けた。外に出られると。そう思って外に飛び出した瞬間、胸の奥を鷲掴みされたかのような痛みが走って、私はその場で意識を失ったんです」

 今でも夢でうなされることがある。悪辣なことに、その痛みは森に戻った後も三日間続いた。あの時程自分の死ねない体質を恨んだことはなかった。

「それから、元凶であるこの石碑がある限り、呪いが解けないのだと思い、この石碑を消し去ってしまおうと思ったんです。でも、結果はこの通り。他にもいろいろな方法を試しましたが、石碑には傷一つ付けることができませんでした」

 ユキヒロは何も言わない。無理もないと思う。この苦しみは誰にもわからない。それは決して幸弘が悪いわけではない。ロキアだって、森の精霊たちだって、世界中のどんな人にだってわかるはずがないものだから。解ったようなことを言われるよりは、黙ったままでいられる方がずっと良かった。

「……先に、戻っててください。今はちょっと一人になりたい気分なので」

 私はやんわりとユキヒロを拒絶した。ユキヒロは、しばらく私の後ろで黙って立っていたけど、やがて、一言「わかった」とだけ言って来た道を引き返していった。

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