第9話

「ところで、なんで今日いきなり誘ってきたんだ?」


 一本吸い終えたところで、俺は吸い殻を雑に灰皿に押し付けながら聞いた。


「同僚とご飯行くのに理由なんていりますか~?」


 対する桂はカクテルを飲みながら、ふざけたように言う。目の前にはフィッシュアンドチップスがある。お通しのようなものだという。


「いきなりだったもんだから、なんかあったのかと思うだろ」

「……まあ、強いて言えばちょっとずつ溜まってきたストレスを発散したいがため、かな」

「で、その相手に俺が選ばれたと」

「光栄でしょ?」


 俺は答えず、ビールをぐいっと一息に飲んだ。ほのかに苦み走った液体が、炭酸の爽快さを伴ってのどを下り、胃へと落ちていく。それから、またタバコを取り出して、火をつけた。


「てか名屋の吸ってるやつ、キツいんだけど」

「たかってる立場で文句言うなよ」

「名屋の健康も心配してんだよ? こんなキツいのばっか吸ってたらすぐ肺がダメになっちゃうよ」

(……望むところなんだがなあ)


 心のうちでそうつぶやいた。

 俺の祖父は、48で肺病で死んだ。ヘビースモーカーだった。それでも48は生き過ぎだろうと思う。あるいは、幸せだったからそこまで生きたのかもしれない。


 桂が吸い殻を捨てる。


「もう一本ちょうだい」

「お前……さっき言ったことをもう忘れたのか?」

「あたしは死なないから大丈夫。すいませ~ん、なんかテキトーなワイン、ボトルで」


 店長が微笑みながらうなずくのを見て、桂は俺に顔を戻した。


「ねえ」

「なんだよ」

「あたしたち、今年で26だよね」

「ああ、そうだな」


 桂は思案気な顔でうつむく。深い憂愁が浮かんでいた。


「最近親にさ、『そろそろ新しい人探したら?』って言われるの。離婚して1年経ったからって」

「そうか」


 生返事をしてタバコを吸う。深く吸う。すると脳が遊離したように軽くなった。


「名屋はさ、結婚とか考えてるの?」

「……俺?」

「そう。俺」

「……正直、考えてないよ。俺にはそういうの、縁が無いし」

「なにそれ」


 俺の回答が気に召さなかったらしく、不満げな顔で桂が追及してくる。


「言葉通りの意味だよ。そんなこと全然考えてないし、それに――」

「それに?」

「……いや、なんでもない」

「ええ~なにそれ」


 酔いが回ったのか、桂は頬杖をついて俺のほうに顔を近づけてきた。もともと異様に整った顔立ちが、酔いで色っぽく見えている。暑いからか前髪が汗で額に張り付いており、しかもボタンの外れたワイシャツから胸元が垣間見えていた。その気がなくとも悲しいかな、男の性《さが》で視線が吸い寄せられる。


「そう言う桂はどうなんだよ」

「あたし?」

「ああ……いや、言いたくないなら言わなくていい」

「もう、あたしらの仲じゃん。変な遠慮しないでよ。そうだなあ」


 桂はグラスに注がれたワインをぐいと一息で飲み干した。


「正直に言うと、したいよ、結婚。一回失敗してめげる性格じゃないからさ、あたし。でもまあ……慎重にはなっちゃうよね」

「ふうん。そんなもんか」


 適当に相槌をうちながらワインを飲む。渋みが口内に広がり、それからほのかなブドウの甘味が感じられた。普段ワインは飲まないから、慣れない。


 湿っぽくなりそうだったから、俺は話題を変えることにした。


「このワイン、美味いな」

「でしょ? 店長はお酒に関しては腕利きだからね。それ以外はさっぱりだけど」

「手厳しいなあ、芙蓉ちゃんは」


 カウンターにいた店長が目ざとく聞きつけて苦笑いをする。まあ、俺たち以外に客がいないんだから、聞こえて当然か。


 しばらく飲んでいると、桂が酔いつぶれてぐうぐういびきをかき始めた。

 その寝姿を見てボトルワインの余りを飲みながら、俺は自分が結婚する資格があるのかどうかについて考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

JKを家に泊めたんだが 黒桐 @shibusawa9113

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ