武蔵野幻想

レネ

 武蔵野幻想



 雪乃は、どこへいってしまったのだろう。

 その日、私は自宅からちょっと足をのばしただけなのに、見なれない町へ来てしまった。しかし同時に、垂れ込めた厚い雲や、さびれた街並みに既視感を覚えるのだ。

 いったい私は、どこへ迷い込んだのだろう。そして……そして雪乃は、いったいどこへ行ったのだろう。

 左側には古い塀が続いていて、右手には所々雑草の生えた広場が広がって、その向こうにも古い家が並んでいるのが見える。

 それらが先ほどから降り出した雪のせいで、少しずつ白色を帯びていく。

 古い家並みが続く路地に入ってくると、子供たちがボール投げをして遊んでいる。

 こんな家並みの間を歩いていると、ありありとあの頃の雪乃が思い出される。もう、あれから二十年も経っているというのに。

 雪の粒は次第に大きくなり、さわさわと落ちて私の行く手を遮る。

 ふと見ると、駄菓子屋があった。懐かしい、昔の駄菓子が並んでいる。ちょっとしたおもちゃや、飲み物、冬なのにアイスクリームも売っている。

 いつの頃からか、こういう店をあえて復活させているのを見かけることがある。

 私も何かひとつ買おうと思う。

「すみません」

 私がそう言うと、奥から七十代くらいのおばあさんが出てきた。よく見ると、それはもう三十年以上前に亡くなった、父方の祖母なのだった。

「なんだ、おばあちゃん、こんな所にいたの」

 と私が言うと、

「かっくん、あんたも遠い所からよく来たねえ。ゆっくり楽しみなさい」

 そう言うとまた店の奥に消えてしまった。

 それにしても、雪乃はどこへ行ったのだろう。

 そうだ、この先に綺麗な森があって、私はその森を雪乃と歩いたことがある。

 私は思い出した。

 行ってみよう。

 私はその森へ行く。

 森は冬枯れて、静かで、落ちてくる雪を広く包み込む。

「変わってないね。とてもいい雰囲気じゃないか」

 私が言うと、そうだ、思い出した、雪乃はこう答えたのだ。

「ええ、素敵な森ね」

 雪乃は美しかった。そして何より優しかった。

 いつの間にか、私はその森を雪乃と散歩していた。舞い落ちる雪がちらちらと木々の間を縫って雪乃の髪の上にも落ち、冷たい風が枝を微かに揺らしている。

 やがて森の反対側に出たと思ったら、古い、木造の、こげ茶みたいな色合いの家々が並んでいる。その小路を通り過ぎて、私と雪乃は小さなラーメン屋さんに入る。

 私たちは椅子に腰かけて、

「ラーメンをください」

 ヒーターの効いた暖かな店内で、鉢巻をした、白い上下を着た父方の祖父が無表情に麺を茹でる。湯気が立ち昇っている。

 祖父は私が幼少の頃亡くなった。だから顔はあまりはっきり覚えていないのだが、片方の足が無いので祖父だとすぐに分かる。祖父は戦争で片足を失ったのだ。

「おじいちゃん」

 祖父は無愛想に、

「うん」

 と答える。

 雪乃は醤油を、私は味噌をもらった。

 私たちはカウンターに腰かけ、並んで祖父の作ったできたてのラーメンをすする。

 ラーメンはあったかくて、冷えた身体がほてってくる。

 そう、私の隣に座っているのは、まぎれもなく出会ってまだ半年の、あの時の雪乃だった。

 ラーメンを食べ終えると、私と雪乃は店を出て、歩くともなく小さな路地をさまよう。

 途中、小さな今風の雑貨やさんがあったので、そこに入り、雪乃にオルゴールを買ってやった。

 さらに暫く歩くと、大きな神社があった。

 境内はもうすでに雪に埋もれ始め、木立の間から大粒の雪が降り注ぐ。

 私は思い出し、雪乃に言った。

「この向こうに森と池があるんだよ。」

 雪乃は私を見る。

「雪が降ってるけど、ちょっと行ってみようか」

「ええ」

 私たちは神社を離れ、森を目指して歩き始める。

 私は幸せだった。

 私はこの女性と、絶対に結婚しよう。

 歩きながら、そう考えた。

 間もなく、両脇に茂る枯れ草が白く染まり始め、木々がざわめき、段々奥に進むにつれ、降りしきる雪に私は少し不安になった。雪乃に何かあってはならない。私はそう思った。

 雪乃は平気な顔をして、振り向く私と目が合うと、嬉しそうにほほ笑む。

 やがてゆるやかな坂を登り切って振り返ると、少し視界が開け、私と雪乃は荒く息をしながらほほ笑みあった。

 さらに少し歩くと、木立ちの間に澄んだ池が見えてきた。さらさらと水が池に落ち、池の向こう岸から小さな筋になって下方に流れていく。池の底の藻が揺れているから、たぶん底からも水が湧いているのだろう。

 雪は音もなく池に吸い込まれていく。

「誰もいないね」

「ええ」

 私と雪乃は暫く池を眺めてから、またどちらからともなく、もと来た道を引き返した。

 今度は途中から脇にそれ、近道をして車道に出た。

 暫く歩くと、小さな民家のような茶店があり、ジュースを売っていた。屋根はもう真っ白になっている。

 中に入ると、私の祖母と祖父が仲良く待っていてくれた。

「のどがかわかない?」

 私が尋ねると、雪乃は、

「ええ」

 と言った。祖母が、

「身体が冷えるでしょうが」

 そう言いながら温かい缶入りの紅茶を二本出してくれた。祖父はといえば、奥のほうで相変わらず無表情のまま座っている。

 そういえば、父が亡くなったのも、母が逝ったのも、こんな雪の日だったなあと思う。

「おばあちゃん、お父さんとお母さんは?」

 そう尋ねると、

「きょうはでかけてるよ」

 と言う。

「なんだ、話したいことがいっぱいあったのに。文句も、いっぱい言いたかったのに」

 私は悲しい気持ちでいっぱいになった。が、仕方がない。

 私は紅茶を雪乃と一緒に飲んだ。

「ごちそうさま」

 と雪乃は言い、ふたりで祖母に缶を返して、また神社の方へ向かった。

 向かいながら振り返ると、もうその店はなく、祖母も祖父も姿が見当たらなかった。

 暫く歩いて神社に戻って来ると、境内はすっかり雪に覆われ、すでに少し薄暗い。

 その時、唐突に、

「ねえ、かくれんぼしましょうか」

 と雪乃が言う。

「いや、それはやめよう。だってかくれんぼなんかしたら、二十年経ってしまうじゃないか。二十年後の、生活に疲れた僕と君になってしまうじゃないか」

 私が言うと、

「でも、鬼は、あなたよ」

「うん?」

「だって、そうでしょう?」

 と雪乃が言う。

 私は少し、悲しくなった。鬼と言われたのが、悲しかったのかもしれない。

「じゃあ、いくよ」

 私は後ろを向いて、両手で顔を覆った。

「もういいかい」

「まあだだよ」

 少し間をおいてから、

「もういいかい」

「まあだだよ」

 その声は、少しずつ遠ざかっていく。

「もういいかい」

 三度目はなかなか返事がなかった。

 もう、誰も答えはしない。

 気がつくと、私は境内にひとりで立ち尽くしていた。

 雪の上に残っているはずの、雪乃の足跡も、ない。

 雪乃はほこらの裏にも、木々の陰にもいない。

 木立ちの間を抜け、私はそっと歩き出す。帰途をゆっくりと引き返す。

 雪はしんしんと降り積もっていく。             (了)

     

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武蔵野幻想 レネ @asamurakamei

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