序章 旅立ち
第1話 白い少女
「あ、目が覚めたのですね! よかった!」
目を開けると、そこは見慣れた病室の天井ではなく、板張りの簡素な天井だった。
ゆっくりと体を起こす。背中が痛い。病院のベッドとは違う、硬い感触に顔をゆがませる。
「ああ、いいから寝ていてください。ここがどこだかわかりますか?」
声のする方を見ると、透き通るような白い髪を伸ばした、翡翠色の瞳の少女がこちらを覗き込んでいた。まだ意識がぼんやりとする中、それでもなおはっきりと解る彼女の美しさに見惚れていると、少女は俺がうまくしゃべれないと勘違いしたらしい。「ああ、答えなくても大丈夫ですよ」と優しく俺を押しとどめた。
「ここは結晶の森です。見慣れない格好をしていますが、もしかして他の世界から来られた方ですか?」
「他の世界?」
「はい。ここはフォリオス大陸にあるイコンという街から4里程離れたところにある、結晶の森です。……ここまでの説明で理解できますか?」
首を横に振ると、「やっぱり」と納得した表情の彼女。
「衣服からこの世界の方でないのはわかりました。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
この世界の方ではない? どういうことなのかわからない。混乱したまま、「滝沢幸弘です」と名乗る。
「そう、ユキヒロというのですね」
名乗った俺に対して、彼女は柔らかな笑みを浮かべる。
明らかに不自然な状況ではあるが、彼女の人間離れした美しさのせいか、そのあまりにも邪気のない笑みのせいか、どうにも強く警戒することができない。それどころか変に意識してしまって妙に居心地が悪い。
「あなたの名前は?」
ごまかすように名前を尋ねると、彼女は「私の名前はサクラです」と名乗った。まるで空想の世界から出てきたかのような見た目とは裏腹に、やけに日本人染みた名前だった。
「混乱するのも無理もないことかと思います。簡単に説明させていただきますね」
彼女の話によると、今俺のいる大陸はフォリオス大陸と呼ばれ、そこには人間と亜人種と呼ばれる人間の近縁種、そして妖精たちが暮らしているのだという。話だけ聞いていると、ファンタジー小説そのものだった。つまり、俺は自分のいた世界とは違う世界に来てしまったってことか?
事情を呑み込み切れずにいるのを察したのか、サクラさんはパンと手をたたいて話を切り上げた。
「さて、起き抜けに沢山のことを聞いてお疲れでしょう? 食事を準備しますからもうしばらく休んでいてください」
「あ、俺も何か手伝いま……っ!」
立ち上がろうとして、全身に鈍い痛みが走る。
「ユキヒロさん。ここにきてから2日間眠りっぱなしだったんですよ。多分まだ体が追い付いてないのだと思います。気にしないで、ゆっくりしていてください」
かろうじて「お願いします」と伝えると、彼女は「はい」と軽やかに返事をして部屋を後にした。
♯
「異世界、か」
一人になった部屋で、ポツリとつぶやく。
元の世界にいたころ、俺は病気がちだった。小さいころから体が弱くて、何度も入退院を繰り返していた。中学生のころにはあまり学校には行けず、高校生に上がるような年齢になったころには外にいる時間より病室で過ごす時間のほうが長くなっていた。
それでも両親は俺のことを見捨てず、付きっ切りで看病してくれて、何とか20まで生きられて、それから、……それから——。
「死んだのかな」
そうつぶやいたとたん、心臓が握りつぶされるような心地がした。
死んだ。そう、きっと死んだのだ。確証はないが、そうなのだと言い切れるくらいの不思議な確信があった。そして、さっきまで見ていたあの光景がフラッシュバックした。
『この世界のすべてを代表して、私からたった一つだけ願い事をかなえられる祝福を授けます』
あれは現実だったのだろうか。だが、現実にしてはあまりに非現実的で、夢にしてはあまりにくっきりと記憶に残っている。
重い体にうめき声をあげながらゆっくりと体を起こし、ベッドのわきにある窓から外を眺める。
「凄い……!」
息を飲んだ。
青々と立ち並ぶ木々。木漏れ日の中を小さな無数の光の玉がふわふわと漂っている。ある光は木々を縫うように、またある光はクラゲのように漂いながら。淡く湿った空気は優しく光を乱反射させる。まるで一枚の風景画のような、非現実的で神秘的な世界がそこにはあった。
しばらくその光景に見惚れていると、窓の淵から手のひらサイズの羽の生えた猫がぴょこんと飛び出してきた。
ぎょっとする俺を見て、猫は口角を吊り上げ、人間のようににやりと笑った。
「お、やっとお目覚めかい? 大将」
「うわ、喋った!? って、大将?」
「しゃべるに決まってんだろ? 俺をなんだと思ってんだ」
まさか喋ると思っていなかったため取り乱す俺に、猫はやれやれといった様子で呆れたように手を横にあげて首を振る。
「たく、二日も眠りこけやがって。異世界暮らしが長くてなまったんじゃねぇのか?」
異世界暮らしは今日で二日目なのだが……。いや、こっちの世界からすると俺のいた世界が異世界なのか?
「まあいいさ。俺はタイニー。風の妖精だ。忘れんなよ?」
この妖精、妙に距離感が近かった。それとも妖精とはそういう種族なのだろうか。
戸惑いつつも、自分の名を伝える。
「俺は幸弘だ。よろしく」
「おう、お前がサクラと話してたのを聞いていたから知ってるぜ。デレデレだったもんな。へへへ」
「な、べ、別にデレデレなんかしてねぇから! 適当なこと言うな!」
意表を突いたことを言われて動揺する俺を見て、にやにやと意地悪く笑うタイニー。この妖精、もしかして性格悪いんじゃないだろうか。
「そうか? でもサクラきれいだろ?」
「え、ああ、まあ」
「何? 照れてんの? だっさ」
「うるせぇ! 美人見慣れてないんだよ! 悪いか!」
入院生活が長く、あまり同世代の女の子と話す機会がなかったせいか、どうにも女性、特に年の近い女の子と話すことに免疫がなかった。というか、あんな綺麗な人の顔が寝起きにいきなり目の前にあったら誰だってあんな反応になるに決まってる。だから俺は悪くない。
「お、ちゃんと言えるじゃねぇか。サクラ美人だよな?」
「ああ、めっちゃ可愛かった」
「だってよ。サクラ。よかったな」
「……は?」
恐る恐る振り返ると、そこには真っ白な頬を少しだけ赤らめながら困ったように笑みを浮かべるサクラさんが食事をもって立っていた。
「……出直したほうがいいでしょうか?」
「いえ、全然、はい、まったく」
気が付くとタイニーの姿はどこにもなかった。
……次出てきたら覚えとけよ。
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