第3話
「さ、あがって」
「お、おじゃましまーす……」
晩翠通りを過ぎ、坂を昇ったところに俺が住む寮がある。仙台は坂が多いため、グーグルマップでは短い距離に思えても案外体力を使うことがある。おまけに部屋が四階にあるため、少女は肩で息をついていた。
「ね、ねえ、シャワー借りていい?」
「あ? ああ、いいぞ。というかお湯張っていいからゆっくり浸かれ」
「マジ? ラッキー」
俺が風呂場を指さすと、少女は鼻歌まじりに洗面所に入り、鍵を閉めた。そこで初めてこのドアに鍵がついていることに気が付いた。彼女を家に招かなければ、一生気が付かなかったかもしれない。
(まさか初めて家に招く異性がJKとはなあ)
俺は感慨深さに胸を打たれた。泊めたからといってナニをするわけではないが、26歳になって初めての経験にちょっとワクワクする。まだ俺の中に子供の俺がいたことを見出して嬉しくなる。
そう思いながらコンビニのレジ袋の中身をテーブルにぶちまけて気づく。
今日の夕飯が一人分しかないということに。
すっかり忘れていた。
慌てて冷蔵庫の中を確認してみたが、めんつゆとチューハイが冷やされている以外に食べ物はない。冷凍庫には冷凍ネギとギョーザが入っているだけだ。
(……弁当はあの子に食わせるか)
冷気の漏れる扉を閉める。
と、自分の耳を水が流れて跳ねる音が撫でていることに気が付く。もう彼女は入浴しているらしい。
テレビをつける。バラエティが放送されていたが、面白くなかったので録画リストからアニメを選んで流す(こんな時でも貫きたい、俺のポリシー……)。
チューハイを開ける。本当は今日は飲むつもりがなかったが、なんだか身体が無性にアルコールを欲していた。俺の身体はそれくらい脈絡が無かった。
アニメを二本見終わる頃、ようやく少女が洗面所を出て、リビングに入ってきた。
渡した縞のバスタオルを首にかけ、持参した薄手のピンクのパジャマを着ている。首周りから湯気が立っているのが妙に妖艶だった。
「お風呂いただきましたー。……っておっさん、何観てんの?」
「何って――ゆるキャン△だよ」
「おっさんそういうの好きなの?」
「まあ、嗜む程度だな」
女の子だけがキャッキャするアニメが好きだと言うと「キモッ」と言われそうな気がしたのでやめておいた。
「おっさんも入ったら?」
「そうだなあ。あ、テーブルにある弁当食っていいぞ」
「本当? じゃあいただきまーす」
「コップは棚、お茶は冷蔵庫にあるから好きに飲んでくれ」
「はーい」
下着と半ズボンのパジャマを持って洗面所にいったところで、「まだ26なのになんでナチュラルにおっさん呼ばわりされてることに慣れてるんだろう」と自虐的な笑いが出た。そして鏡に映る無精ひげが生え目が落ちくぼんだ男の顔を見て納得した。
(剃るか、ひげ。髪も切らないとなあ……バンドマン崩れみたいだ)
風呂から上がると、少女はリモコンを傍らに置いてテレビを観ているところだった。
「あ、もうあがったの? おっさん早いんだね」
「男なんてそんなもんだ」
少女は二人掛けのソファーの中央から端に身を寄せた。座れ、ということだろう。隣に腰かけると、結ばれた髪の下には真っ白な肩と首筋が光っていた。
時計は11時を指していた。
「こんな時間のテレビ番組なんて面白くないだろ」
「うん、まあ。でも他にやることないし」
「友達にラインとか送らないのか?」
「寝てるよみんな」
テーブルの飲みかけのチューハイをちびちびやる。ストロング系の新商品だったが、やはりお世辞にも美味いとはいえない。
「それ、美味しいの?」
少女が俺の手に持たれた350ミリ缶を指さして言う。
「これか? これは金のない人が手軽に酔うために買うもんだからなあ……20歳になっても飲んじゃだめだぞ」
「へー、そう」
「高いウィスキーが飲めるような大人になれよ」
「高いウィスキーってどんくらい高いの?」
「3万は普通」
「高っ!」
少女が驚きの声をあげる。
そうだよなあ、と自分でも思う。
子どもの頃は、酒なんか飲まないって決めていた。タバコなんか吸わないって思ってた。しかし現実は思ったよりも過酷で、擦り減らないためには酒もタバコも必要だった。自分は強くないということを嫌というほど思い知らされたものだった。
3万のウィスキーだって、実は飲んだこともない。
「……」
「……」
沈黙が訪れる。
気安く軽口を叩いていたが、よく考えなくても俺たちは初対面だ。人とのコミュニケーションが元来得意じゃない俺だが、なぜか今日はよく口がまわっていた。自分でもテンションが上がっているのが分かる。日常の変化がよほど嬉しかったのだろう。
しかし、アルコールが入った今は、逆に頭が冷静になっていた。そして今の状況を鑑みて「あれ? これ事案じゃね?」と思い至るだけの思考力もあった。途端に不安で所在ない気持ちになる。
そして強いてそれを押し隠す。俺が不安がっているのを見せれば、彼女も遠慮して「やっぱり帰る」などと言い出しかねなかった。
「そろそろ、寝るか」
「うん」
少女も同意する。そしてそのままソファに寝っ転がった。
「何してんだ」
「ここで寝ていい?」
「変な遠慮すんなよ。……布団とベッドあるから好きな方使っていいぞ」
「マジ? じゃあ、ベッドでいい?」
「いいぞ」
寝室は四畳半の洋室である。ベッドが一個置かれるだけで一気に狭くなっているが、その隣ぎりぎりに俺は布団を敷いた。少女はそれを見て一瞬ベッドと布団の間で視線をさまよわせてから、「や、やっぱり私布団で寝るから」と言ってきた。
「いいからいいから」
と言って半ば強引に譲ると、まだ何か言いたげだったが彼女は何も言わずにベッドに入った。
俺は取引先から届いたメールに目を通していた。
そうして、しばらくすると、穏やかな寝息が聞こえてきた。
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